パンジー商店の福福兄弟 第1話
5月。例年よりも気温が高く、もう真夏だと感じる暑さが突然襲ってきた日の午後。
聞こえるのは古びたラジオの音声だけ。軽快な音楽とともに、DJが曲紹介をしている。
カウンターに置かれた電話が、鳴った。
幸申(ゆきのぶ)は「ヴォッ……」と踏まれた獣のような声を出して、受話器を取る。
「はい、パンジー商店です……ん?……いや、番号間違えてますね……はい、はーい……」
気だるげに受話器を置いた彼は、ちらりと壁の時計を見やり、顔を伏せる。空調の効いた室内、昼食後の眠気。昼寝をしたくなるのは当然だ。
「ただいまっ」
立てつけの悪い引き戸をいともたやすく開け、幸申に声をかけるのは大虎(たいが)。幸申の血の繋がらない弟だ。
「……兄貴?」
返事がないのでとりあえず腕を叩き、反応を見る。
一ミリも動かないのを確認し、耳元に回り込んで
「ただいまあ!」
と絶叫した。
「ギャッ」
幸申が椅子から崩れ落ちた。大虎は愉快そうに腹を抱えて笑う。
「アホかお前! おま、ホンマに……どアホ!」
幸申は耳の辺りをおさえている。
「大阪弁兄さんただいまですっ」
「……おかえり……あ゛ー、よく寝た」
伸びをすると、体がなまっている証拠の音が鳴る。
大虎は店のすぐ横にある自宅の台所に弁当箱を出し、水につけた。
自宅と店が繋がって建てられているのだ。
「向かいのおばさんがくれたお供え物、仏壇にあげとくね」
「おう」
幸申は大虎が仏間に消えていくのを見ながらラジオを止め、何やら引き出しをごそごそと探る。
そうか、あのおばちゃんが供え物をくれる時期か……。
引き出しの中の数年前の自分たちと、両親が写った写真を手に取った。
仏間から微かに香ってきた線香の香りに、思わず目が潤んでしまう。
「父さん、母さん。おれ、もう高校生だよ」
大虎のよく通る声が、幸申の心をさらに揺さぶった。
「これが家族そろっての最後の写真……か。どんな冗談や、ほんまに」
写真の両親は、ただただ幸せそうな笑顔でこちらを見返していた。
幸申と大虎は、連れ子同士の兄弟だ。
幸申は母に連れられて、地元である大阪から東京に来た。
懐っこい大虎に最初は困惑したものの、今ではすっかり可愛がる一方だ。
「おい、ゆきのぶ」
「……どんなタイミングで来るんだよ」
「何を言っているのだ、いつもの時間に来たのだが?」
声の主は、奇妙なものだった。
千草色の毛並み……の、猫のようなもの。
古臭い土色の着物に身を包み、みょうちきりんな冠を載せた、2本のしっぽがある妖、猫又だ。
猫麻呂(ねこまろ)と名乗るそれは、カウンターの上に飛び乗った。
「約束を破るのは男ではないからなあ……ん? 泣いておったのか?」
「……チッ。で、今日は何の御用で?」
「舌打ちするとは……ほれ、この間頼んでおいたアレを受け取りに来たのだ、出せ」
「はいはい、これね」
幸申は近くの棚から書店の袋に入った冊子を取り出す。
猫麻呂は目を輝かせてそれを受け取った。
小さな前足でページを軽快にめくっていく。
本には『これで貴方もキャッシュレスマスター! 現金を使わない決済 完全網羅』と書かれていた。
「お前さ、スマホとかカード持ってないじゃん? 役に立つのか?」
「何を言う! これは今とても旬なのだ。話題にもなっておるし、人の世の勉強になるぞ!」
「ふーん・・・・・・」
「兄さん! ネコぉ!」
ガラッと引き戸を勢いよく開けて、大虎が店に入ってきた。
「兄さんはネコではありませ~ん・・・・・・って、何だ、それ」
大虎が抱えていたのはーー白い生き物だ。
ふわふわの毛に青い瞳、体には黒の模様があった。
大きさは大型犬の子犬ほど。それは、まるでーー
「・・・虎?」
☆
「え、この子ネコじゃないの!?」
「多分・・・・・・ネコにしてはデケえだろ」
冷蔵庫にあった肉の切れ端を食べさせると、その生き物は喜んで食んだ。
「うんぐるあ~」
「はは、喜んでるのかな、可愛いね」
大虎はよしよしと虎と思われるものを撫でた。
「ぐるう~」
青い眼が、大虎を捉えた。その表情はまるで、笑っているかのようだ。
『ごはん、うまい! ありがとう』
虎は、明らかに人間の言葉を吐いた。
「え・・・・・・?」
虎が勢いよく大虎の胸に飛び込むと、跡形もなく消えてしまった。
「おやおや、寅に見初められてしまったのか」
「は・・・・・・?」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?