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「なぜ?」の追求に潜む罠

こんにちは。理学療法士のこうやうです。

今回も

ただの独り言です。

最近独り言が多いですが

ご了承ください。



セラピスト・トレーナーとして働いていると

必ず不思議な現象を目の前にする時がある

と思います。

例えば

足の施術をした後に

上半身の症状が改善したり

上半身のトレーニングをしてたら

膝の痛みがよくなったり

など 

一度どころか何度も経験したことがあるはずです。

もちろん悪化などの逆も然りです。 


このようなことが起こった時に

必ずといっていいほど

なぜ?

という疑問が湧きます。

これはこのような業界にいる限り

宿命みたいなものですね。


この「なぜ?」の探求を続けていくことで

臨床家は成長を遂げていくわけですが

ただここで得られた理解が正しいかと

言われればそれは違うわけです。


まず人間には

現象を単一原因で考えやすい

という特徴があります。

例えば

腰痛はおそらくデスクワークからきてるなぁ

とか

今日調子が悪いのは、昨日の整体を受けたからに違いない!

とか

複雑に物事を考えることは

あまり少ないはずです。


これは人間の機能原理に基づくものと

私は解釈していますが

これが探究を邪魔している

と考えています。



探究しているときの状態というのは

いわゆる

エントロピーが増大している状態

です。

身体はこのエントロピーの収束を求めています。

エントロピーの増大の維持は

無秩序に向かうからです。

つまり探究というのは

この無秩序に秩序をもたせるために行う

本能的欲求といえます。


私はこれが罠だと思っていて

このような状態で行う探究というのは

シンプルな結論を非常に出しやすいです。

もしくは

共通のパターンというのを見出すとか。


そういった悩みが取れる瞬間というのは

強烈に印象が残るものです。

いわゆる臨床のブレイクスルーとも

表現されるわけですが

これが「人間って複雑だなぁ」みたいな
 
結論になることの方が少ないです。

だいたいは

ここの痛みにはここを見た方がいい!

みたいな結論に至ります。



人体は複雑系という原理原則がありますが

この結論は

人体の本質に対する大きな誤解を広める

要因になりえます。




探究は必要だが
自分を納得させるためにやってはいけない

という認識が重要ですね。

探究は勉学においては非常に重要ですが

目の前の現象というのは

非常に複雑かつ理解が難しいということを

前提において

思考したいものです。



本日はこれで以上です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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