天下りの職場を初めて見たとき
某財団法人で一度働いたことがあります。
理事長という人は、京大を出て○○省のOBだそうです。
定年を迎えても、天下りの職場で働けるという存在を20代の私は初めて知りました。
理事長は、毎日10時過ぎに出勤して、16時には帰宅されていました。
当時、12時からはみのもんた司会の「思いっきりテレビ」という番組が放送されていましたが理事長室では毎日テレビを見ているらしく音が聞こえてきました。13時以降になってもテレビの音は聞こえてきました。仕事というと、社内の観葉植物に水をやるのが仕事のようでした。
何かあれば、○○省のOBとして口利きをしてくれるそういう存在だったのでしょう。
他のスタッフたちも皆、大手企業や○○省などから出向で来られているので電話が鳴っても男性たちは誰も出ません。だけど給与だけはたくさんもらっているんですね。
ある日、職員の一人が海外出張(ヨーロッパ)に行く際は壮行会と称して昼間から皆でワインを飲んでいたのが印象的です。今から20年前に昼間からサラリーマンがみんなでワインを飲むという行為を経験したのははじめてでした。
また、ここの財団の勤務終了時間は17時迄でしたが、飲み会の日は16時50分に男性たちはコートを着てバッグを持ってオフィスの入り口に立っていました。
そして時計が17時ジャストになった途端にオフィスのドアを開けて飲み屋に出かけていきました。
民間で働いてきた私には財団の彼らの行動にまたまた驚きました。
民間で、汗水たらして一生懸命働いている人達がいる中で、京大をでて○○省に就職するとエリートコースという道が準備されていて定年してもまだ天下り場所がある。そんな世の中が存在することに20代の私はとても驚いたものです。
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