統一教会のルーツは原儒(げんじゅ)
統一教会の教義である原理講論は聖句を引用し独自の解釈をしていることから、キリスト教の異端とみなされているが、一方で極めて儒教的な教えも目立つ。率直な感想としては、キリスト教の異端というのもはばかられる一種独特な新興宗教である。
統一教会の教義:原理講論でいう「三大祝福」とは、神が人類に授けた三つの祝福を指す用語である。これらは創世記の「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」という言葉に基づき、統一原理において重要な位置を占める。この三つの祝福は、神による創造の究極の目的、すなわち喜びに満ちた世界を実現するために与えられたもので、神、人間、そして万物の間の喜びを最大化することを目指している。
具体的には、第一の祝福は人間が個々の個性体としての完成を達成すること、第二の祝福は完成した人格を持つ男女が結婚し、子どもをもうけ育てることによって真の愛の家庭を形成すること、第三の祝福は人間が動植物や自然全体と調和し、統一された世界を実現することをそれぞれ意味する。これらの祝福は、神の愛と創造の理想を具現化するための指針となっている。
この三大祝福の中の『第ニ祝福』に注目すると、統一教会教義は原儒に根ざしたものだということがあぶり出される。
『儒教とは何か』の著者、加地伸行氏は、儒教以前の時代を「原儒」として説明し、これが太古のシャマニズム、つまり神や霊と人間との交流を行う宗教形態を基盤としていることを述べる。この原儒は、「孝」の概念を取り入れ、「家族論」と「政治論」を体系的に組み立てたとされる。
本書では、儒教の核心を「孝」と位置づけ、これを祖先から子孫へと続く生命の連鎖として解釈し、「孝=生命論」として展開する。この考え方によれば、自身の身体は過去から未来へと続く生命の一部であり、最も親しい存在である親への愛情が孝行とされる。これはキリスト教の「博愛」とは異なるものである。
この観点から、孝行は続く生命のために男子を産むことを正当化し、側室を持つことも許容されることになる。例えば、徳川家康が多数の側室を持ったことや、貝原益軒が子をもうけるために側室を持つものの子に恵まれなかった例が挙げられる。また、孝行の表現として親の葬儀に心を込めることが重要視され、この「礼」が社会規範として政治理論にまで発展する。
孔子自身も文献学者であり、「詩」「書」「礼」「楽」を整理し、これらが儒教の教科書となった。「詩」「書」は心を読む学問として、また「礼」は敬意、慎み、和、譲、倹といった行いを説くものとされる。
孔子によって体系化された儒教は紀元前2世紀に国家公認の学問となり、隋代から続く科挙制度の教科書として用いられた。この制度は1905年まで約1300年間続き、儒教の教養を身につけた文官が国の指導層となった。日本では鎌倉時代に武官が儒教的教養を身につけ、「孝」よりも「忠」が重視される傾向にあった。
原儒から発展した儒教はさらに新しい儒教、朱子学へと進化していくが、その詳細は後述される。また、日本の葬式が儒教と仏教の要素が混在していること、仏壇や位牌が儒教式であること、さらに「清め塩」が日本古来の神道に由来するという指摘もある。儒教の宗教性と家族に関する礼教性が、現代人の心の深層に生き続けていると述べている。
すなわち、「孝」という概念は、その起源をシャーマンの伝統に求めることができる。この古代からの思想は、祖先の魂を現世に呼び戻すという深い信仰に基づいている。この儀礼を執り行うためには、主催者が必須であり、その役割は子孫によってのみ果たされる。子供を産み、孫を育てることは、亡き親への奉仕の最も基本的な形となる。言い換えれば、子孫を残すこと自体が孝行であるとされる。
現代の中国では、子供の数の増加が社会的な課題となっているが、これは古くからの招魂儀礼という文化的背景によるものである。この儀礼では、家系を続けることが魂をこの世に招くために重要とされ、その結果、子孫を絶やさないという強い意識が根付いている。共産主義の下で政府が人口制限を図ろうとしても、この深い信念は容易には変わらない。他国では人口減少が進む中、中国ではこのような文化的信念が継続している。
統一教会はキリスト教の異端ではなく儒教の異端である
統一教会がキリスト教的な仮面をかぶりながら、先祖供養に熱心なのは、教義の本質や信仰の対象が一神教の神(God)ではなく先祖崇拝だからである。その一例が先祖解怨(せんぞかいおん)というものである。
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