手作り石鹸
これはブログの女性読者さんから寄せられた話になる。
その時彼女は特に変わった事をしたわけではなかった。
部屋を整理していた際に偶然、机の引き出しの奥から見つけた手作りの石鹸。
それは大学時代に友人達と一緒に受講したエコロジー手作り教室で二人一組で
ペアになり作った石鹸だった。
ボディソープにハンドソープといった感じにもうずっと長い間石鹸など
使ってはいなかったが、何故かその時は懐かしさから入浴の際に使ってみようと
浴室にその手作り石鹸を持ち込んだという。
一度湯船に浸かってから風呂から上がりその石鹸を使って体を洗ってみた。
お世辞にも泡立ちが良いとはいえなかったし形そのものも不格好。
しかし、手作りの石鹸からはどこか懐かしい香りがして、体を洗っていてもいつもよりも
体が良い香りで包まれていく様な感覚を感じていた。
石鹸も案外良いもんだなぁ・・・。
この石鹸を一緒に作ったあの子は今どうしてるのかなぁ・・・。
そんな事を考えていた刹那、突然知らない女性の声が聞こえた後、そのまま
浴室の明かりが消えて真っ暗になってしまった。
彼女はマンションに住んでおり1人暮らし。
誰かが間違えて浴室の照明を消してしまうという可能性は無かった。
だとすれば浴室照明の電球が寿命で切れてしまったのか?
彼女は暗闇の中、恐る恐る立ち上がろうとした。
一度浴室から出て原因を確かめようと思ったという。
しかし、洗い場の椅子から立ち上がれなかった。
上半身は動かせたが下半身は神経が麻痺しているかのようにビクリとも動かせなかった。
何・・・?
どうなってるの?
彼女は暗闇の中、必死に状況を把握しようとした。
しかし、いつもは外の明かりが少しだけ差し込んで浴室内を照らしているはずの明かり
も見えなかった。
いや、窓そのものが存在していないように感じた。
そんな状態だったから浴室の中はまさに漆黒の闇と化しており寸分先も見通せない
状態。
だから彼女は必死に眼を大きく見開いて自分の眼が暗闇に順応しある程度視界が
確保されるのを待った。
その時、彼女はもう一つ大きな異変に気が付いた。
耳から入ってくる音はどう考えてもいつもの浴室内の音ではなかった。
まるで凪の海の上にいる様に小さく波打つ海の音としか思えない音の中に
自分がいる様に感じた。
しかも、まるでそんな海の上に浮かべた小さな小舟の上に座っている・・・。
そんな感覚をはっきりと感じていた。
えっ、ここって私の家の浴室だよね・・・。
なんで海の上にいるのよ・・・・?
もう頭の中はパニックになっていた。
恐怖と孤独感で今にも叫びだしそうになっていた。
そんな時、何処からか音が聞こえてきた。
ギーコ・・・・ギーコ・・・・ギーコ・・・ギーコ・・・。
その音が彼女には誰かが舟を漕いでこちらへと近づいてくる音にしか聞こえなかった。
誰・・・?
なんで近づいて来るのよ・・?
そう思い息を殺してその音に耳を傾けた。
するとしばらく舟を漕ぐ音が聞こえた後、何かが此方へ歩いてくる様な音が聞こえてきた。
ピチャ・・・ピチャ・・・ピチャ・・・ピチャ・・・。
明らかに何かが水の上を歩いている音・・・。
今いる場所が海の上なのだとしたらどうして海の上を歩けるのか?
そして、その足音は明らかに二足歩行の何か・・・。
それが彼女には人間が水の上を裸足で歩いている音にしか聞こえなかったという。
近づいて来て掴まれたら・・・・お終い・・・。
そのまま連れて行かれてしまう・・・。
そんな確信めいた考えが彼女の頭の中を駆け巡っていた。
何とかしなければ・・・・・。
何が出来るの・・・?
どうすれば助かるの・・・?
生きた心地などとうに消え失せていた彼女は絶望感で俯きながら首を横に振った。
その時、あの手作りの石鹸が暗闇に浮かび上がるように見えたという。
反射的にその石鹸を手に取ると彼女は窓があるはずの方向へそれを投げた。
毎日使っている浴室だったから窓の大体の位置くらいは体が覚えていた。
次の瞬間、パリーン!という大きな音がして浴室の明かりが点いた。
窓の方を見ると彼女が投げた石鹸で予想以上に大きく粉々に割れてしまっている
窓ガラスが目に入った。
下半身にも既に感覚が戻っていた。
彼女はすぐに浴室から出ようとして立ち上がると浴槽に溜まっていたお湯を
抜こうとした。
しかし、彼女はまた異変に気付いた。
いつもの湯船の色ではなかった。
手を入れてみるととても冷たく手の匂いを嗅いでみると確かに海水の
匂いがした。
もう何もかも訳が分からなくなった彼女はそのまま浴槽の栓だけを引き抜いて
リビングへと逃げたそうだ。
それから同じ事は起きていない。
しかし、気になった彼女は久しぶりに大学時代にその手作り石鹸を一緒に作った
友人へ連絡を取った。
こんな恐ろしい体験をしたけど一緒に作った手作り石けんのお陰で
助かったんだよ!
とお礼を言う為に。
しかし、俺を伝える事は叶わなかった。
その大学時代の友人は数か月前に若くして亡くなっていた。
浴槽での自殺だったそうだ。
あの夜の出来事がその友人の仕業だったのか?
それとも、その友人が助けてくれたのか?
それは分からないが、彼女はそれからすぐにその手作り石鹸を処分したそうだ。
怪異はほんの小さなきっかけで起きてしまうのだ。
あなたの今夜の入浴が安全で気持ちの良いものであるようにお祈り申し上げる。