黒山家の秘密 第三話
夢を見た。小さい頃の夢だ。
俺がまだ小さい頃、誰かと一緒にいたときの夢。
あの後ろ姿は、婆ちゃんじゃない。
……君は、誰だ?
目を開けると、俺の布団をのぞき込むように白い馬が立っていた。大きな鼻で俺の顔のにおいを嗅いでいる。
「お目覚めかい?」
「ぎゃっ!?」
俺は思わず布団を蹴っ飛ばし、まくらを盾にした。何、どういうことだーー!?
「あはは! 驚きすぎじゃないかい?」
「う、馬がしゃべってる……!?」
「こら咲楽、その姿だから驚いてるぞ」
ふすまの隙間からルリさんが顔をのぞかせた。ポン、と馬の首のあたりをたたく。
「あー忘れてた! ゴメンゴメン」
馬は嘶くと、姿を少女に変えた。ポカンとしている俺を見て、鈴を転がしたように笑う。
「さ、咲楽さん……?」
「言うのを忘れていたけど、私は「午」なんだよね~」
「そ、そうだったんですね……で、なんでうちの学校の制服を?」
「学園にとある調査をしに行くんだよ」
「調査?」
「ああ。私の代わりに咲楽が行ってくれているんだ。学園内の妖を探すためにね」
「妖……」
俺はツバを飲んだ。
「それで、君にも手伝ってほしいんだよねー」
「頼めるか?」
ルリさんが首を傾ける。その仕草も、美しいと思ってしまう。
「は、はい。いいですけど」
「やった! じゃあよろしくねっ」
咲楽さんが俺の腕をつかんで、ぶんぶん振った。
午堂家の食卓で、俺はルリさん、咲楽さんと食事をした。
ルリさんのお父さんは、朝早くから仕事でいないそうだ。
改めて思うと、古くて大きな家だなあ。天井が高い。
なんて思っていると、ルリさんが目玉焼きとウインナーをお皿に載せてくれた。
「そうだ。君には十二支のことを説明しておかなければならないね。それに、酒呑童子についても。食べながら聞いてくれ」
「分かりました」
向かい側に座ったルリさんが、真っ直ぐに俺の目を見ながら口を開いた。
「十二支のお話は知っているかな」
「はい、確か神様に選ばれた動物たち、でしたよね」
「そうだ。子(ねずみ)、丑(うし)寅(とら)、卯(うさぎ)辰(りゅう)、巳(へび)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)の十二体だ。彼らは昔その力で、大妖怪の酒呑童子を封じたんだ。だが……」
ルリさんはチラリ、と咲楽さんの方を見る。
頷いた咲楽さんは言葉を続けた。
「その封印が、最近弱まってしまったんだよ。封印の間、と言われるところで酒呑童子を円で囲むように、十二個の玉(ぎょく)があったんだけどね。寅と戌の玉が、何者かに割られてしまったんだ」
「……それって、昨日の」
あの、白い犬。
「そのようだね。ラピスだっけ? 彼女は今、君の身体の中で霊力を蓄えているんだろうね」
「なるほど……」
そういえば、今日はラピスから何のメッセージもない。眠っているのだろうか。
「十二支のうち「丑」と「寅」それと「未」「申」「酉」「戌」は、鬼に対して非常に有効な力を備えているんだ。要の六つの力のうち二つも失ってしまっては、どうにも分が悪くてね」
「そうなんですね……」
★
通学路を咲楽さんと歩いていると、向こうから少しくせ毛が目立つ女の子が歩いてきた。
「あ、咲楽ちゃんおはよう! その人は?」
「あ」
やっぱり、理花だ。
「理花おはよっ。彼はつい最近友達になった、黒山優一くんだよっ」
咲楽さんは普通の女の子のように受け答えをした。擬態は完璧だ。
「あのっ俺のこと、覚えてる?」
「えっ」
理花は大きな目をぱちくりさせた。しばらく固まっていたが、突然耳まで真っ赤になり
「キャーごごごごめんなさーい!」
と叫びながら去って行ってしまった。
「え・・・・・・?」
咲楽さんと俺はぽかんとしたまま、取り残されてしまった。
☆
放課後。始業前に咲楽さんと約束した中庭でたたずんでいると、向こう側から理花が歩いてきた。
こっちに気づいた理花はまた顔を真っ赤にして、じりじりと俺から距離を取る。
「ねえ理花、待って」
「ゆ、ゆーくん……」
ゆーくん。俺の小さい頃のあだ名だ。てことは、やっぱりーー
「俺のこと、覚えてるんだね?」
理花は何も言わない。ただうつむいて、スカートを握りしめている。
「理花。どうして俺を避けるの? 俺、何か君にした?」
「……なんだね」
「え?」
「ゆ、ゆーくんって……」
理花が顔を上げる。キレイな黒の瞳が揺れていた。
「男の子、だったんだね」
「え?」
何、どういうこと?
「……小さい頃のゆーくん、すっごく可愛かったし、まつげも長かったし、手も足もキレイだったから……! 私、ずーっと女の子だと思ってて……」
最後の方は消え入るような声で、理花は言った。手で顔を覆う。
「……理花」
「……ハイ」
「俺、そんなに可愛かったの?」
「ハイ……」
「……そっか。なんだ」
「え?」
俺は笑った。てっきり彼女を無意識に傷つけてしまったのかと思っていたが、そうじゃなくて、安心した。
「理花、そんなこと気にしなくていいよ。俺、確かに男だし、女の子だと思われてたのには驚いたけど……」
理花の頭を撫でる。あの頃みたいに。
「嫌われてなくて良かったよ」
理花の瞳から、涙が一粒こぼれた。
「怒って、ない?」
「ぜんぜん!」
「……うー良かったあー」
理花は安心した様子で胸に手を当てた。
「ねえ理花。せっかく再会できたから……」
「あらら? 不純異性交遊?」
「え」
振り向くと、そこには綺麗な女の人が立っていた。
黒の上品な着物に身を包んだその女性は、草履の音と共にこちらにやってくる。
薄く微笑んだ口元に紅、伏せられた目、短く切りそろえられた黒髪、肌の色が白いその人は、とても綺麗だった。
と、その目から、涙が落ちてきた。
「……あら」
女性は涙を拭う。その所作も、とても美しいと思ったが、なぜ突然涙を?
「ごめんなさいね、歳だからか涙腺が緩くなってもうて。もう、困るわあ」
「い、いえ……」
「ね、ねえゆーくん」
「あ、ごめん。何?」
「私C組だから、いつでも遊びに来て」
「うん、分かった」
「ふふ、じゃあね」
理花が去って行った。彼女の髪からはほんのりと、シャンプーのいい香りがした。
「なあに? あの子、貴方の恋人なん?」
「い、いえそんな! 幼なじみです」
「ふーん? まあ、そやったらええわ。あ、私購買部の撫子っていいます」
さらりと春の風に髪を揺らしながら、彼女は名乗った。
「貴方、新入生やね? 欲しいもんあったらまた買いに来てね」
「は、はい……」
「じゃあね」
「……すごく、美人だった」
『ユウイチっ』
脳内に、ラピスの声が響いた。
「おはようラピス。よく眠れた?」
『うーん、まだ寝たりないや……』
「そう? じゃあもうちょっと寝ておきなよ」
『妖の気配がしたから、大丈夫かなと思って』
「え?」
『……近くにいると思うんだ。匂いで分かるよ』
木々のざわめきが、妙に反響する。
「……どこだ?」
辺りを見渡す。桜の木の影? 池のほとり? それともーー
「キャア!」
理花の悲鳴だ。俺は冷や汗を流しながら、声のする方へ走った。
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