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伊與久七郎右衛門

大分県中津市の古文書「小楠村誌」の(中津家中新古盛衰の事)によると、中津小笠原藩3代長胤公が改易された騒動に連座する形で旧主派の家臣数十名が所払いされた中に、何故か(三人扶持二十石取)として「伊與久七郎右衛門」と言う人物が連座していると言う。

群馬の超ローカルな家の者が、なんで豊前に………と思いましたが、近くの日出藩や豊後岡藩、また広島や肥前名護屋、ほか西日本の各所に真田様の足跡があり、それに附随するように奉行衆が移動し土着しているらしいので、もしかしたらその残滓という可能性も有るので、私的には軽視出来ない発見でした。

今も伊与久さん、中津に居るのかな?
(伊与田さんは中津には結構居られるようですが、そちらとは関係無いようです。)

妻の実家からあまり離れていないので、一度調べに足を運びたいものです。

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