独立運動の高揚

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・はい! まとめます


だいぶブランクが空いてしまって、自分が何をどこまで書いたか分からなくなってしまったので、滅茶苦茶大雑把にかいつまもう。

イギリスという、政治的バランス感覚に優れた海洋国家に支配されているアイルランドは、大陸のフランスやドイツに助けを求め、ときには応えて貰えて軍船が派遣されるものの、天候やイギリス軍の諜報力による察知で悉く阻まれてしまう。

外国勢力の助力による救済の望みを絶たれたアイルランドの人々は、次第に妥協するし、イギリス側も「十分の一税」を物納でもなく貨幣での納入ででもいいよって緩和が取られるようになった。物納だと、保存や運搬とかコストが掛かったから面倒がられたのかな。

面白いのが、酒好きなアイルランド人の間で、この時期になると七割の人々が禁酒を誓ったという事実だ。言い出しっぺはマシューという一神父で、一躍アイルランドの教化の中心人物となったらしい。

ダブリンを流れるリフィー川に掛かる橋には、その名が冠せられている。


ファザー・マシュー橋


けれど、そんな融和的ムードもジャガイモ飢饉によってぶっ壊されたというのが、前回までのストーリーだったはず。


・終始ぐだぐだだった独立運動

1860年代、大宰相グラッドストンなる自由党指導者が、イギリス内閣の蔵相としてリベラルな財政改革を行なって、カトリックアイリッシュに有利な宗教法、土地法、投票法を矢継ぎ早に成立させてくれた。

その揺り返しとして、保守層からの強い反発に遭い、地位を失ってしまったが、彼の功績によって投票権を得たカトリックアイリッシュたちが、次の政治を担っていくこととなる。

アイルランドの自治を求める層もいれば、イギリスとの一体化を求める「ユニオニスト」も一部いたのが一筋縄ではいかないところだ。しかも、合法的に為そうという勢力と、非合法(武力やテロ)も辞さないという勢力もいたから、相変わらず情勢は複雑だ。

そんな四巴の足の引っ張り合いがずっと起こってるもんだから、一進一退の繰り返しで、イギリスの『分割して統治せよ』の底知れぬ恐ろしさを感じる。イスラエル・パレスチナ問題だって、イギリスの三枚舌交渉に端を発してるしな。


・もう駆足で解説!

様々な有能な指導者が、ときに協力し合い、ときにつぶし合いで、相変わらず一進一退の中でも、事態をじりじりと進めていく。
ちなみに、仮借ない土地差配人として悪名高かったチャールズ・ボイコット大尉に、農民たちは不買運動で対抗し、それが「不買運動」や「排斥」を意味するボイコットという英語を生むことになっている。ボイコット家の子孫は恥ずかしかったんじゃなかろうか。

チャールズ・ボイコット大尉
ポケットに手を入れてる辺りが不良ムーブ

それとは正反対に、アイルランドの民族的独立にかなりの影響を与えた人物として、チャールズ・スチュワート・パーネルがいる。天才的な人心掌握術の持ち主で、合法的な立場で議会を論破し、アイリッシュカトリックたちをまとめ上げ、小作農の立場を向上させることに成功した。
途中で女性スキャンダルで足を引っぱられて失意の失脚に追い込まれることになったが、「無冠の帝王」と呼ばれ、今でも敬意を以て仰がれているそうだ。

パーネルが復活させたアイルランド友愛団体「フェニアン協会」には、多くの作家や知識人、アイルランド文芸復興を志す人々が参加していて、ゲール語の復活や、アイリッシュ独自のスポーツのハーリング(ハリポタのクィディッチの地上版といった感じ)の復活が行なわれるようになる。
世界的詩人として有名なイェイツは、その詩の中でパーネルを「暗闇の中で燃え盛る高い柱」と讃えている。祖国の独立の為に戦い、傷つき斃れた政治家は、偉大なるものであったらしい。

パーネルの死によって、アイルランド独立運動の党勢は一時期著しく凋落したが、彼が人々に撒いた種が芽吹くことによって次第に盛り返し、アイルランド議会党の実力は無視できないものとなる。二十世紀初頭には、アイルランド国民の生活向上を目指した改革が次々と実現していった。
重税に喘がなくて良くなり、70歳以上の老人には年金が支給されるようになった。保険制度も制定実施されるようになった。
尤も、アイリッシュプロテスタントたちにとっては、自分たちの優位性を脅かされることを意味し、孤立感と反感を強めていくことになってしまう。

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