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海と共に 第二話 -襲来編-

 ホコリにまみれてはいるが、背中から真っ黒な羽を生やした彼は、いわゆる「吸血鬼」である。

 服は中世の貴族が着ているような豪華なものだ。血のように赤い宝石が、首元で鈍く光っている。吸血鬼の男はその宝石を、近くの比較的キレイな布で磨いた。

 にやりと笑う口元からは、吸血鬼の証であるするどい牙がのぞいている。

「さて……食事をとらないとな」

 10日後。おぼろ気な月明かりが照らす深夜。

 2人組の若いカップルが、吸血鬼が住む屋敷へとやってきた。屋敷の窓は割れ、観光客が残していった落書きもある。

「なあ? ここ立ち入り禁止だぞ? やめよーぜ。駐在さんにしょっ引かれるぞ」

「アンタって真面目ねー。ホント何言ってんの? この島の駐在さん、バカみたいになーんにも怖くないじゃないっ。ほら、早く入るわよ」

 さび付いた金具の音を立てて、重い扉を開ける。中はホコリまみれで、椅子はひっくり返り、花瓶は割れていて、荒れ放題だ。

 かつかつとヒールの音が響く後ろで、男が震えながら立ち尽くしていた。

「動画なんてもっと他で撮ろうぜ? 俺はここで待ってるよお……」

「はあ? アンタだって知ってるでしょ? こういう廃墟が今流行ってるの! 生配信したら、再生数爆上がりよ! ゆくゆくは私も100億再生数の女になるのよっ!」

「絶対ここ出るヤツじゃん、俺無理!」

「おや、お嬢さん」

「!」

 突然、部屋の明かりがついたかと思うと、ひょろりとした男がこちらを見ながら微笑んでいた。

「お嬢さん。道に迷ったのかい? こちらへおいで。温かいスープを作ったんだ。今晩は冷えるから食べなさい」

 月明かりに照らされた男は、まるで絵に描いたような美青年だ。儚げな表情で、女性に手招きをする。

「やだイケメン! はい、是非いただきます」

「おいお前っ! 俺という彼氏がいながら……じゃなくて、こんなぼろ屋に人……ん?」

 女性の彼氏は、男から異常な雰囲気を感じ取った。まるでーー彼は人間ではないのかのような、異様な感覚を。

「良い香り、何のスープですか……きゃっ」

「おっと危ない、大丈夫ですか?」

 転びそうになった女性を、優男はそっと抱きしめるように支えた。女性と優男の顔が、自然と近くなる。

「かっこいい……」

 女性の顔がぽうっと赤くなると、優男はにやり、と顔をゆがめた。

「ご馳走が向こうから来るとは、なんたる幸運だろうねえ? お嬢さん、君はボクがちゃんと責任を取って……」

 男の口が裂ける。ぎらり、と牙が鈍く光った。

「一滴残らず血を吸ってあげるからね!」

「えっ」

 彼女の方は抵抗する間もなく、首筋にかみつかれる。かすれた叫び声を上げ、やがてその顔は生気を失い、ぐったりとしていく。

「沙織!? ば、化け物……化け物だ!」

 男は彼女を置いて一人逃げ出した。

 吸血鬼は女性の首筋から口を離すと、はあとため息をついた。

「ギャーギャー五月蠅い……ボクの食事の時間だぞ、静かにしろ」

 叫び声を上げながら遠ざかっていく男を睨んでいたが、思い出したように吸血鬼は言う。

「ーーそうだ。我が下部達よ、追え。最初に捉えたモノがその男を食って良い。腹を空かせているのは、お前達も同じだからなあ」

 吸血鬼の袖口から無数の黒い塊が飛び出した。その塊はやがて蝙蝠の軍勢となり、男めがけて弾丸のように羽ばたく。

「うわ! 来るな、来るなーっ! ギャアア!」

「フフ、ハハハハハ!」

 妖しい月夜に、化け物の笑い声が響いた。

「吸血鬼?」

「そう。もう島中パニックよ!」

 太陽が大海原へと沈む頃、こころはリリーのいる海岸にキウイが挟んであるフルーツサンドを持ってやってきていた。

 2人は毎日のように、ここで食べながら喋るのが日課になっていた。

「カップルが人ではない『何か』に襲われて、女性が重体なの。女性の首元には2本の牙みたいな跡があったんだって。それって……まるで吸血鬼に襲われたみたいじゃない?」

「……確かに」

 リリーはキウイの酸っぱさに少し顔をしかめながら、頷く。

「リリーは何か心当たり無い? 吸血鬼について」

「そうね……ないわ。吸血鬼と言う存在についてはこころが知っている程度の知識はあるけれど、面識はないから」

「そっか……」

「それより……今日はグチ、ないの?」

「そう! 最近クラスの子達に、私が毎日海に行ってるからってあることないこと色々噂されてるの。もうめんどくさくって!」

「……毎日ここに来なければ良いんじゃないの?」

「それは嫌! だってリリーが好きなんだもの」

「……」

 リリーは何やらそっぽを向く。こころは「?」と首をかしげて、フルーツサンドをかじった。波の寄せては返す音だけが、しばらく響いていた。

「ねえこころ、私はバケモノよ。その話のバケモノみたいに、いつか貴方を襲うかもしれない。それでも、アナタはここに来るの?」

「そんな! リリーは化け物なんかじゃないわ!」

 こころは何てことを言うんだ、と言う表情で叫ぶ。

「だって、こうやってお話もできるし、優しいし……人と同じ『心』を持ってるじゃない」

「こころ、聞いて」

 リリーは無表情で、こころを見つめた。いつもより、もっと冷たい表情だ。

「明日、私が貴方を襲わないって誰が保証できるの? 私は、人間じゃないの。分かってる?」

「……もし、リリーが私を襲うなら」

 こころは、笑顔とも泣き顔ともとれない表情で

「その時は、本当にこの海で死ねるのね」

 と呟いた。

「こころ……」

 こころは制服についた砂を払うと、海辺へと視線を向ける。オレンジ色に輝く太陽が、こころ達を照らしていた。

「私ね、まだ人生に絶望してるの。だからいつ死んでも大丈夫。リリーがその時に側にいてくれるならね」

 太陽を背に穏やかに笑うこころを、リリーは見つめるしかなかった。

「私、そろそろ帰るね。今日もありがとう、リリー」

「こころ」

 リリーは、自分の髪飾りについたパールをひとつもぎ取ると、こころの手に握らせた。

「リリー?」

「……お守り。気休めかもしれないけれど、持っていなさい」

「貰えないわ。だって」

「いいから」

 リリーの表情は読みづらいが、おそらく真剣に言っているのだろう。

「少なくとも、今日はアナタに身の危険があっては……困るの。だから」

「ほんとにいいの?」

「ええ」

 こころは真珠を見つめていたが、大事そうにハンカチで包むと、そっとポーチへ入れる。

「ありがとう、リリー。やっぱり優しいじゃない」

「……ただの気まぐれよ」

「気まぐれでもいいわ、じゃあね!」

「……お守りかあ。人魚秘伝の魔術でもかかってるのかなあ」

 こころはすっかり暗くなってしまった道を歩いていた。ポツポツと家の明かりが見えるのを頼りに、自宅へと向かう。

「ずっとリリーといられたらいいのになあ、家になんか帰りたくない……」

 はあ、とため息をつきながらも、その足は着実に家路をたどる。

「お嬢さん。今夜は月が綺麗ですね」

「え?」

 突然目の前に現れた背の高い男性に、こころははっとする。

 ーーこのヒトって、もしかすると。

「ボクはラッキーだ。今度はこんなにかわいらしい女の子の血が吸えるのか」

 男がそう言った直後。

 こころの身体が、自由に動かなくなった。金縛りにあったのかのような感覚だ。

「き、吸血鬼……!」

 そうこころが叫ぶと同時に、こころの学生鞄がガタガタと揺れ出した

「ん、なんだ?」

 学生鞄の中に入っていたポーチから、リリーがくれた真珠が飛び出した。

 真珠は吸血鬼がひるんでいる瞬間に、水で出来た小さな人魚を生み出す。

「なんだこのまじないは!?」

『ココロニサワルナアアア!』

 小さな人魚はそう絶叫すると、吸血鬼へと突進した。吸血鬼にぶつかると人魚ははじけ、吸血鬼の肌へと降り注いだ。

 吸血鬼の肌が、黒煙を上げてただれていく。

「……はっ、動ける! これが、リリーがくれたお守りの力?」

「おいお前……ボクにこんな酷い仕打ちをしておいて……」

 吸血鬼は肉がむき出しの顔を覆いながら、呻く。

「ただで返すわけには行かないぞ!」

「黙れ変質者っ」

 突然現れた大柄な青年が、吸血鬼めがけて右ストレートを繰り出した。メキメキと骨にひびが入る音がして、吸血鬼はその場に倒れ込む。

「な……なんだ、お前……」

「先輩、大丈夫スか」

「……あなた、は」

 がっしりとした体格の、背の高い男の子だ。

「ああ。俺は1年の相崎竜輝(あいざきたつき)っス。美化委員会、一緒でしたよね?」

「……あ、あー! 相崎くんかあ、そうだったね」

 こころは視線を泳がせながら答える。覚えていないのだろう。

「おい……ボクを差し置いて逢い引きまがいのことをするんじゃない!」

「黙れ変質者。お前、今どんな立場なのか分かってるのか? 俺が警察官なら現行犯逮捕だぞ?」

「……野郎には用がない、消えろ……あ?」

「は?」

「え?」

 吸血鬼はどす黒い血をボタボタと吐くと、小さくなっていく。やがてその姿は、蝙蝠のようになった。

「……え、どういうこと?」

「さあ……」

 竜輝はその辺に落ちていた木の枝で突いてみたが、全く反応がない。気を失っているのか、死んでしまったのか、呼吸している気配がない。もっとも吸血鬼なので、そもそも息をするのかどうかも2人には分からないのだが。

「うーん、このまま放っておくのも何なんで、俺が連れて帰ります」

「え、でも危ないんじゃ」

「大丈夫っスよ。俺、腕っ節には自身あります」

 がっしりとした腕で力こぶを作る。しっかりと筋肉が浮き出たので、こころは納得したのか頷いた。

 先ほどの右ストレートのこともあるし、任せて大丈夫だろうと思ったのだろう。

「じゃあ、お任せしようかな」

「はい。じゃ」

 こころが手を振って家路へと向かっていく。竜輝は軽く手を振り返すと、蝙蝠になった吸血鬼をつかんだ。

「さて……こいつのこと、じいちゃんにでも聞いてみるか」

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