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黒山家の秘密 第十一話

「っ!?」
 俺は空間の中で目を覚ます。
 汚れを知らない白に囲まれたその場所では、無数の淡い光が浮かんでは消えていた。
『起きたのね』
 声のする方を見る。オレの足下より少し離れたところに、それはいた。
 真っ白な体毛に、ブルーとイエローのオッドアイの猫。きちんと前足を揃えておすわりをしていて、尻尾はその足元に巻き付くようになっている。
『あんた、「戌」の子よね』
「そう……だけど。君は?」
『アタシは――フンッ。ホントは名乗るのも不服だけど』
 不服そうに舌打ちをした猫は、眉間にしわを寄せた。
『十二支に選ばれなかった「猫」よ』
 十二支に選ばれなかった猫。
 それは十二支の伝承で描かれている、ねずみに騙されたことで神様に選ばれることはなかった、あの猫のことだ。
「アンタのお仲間に頼まれたの。アンタのその身に宿る、呪いの解除をね」
「呪い?」
 その言葉を反芻すると、ズキンと頭が痛んだ。さっきの女性の泣き顔が、脳裏をかすめた。
 猫はその様子にふうん、とつぶやくとその目をゆっくりと見開き、輝かせた。まるで、俺の内側を吟味するように。青と黄色の目が、星空みたいにきらめく。
『なぁるほど。これじゃ「子」の子供が手こずるのも納得ね』
「『子』の子供って、新子さんのことですか」
 猫は不快そうに頷いた。うーん、どうやら新子さんのことを嫌っているらしい。
何だか殺気立っているし。
「まあ、頼まれれば応えるのがアタシの仕事。アンタ、おでこ出しなさい」
「は、はい」
 ちょいちょいと猫に屈むように指示されるので、俺が前髪を掻き上げてしゃがむ。そうすると、猫のやわらかい右前足が触れた。
「なるほど、三重になった呪いね。これは高度だわ……。第一層は解除、第二層に潜り込んで……っ!」
 バチン! と脳内で音が鳴る。不快そうに顔をゆがめて、前足をぷらぷらと振る猫。
 俺の脳内に、様々な記憶が映像の渦の様に流れ出した。
 身内と思われる女性の顔。
 俺のおでこを悲しげに撫でる男の子……これは俺の兄だろうか。
 行灯の明かりだけがかろうじて照らしている、暗い部屋。
 星空の下、知らない女性がおれの手を引いて駆ける様。
「はあ……なんなのよもう。前足焦げちゃったじゃないっ!」
「す、すごいですね。頭が何だか軽い……」
 俺の言葉を聞くと、猫はぱあっと顔を輝かせ、ぽんと誇らしげに胸を叩いた。
『解呪の能力は「子」の子供より、アタシの方が断然上だもの! そりゃ当然よねっ』
 何だか誇らしげに鼻息をならしたな、と思ったら。
「ゆ……ういち?」
 俺のとなりに、見覚えのない女性が驚いた様子でこちらを見ていた。すらりとした身体に黒のワンピースを身に纏っていて、瞳はラピスラズリの色。
「え……」
「ユウイチっ!」
 女性は俺を抱きしめると、俺の胸にすりすりと顔をこすりつけてきた。
 ふさふさとした髪からのぞく首元を見ると、愛犬の首輪に似たチョーカーをしている。 そういえば彼女の香りも、嗅いだ覚えが。
「もしかして……ラピス?」
「うんっ! よく分かんないけど、サクラとお揃いになったみたい!」
「お揃い……じゃあ」
 猫の方を見ると、にんまりと笑っていた。
『第一層、第二層の解呪成功ね。とはいっても、第三層までは至らなかったけれど』
「その呪いって……」
 俺はごくりと唾を飲んだ。
『第一層はアンタの能力を封じる呪い。これのせいで、「戌」は本来の力を振るえていなかったのよ……これはあの鬼婆の呪いね。第二層は、アンタの記憶を封じる呪い。これはどちらかというと、アンタを守るための呪いね』
「俺を?」
 そうよ、と猫は頷いた。ラピスは俺に抱きついたまま、興味深げに耳をかたむけている。
『第二層、そして第三層の呪いは……アンタのお兄さんがかけた呪いで、間違いないわ』 猫は弾かれた前足を丹念に舌で手入れすると、空間の外を見つめるように目を細めた。
『……外が騒がしいわね。アンタはもう出てきなさい。用事はもう済んだから』
「ありがとう」
『え?』
「……俺のするべき事、わかった気がする。ありがとう」
 猫は縦長の瞳孔を細くしてしばらくポカンとしていたが、ふいっと俺達から視線をずらす。
「……まあ、感謝されることはしたし? と、当然……よ」
 あれ、照れてるのかな? と思っていると、猫は左前足を振る。そうすると、俺とラピスはまた圧縮されるように外に放り出された。
「アンタもお仲間達も、上手くやんなさいよー!」
 猫のその言葉だけが、俺の耳に届いた。



 「子」の祠の前で目を覚ますと、その場は戦場と化していた。腕や脚に負傷しながらも眼前の人物を睨む大虎くん。
 そして――
「理花っ!」
 その場に倒れ込んでいる理花を見つけて、俺は彼女の側に駆け寄った。
 理花の心音を聞く。大丈夫だ、ちゃんと生きてる。息もしてる。
 怪我も、「丑」の力である程度治癒できているようだ。
「すんません先輩! 俺、まだ能力上手く使いこなせなくって……くそっ!」
「ユウイチ! あいつだ……あいつから、二人の血の臭いがする!」
 ラピスがうなり声を上げて威嚇する先には。
「お前がユウイチかァ! ほんとだ、あいつによく似てルネ」
 チャイナ服風の衣装に身を包んだ少女が、木の音を立ててカラカラと笑っていた。
「ら……」
 理花が呻きながら薄く目を開ける。その双眼からは、一筋の涙が流れた。
「理花?」
「来来(らいらい)ちゃん、どうして……っ」
 来来。その言葉に俺は記憶に飲まれた。

 俺達が小さい頃のこと。丑尾田家にあったとある人形に、理花が付けた名前だ。
 当時、引っ込み思案で内気だった理花に、彼女の祖父が与えた、女の子のからくり人形。理花の母は裁縫が得意だったから、そのからくりによく服を作ってくれていたっけ。
 でもどうして、そのからくり人形がまるで人間みたいに動いてるんだ――?

「そのオンナ、あたしのこと来来って呼ぶ。デモネ、アタシはそんな名前じゃナイ。アタシは琥珀。姉様からもらった、大切なナマエ」
 うっとりとした表情で、胸元に手を当てる。
 だが、その表情から血が抜かれたように冷たい表情になると、ゆっくりと指先を俺に向けて、クスッと笑った。その指先は、血が滴っている。
「黒山ユウイチ。お前の命をいただきにキタ。仲間が殺されたくなかっタラ、おとなしくシテロ!」
「ユウイチ、なんとしてでも止めなきゃ!それと……」
「大虎だ! お前は確かラピスだよな? 優一先輩とラピスがいれば、負けるわけねえよな!」
「やれるものなら、やってミロ!」
 からくり少女の高笑いが響き渡る。俺は腹をくくると、襲いかかる敵に身構えた。



 一方で「辰」の祠の近くでは、鬼の面の男と玲が戦っていた。先ほど琥珀が倒した竜のような式神は、主を仮面の男に「書き換えられた」らしい。赤く光る目でケタケタと造られた笑い声を上げ、空中で身体を回転させている。
「思ったより威勢がいいだけだな、次期酉水家当主は!」
「くっ……!」
 玲は面の男に馬乗りになられている状態で、首を絞められていた。
 玲は何とか振るえる右手を動かし、くいっと空間に向けて振る。
そうすると、無数の白銀の羽が男の背後目がけて襲いかかった。
 男はぐるんと振り返ってその身体から呪いを吐き出す。8割ほどの羽が打ち落とされるが、残りは男の背中に突き刺さった。
「ぐ……っ」
 男の背中から血が流れるが、男は構わず玲の首を絞め続ける。玲が酸素を失い、意識を失いかけたその時。
「止まれ」
 ルリをのせた白い馬が、鬼面の男を蹴り飛ばす。男の身体は近くの林へとつっこんでいった。 
『待たせてごめんねー!』
 咲楽が人の姿に戻る。咳き込む玲の背中に優しく触れ、傷の度合いを確認する。
「おせーですよ、ルリ嬢」
「玲ちゃん……!」
 近くの茂みに身を隠していた宇佐美と白椿が、顔を出した。
 宇佐美は少し目元に涙をためて玲の元へ走ってくる。白椿は、ばつが悪そうに頭をかいてこちらに歩み寄った。
「ったく、戦闘に不向きなオレらは役に立たねーよなあ」
「そんなことはない。君達がいなければ、玲さんは確実にやられていたからね」
 ルリは荒い息をする玲の頭を優しく撫で、その耳とである言葉をささやいた。玲はこくりと頷くと、横たえた身を起こす。
「待たせてすまなかった」
「だい……じょうぶです。このくらい、なんとも」
 ルリは悲しそうに目を伏せる。が、茂みが蠢くので臨戦態勢を取った。
 薙刀(なぎなた)を構え、敵を見据える。
 その身にあふれんばかりの妖力を立ち上らせ、男はクックッと笑いながら近づいてくる。
「能力持ちで最強クラスが来たか……それも」
 男は会えて強調するかのように、言葉をためる。
「母親殺しの」
「そんな言葉で、こちらが狼狽えるとでも?」
 ルリは無表情にかすかな冷たさを滲ませた。今更そんな言葉は刺さらない、と。
「ああ、お前じゃない」
 手をひらひらさせながら、また男は笑う。
「狼狽えるのはこっちだ」
 男が指さす先で、咲楽は怒りに満ちた顔をしていた。
眉間にしわを寄せ、歯を食いしばっている彼女は、いつものあどけない表情とかけ離れている。
「咲楽、落ち着いてくれ」
「……落ち着けるわけない。お前はいつもそうだ」
 咲楽は憎悪の表情を男の身体の奥に向ける。
「酒呑童子の妻、撫子。お前はいつもそうやって人の心を傷つけ、抉って、もてあそんできた。優一くんのお兄さんの身体まで支配して」
 男が笑う。その笑い声に、次第に女の声が混じった。混じった女の声はやがて、艶のある妖女の声へと変貌する。
「なあんでわかったんー?」
「鬼婆め……!」
 怒りの声を上げたのは、玲だ。傷だらけの身体でよろけながら立ち上がる。
「玲ちゃん……」
 宇佐美が心配で指しだした手を、ゆっくりと引っ込ませると彼女は
「私の……最愛の母の心を、声を! 奪ったのはお前だな!」
 と、怒りと悲しみに満ちた声を上げた。

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