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第二章 源頼朝とは?

清和源氏の流れを汲む河内源氏の出。
ひいひい爺さんの義家が前九年・後三年の役という東北鎮圧で軍功を上げ、貴族入りを果たす。このとき坂東武者を率いており、自らの懐から論功行賞をしているので、絶大な信頼を得た。
…ただ、無意味な大量虐殺などをした乱暴者でもあった。

ひい爺さんの源義親は単純に乱暴者で、厄介払いされた隠岐から脱出し出雲で反乱を起こし、伊勢平氏(のちの平家)に鎮圧された。お陰で河内源氏の評判がた落ち。

お爺さんの源為義は源氏の名誉回復に努めようとしたが、この人も乱暴者で(血筋…?笑)上皇の不興を買い、検非違使長(警察長官)に留まる。

父である源義朝は、父親の地位の低さの為、少年期を坂東で過ごす。
それをもてなしたのが上総介広常の父。三浦家の娘も側室に迎え、千葉氏の庇護も受け、坂東武者たちと絆を育んでいる。
更に、坂東のいろんな勢力の対立を調停し、坂東に平和を築いて尊敬を集めていた。更に、京都でも人脈を築いていた。それらがのちのち頼朝に受け継がれることになる。

頼朝は14歳まで京で育った為、貴族社会の空気を肌で学んでいる。
初陣で平氏に敗れ、伊豆に流され、その後二十年間、坂東武者の元で彼らの動向を学びながら育つ。
ちなみに頼朝は武者としても強かった。武士として必要とされる弓馬の道を究めていた。
つまり、京の貴族の考え方も、武士の考え方も理解でき、武家の棟梁としての力量も備えた人物となった。
後は、大河ドラマで放送された通り。
幾度も危機を生き延びているので肝も据わっている。


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