チューリップをあげよう

私には昔の記憶、正確にいえば小学校の頃の記憶はほぼない。
書き出しから中二病めいているが、ないものはない。恐らく、いじめとか両親の不仲とか、そういう当時148cmくらいだった私には背負いきれなかったものがいっぱいあって蓋をしてしまったのだろう。
そんな中でも1つだけはっきりと覚えていることがある。

「チューリップをあげよう」

幼稚園の頃から現在まで変わらず同じマンションに住んでいるが、私が彼に出会ったのは後にも先にもあの帰り道だけだった。

特に親しい友人もいなかった10歳の頃の私は、帰りの会が終わるとランドセルを背負って真っ直ぐ家に帰った。今も変わらず歌う事が好きなので、確か知っている曲のサビの部分だけをアルバムのCM風に勝手に繋いで歌い歩いていた。(当時、母に高飛車と評された私は綺麗に繋がっている、私天才と思っていた。きっと)
1人楽しく歌って歩く小学生。この絵面だけでも不思議かもしれないが、事件はそれから約数分後、自宅マンションの前の花壇まで歌い歩いた時に発生した。

「チューリップをあげよう」

何故か花壇の方から声がして振り返った。少し機械音が入ったような男性の声だった。
そこはゴミ捨て場とレンガの壁との間が狭く、私が知っていた「おとこのひと」は入る事ができないような場所であるはずだ。

「誰ですか」

視線を上げると、そこには私よりもうんと小柄な「小さいおっさん」としか形容できない男性が赤いチューリップが1輪咲いた鉢を持って座っている。足が竦むような強烈な違和感と、幼いながらも本能的に関わってはいけないと感じ、どうすればいいのか1人混乱していた。

「きみ、かわいいから、チューリップあげたい。へやまでチューリップもっていく」


友人がいれば誰か助け舟を出してくれただろう。いや、そもそもこんな訳の分からない小さいおっさんに出会わなかったはずだ。だが悲しいかな、産まれてから現在に至るまで、私には友人を作る能力が格段に足りない。

「いらない、です」

これはやばい。お母さん助けて誰か来て。
その後も何度か「チューリップあげる」「いらない」とやり取りを続けたが、その間、小さなおっさんは一歩も動くことはなかった。

「いらないです!!」

得体も知れない恐怖に涙を堪えながら、彼に背を向けて階段を上った。今考えれば、階段を登れば少なくともどの階に住んでいるのかは知られてしまうし、家に帰って泣きながら母に訴えた時にもそう叱られたことは鮮明に覚えている。

その後、彼は他の誰かにチューリップをあげることができたのかは知らないが、少なくとも私は自分以外に彼と出会ったという人の話を聞いた事がない。


#私の不思議体験