【河村勇輝世代の新生バスケ日本代表】2023年8月28日

 バスケットを語るうえで田臥勇太の名前は外せない。能代工業時代、3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルで優勝。史上初、その後誰も成し遂げていない高校9冠を達成。高校時代の敗戦はわずか1戦のみだった。2004年11月1日、NBAフェニックス・サンズと契約した田臥は日本人として初めてNBAでプレー。NBA最高のポイントガードだったナッシュと交代で出場し、初得点も記録。岡山恭崇(NBAドラフトにかかった最初の日本人。身長230cm)以来はじめて日本人が米国で注目された選手であった。

 世界を見据えていたサッカーや野球、バレーと違い、バスケットは世界との差がありすぎる競技だった。国内の人気が高く、プレイヤーの数が多い割には米国、欧州との差が埋まらず、田臥以降日本を世界レベルへと押し上げるキーマンとなる選手は生まれなかった。

 2018年に渡邊雄太が田臥の後押しもあり米国留学から2ウェイ契約(1軍と2軍の両方での契約のようなもの)獲得。同年10月にNBA選手登録され、2人目のNBAプレイヤーとなった。

 2019年には八村塁が岡山以来2人目となるNBAドラフトで一巡目に指名がかかり、この時点で3人目のNBAプレイヤーに決定。ドラフトから正式に選手になった初めての日本人となった。

 渡邊、八村の2人のNBAプレイヤーの誕生の影で日本では河村勇輝という1人の天才が中学、高校のバスケを席巻していた。2018年、松崎裕樹とのコンビでウインターカップ優勝、松崎卒業後もウインターカップ連覇した河村はその時点ですでに将来の日本を担う存在と言われていた。福岡第一高校時代では、ウィンターカップを2連覇のほか4つの全国大会タイトルを獲得。Bリーグの最年少記録を次々に更新し、大学ではアシスト王を獲得。2022-23シーズンには、BリーグでMVP、ベストファイブ、新人賞と数ある賞を総なめ。日本代表としてはU16、U18代表を経験し、2022年にA代表。ファンの間ではリアル宮城リョータの異名を持っている選手だ。

 今回のバスケット日本代表W杯メンバーは富樫勇樹世代と河村勇輝世代のミックスだ。今回のメンバーで冨樫世代と言えるのは原修太と比江島慎(どちらもシューティングガード。3ポイントシューター)くらいで渡邊雄太や馬場雄大(スモールフォワード。NBAにもっとも近い男)は冨樫に年齢は近いが人間関係的には河村世代といって良いだろう。西田優大、井上宗一郎、吉井裕鷹といった24〜25歳といった中学高校時代に注目された選手は河村が1年の時に3年だったことで強く刺激を受けていた人たちだ。そして今回のメンバーの目玉というべきが川真田紘也(センター。身長204cm)そして帰化したジョシュ・ホーキンソン(センター。身長208cm)という2人のビッグマン。そしてフィンランド戦での超ロングレンジ3ポイントシュートが記憶に新しい富永啓生だ。無双していた高校時代の河村の唯一のライバルと言われたのが桜丘高等学校時代の富永。ウインターカップで河村率いる福岡第一を唯一苦しめ、同大会の得点王となったシューティングガードだ。

 東京五輪で銀メダルを獲得した女子バスケと同じく、日本は中から外というパスから3ポイントという戦略。ちなみに五輪での女子メンバーは3ポイント成功率が約40%。驚異的な成功率であった。男子もそれを目論み冨樫、河村をはじめ3ポイントシューター中心のメンバー構成。それを東京五輪女子チームのヘッドコーチだったトム・ホーバスが率いる。

 ドイツ戦での後半、そしてフィンランド戦。どちらもゴール下での勝負を避け、外からゴール下、ゴール下から外へと戻し3ポイントという基本形ができていた。どの国が相手でも身長差で不利な日本は3ポイントをフリーで打つスクリーンプレー、相手の3ポイントではボックスアウトを徹底する、中学、高校時代に日本のバスケプレイヤーが基本としてやっていたことが重要。こういった細かな動きは背が高く、体格の良い海外プレイヤーはやらないことが多い。

 田臥がもっとも不得意だったのは意外かと思われるがシュートだった。彼のシュート決定率の低さがNBAプレイヤーとして一流になれなかった原因である。しかし河村世代はどの選手もペイントエリアだけでなく3ポイントライン前後どこからでもショートを打つことができ、その成功率は世界レベルだ。さらに身長が高い相手を前にしたフェイダウェイシュートも得意としている。

 なにはともあれ、欧州国家からの初勝利はただの1勝ではない。日本の新しい世代によるバスケの新しい歴史の始まりだ。

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