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存在しない本【怪談・怖い話】

これは、僕の友人である古美術商、坂田さん(仮名)から聞いた話だ。

坂田さんの店は、町外れの古い坂道の途中にひっそりと佇んでいる。通称「坂さん」と呼ばれるその人は、歳が僕よりも10歳以上離れており、月に2、3回会うか会わないかの程度だった。彼のことを知っているのは、名前と職業、そして一つの厄介な趣味だけだ。

その趣味とはオカルト。坂田さんはその興味が高じて、古美術の名を借りた魔術道具のような品々を扱う店を始めたのだ。そのため、店内はいつも不気味な雰囲気に包まれていた。竹久夢二の絵なども飾ってあったが、逆にその異様さを際立たせるだけだった。

ある日、坂田さんから電話がかかってきた。「すごい物を仕入れたから見に来い」というのだ。試験が終わったばかりで暇だった僕は、学校帰りに彼の店を訪ねることにした。

店に入ると、坂田さんは古びたレジスターに肘をつき、テレビのワイドショーをぼんやりと眺めていた。

「坂さん、こんにちは」

声をかけると、日に当たらないせいで真っ白な顔がこちらを向いた。

「ああ、いらっしゃい」

無愛想な声で返事をすると、彼はレジスターの下の金庫から一冊の古ぼけた洋書を取り出した。日に焼け、虫食いや不明なシミが付着していたその本には、金文字のタイトルがかろうじて読めた。

「なんですか、これ?」

「水神クタアト」

「……なんですか、それ」

坂田さんはつまらなそうに説明してくれた。

「ラヴクラフトが小説で言及した魔導書……いや、ラムレイやったかなぁ。とにかく、現実には存在しない本やね」

「じゃあこれは?」

「どっかのマニアが自分で作った、同人誌みたいなもんやと思う」

彼が本のページをめくると、中身は真っ白だった。

「装丁はしっかりしてるけど、内容が分からんかったんやろね。全ページ白紙やったわ」

確かに、全ページをめくってみたが、何も書かれていなかった。一体これのどこが「すごい物」なのか。落胆する僕を見て、坂田さんは笑った。

「以上が前の持ち主の説明。そんでこっからが、僕の説明。なぁ、その本、やたら紙が分厚いと思わん?」

確かに、一ページ一ページがまるでボール紙のように奇妙に分厚かった。坂田さんは僕から本を取り返すと、初めの方の一ページを破った。そして、僕が呆気に取られていると、ページを丁寧に剥ぎ始めた。

折り畳まれていた内側を開くと、くすんだ赤色で書かれた筆記体の文章と、訳の分からない図が現れた。何一つ理解できるものはなかったが、見た瞬間に強烈な不快感が体を襲った。これは見てはいけないものだと本能が訴えかけた。

「反魂の秘術……らしい。ラテン語やからよう読めんかったけどね。インクに血が混ざっとるみたいやし、少なくとも書いた本人は本気やったんやろ。君の反応からしたら本物っぽいわ」

と、嬉しげに話す坂田さんの声を聞きながら、僕はただただ早く帰りたかった。

それだけでも十分気味の悪い話だが、実は後日談がある。

その本を見せてもらってから一週間ほど経ったある日の朝、再び坂田さんから電話がかかってきた。「すぐに来い」と言われたので、学校を休んで店に向かった。近付くにつれて、魚が腐ったような強烈な臭いが漂ってきた。

店に入ると、引き戸のガラスが割られ、店内はめちゃくちゃに荒らされていた。自称竹久夢二の絵も破かれ、テレビも画面が割れていた。さらに、店中が水浸しになっていた。

坂田さんは相変わらずレジスターに肘をついて、壊れたテレビを眺めていた。僕に気付くと、バケツと雑巾を引っ張り出してきて、片付けを手伝うように言われた。

「なにがあったんですか!?」

「泥棒」

落ち着き払った様子の坂田さんに、僕はそれ以上何も聞かなかった。何が盗まれたのかはすぐに見当がついたし、誰が盗んだのかは、床や壁にこびりついている魚の鱗を見れば、考える気も失せた。

代わりに、壁を雑巾で拭きながら、「意外と早くバレてもうたなぁ」と呟く坂田さんとの付き合い方を、少し本気で考えた。

[出典:225 :1/5:2007/10/10(水) 21:15:16 ID:DnvRUKybO]


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