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わたしが何に傷つくかはわたしが決める
去年新垣結衣さん主演で映画化された「違国日記」を漫画で読み進めております。4巻まできました。
映画を観ていないくせにめちゃくちゃ無責任なことを書きますが、絶対この人、新垣結衣ではないと思う。
しかし、新垣結衣さんが、絶対違う!という人でも見事に演じて絶対そう!になってしまう俳優なのかもしれないですから、なんともいえない。見事に演じておられるのであれば、それはすごく素晴らしいことだと思う。
さて。
物語の詳しい設定などは省きますが、少し前に読み終えた4巻に名場面がありました。
交通事故で両親を亡くし、叔母の槙生と同居している高校生の朝は、夏休みの日中、部活だかなんだかで出かけていて、帰宅したら槙生(35歳の少女小説家・・こっちが新垣結衣)が部屋を散らかしまくっていたため、朝がキレ散らかす場面です。
余談ですが、「朝」という名前であるがゆえに、「朝は」「朝が」がモーニングの朝に思えてしまう。ここまでに私が書いた朝のうち、モーニングの朝の意味なのはいちばん最後に説明のために書いた朝のみです。
そんなことを書くから余計にややこしくなる。ごめんなさい。だから苗字も一緒に書けばいいのか。槙生と同居しているのは田汲朝です。
田汲朝が、部屋を散らかしまくっている槙生に「どうして部屋を綺麗にしておくっていうふつうのことができないの?」と詰めたあと、槙生は「その、ふつうのことをできなくて私は困っている」と言って頭を抱える。
そんなに詰めたつもりではなかった田汲朝は驚き、思いのほか傷ついているように見える槙生に対し、「こんなことで傷つくのはおかしい」と追い討ちをかける。
そこへ槙生がひと言、「わたしが何に傷つくかはわたしが決めることだ。あなたが断ずることではない」
この槙生は誰もが経験したこと、あるのではないかしら。否、経験したことのない人だってきっといると思いますが、私は経験したことのある人のほうが間違いなく好きだ。
かといって田汲朝を非難する気にもなれない。田汲朝になってしまうことも多々ある。
ちなみにこの場面だけ切り取ったから田汲朝が嫌な奴に見えるけど、田汲朝はとても素直ないいコです。素直がゆえに「こんなことで」なんてことを口走ってしまう。
そんなつまらないこと、気にしてたって仕方がないよ。と言われるけど、私にとっては全然つまらないことじゃないんですよね。っていうことがよくあるから、槙生の気持ちが痛いほどよくわかる。
けど、槙生の気持ちがわかるいっぽうで、自分には田汲朝的側面もある、ということにも気づく。まだ4巻までしか読めてないけど、違国日記はそこかしこにズバッとくる名場面が散りばめられていて油断ならない。
子供の頃はこういう面白い漫画を一気読みしたものですけど、いまはもっとゆっくり摂取したい。
ところで。
違国日記に限らずですけど、物語全般、すごく共感できる人もいれば、嫌悪感しかない人もいるし、宇宙人みたいにほんとにわけのわからない人だっている。
映画を観たり、小説を読んだり、人の話を聞いたりするのは、自分の持っている定規が全てではないんだということを骨の髄まで染み込ませるためであり、自分の感覚を補完するためのものではないと思う。
いろんな作品に批評家としてではなく、素人として、それも純粋な素人として触れることにより、自らのもつ定規が揺さぶられ、揺さぶられる分、柔軟になっていく。
そうやって脳や感覚のストレッチをするために私は物語に触れているのだと思う。
感覚が鈍くなり、固くなり、どんどん視野が狭くなり、自分の正しいと思う世界しか信じないくそしょーもない人になっていった人を知っているから、自分はそうはならないために、物語に触れているのだと思う。
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