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「観光」の徒花「オーバーツーリズム」について~逆張り旅行のすすめ~

昨今、日本で観光公害(オーバーツーリズム)が問題になっている。いわゆる受け入れ体制が整わない状態で、観光客が大量に訪れることにより発生する諸問題のことだ。騒音、ポイ捨て、その他迷惑行為及びその処理に要する費用負担の上昇…発生する損害はかなり大きい。
しかもたちが悪いのは、その旅客によって地域が万遍なく経済的恩恵を受けているならまだしも、実際には一部の観光業者及び外資が儲けるだけで、地域住民には殆どメリットがないことだ。これではやってられん、というわけである。日本各地で問題になっているが、情報によると京都が特に酷いらしい。私の地元北海道でもニセコ、小樽、函館、富良野、美瑛などで問題となっているようだ。
今回はこのオーバーツーリズムを題材に記事を書いていくことにしよう。

まずは基礎的な大前提から押さえておく。
この問題に限った話ではないが、基本的に大半の人間は「おバカ」である。当ブログで何度も言及しているが、多くの人間にとっては「酒・金・下半身」の三点セット、すなわち官能の満足こそが最優先事項となっている。逆に、哲学的思索や瞑想により、そうしたものから距離を置こうとする意識は乏しい。つまり、ほとんどの人間は品性下劣、恥知らずの俗物、これは古今東西を問わず真理だ。
で、次にオーバーツーリズムというか、もっといえば観光がオワコン化するメカニズムを解明していく。ざっくり流れを説明すると、

何らかの情報メディア(噂話含む)がある場所を紹介する→そこに人が押し寄せる→観光業者の参入や交通の発達によってますます人が増える→迷惑行為が蔓延し、景観や風情が損なわれる→対策として拝観料・入場料の徴収や値上げなどが行われる→大した効果はなくオワコン化
といった具合である。
まあ地域によって多少差はあるかもしれないが、古今東西「おバカ」なのは変わらないので、本質的には全て同じような末路になる。
関係者は色々対策を考えているようだが、オーバーツーリズムは基本的に解消不可能だと私は思っている。確かに、入場料を取れば品の悪いミーハー連中を多少排除することはできるかもしれないが、金を払う連中にしたところで全員が良識を備えているわけではない。どこかにバカは紛れ込む。そしてウィルスと同じで、バカは感染し、その数を増やす。気付いた頃には元の木阿弥だ。
かといって入場料を更に高額にし、一部の特権階級しか入れなくなれば、それはもはや「(大衆的)観光地」とは呼べなくなる。いわばジレンマに陥るので、対策しようにも限度があるというわけだ。
問題を解消するには、観光客「全員」がしっかりした良識を持つことが必要だが、そんなことは無理だ。ひとりでもルールを破るバカを野放しにすると、便乗するバカが出てきて歯止めがかからなくなるためである。

だからいっそのこと、旅人や旅行者はオワコン化した観光地を見限り、真の意味で楽しめる場所を密かに満喫するのが得策だろう。つまり逆張り旅行である。筆者は観光地に興味がないと以前書いたが、それはなぜかというと、自分の意識次第で「すべての場所が観光地として楽しめる」からである。
ローカル線で居眠りしているおじさんや、何もない秘境駅、面白いデザインのマンホールを見て満足できる人間なので、わざわざ観光地に行く必要がないのだ。だって何でも観光できるやん、というわけでござい。
山本夏彦は「学問のない者が旅行しても得られるものはない」と主張したが、たとえ学問がある人だろうとも、ミーハー連中が騒いでいるような場所では大したものは得られまい。
ミーハーさんたちは「すまほ」を開き、写真をパシャパシャ撮り、それを「えすえぬえす(SNS)」に投稿し、ありきたりな「お土産」を買い、お帰りになられるだけだ。何か学ぶということは基本的にない。頭の中は先の三点セットしかないから、物事を深く考え、吸収することができないのだ。
まあそれも旅行のひとつではあるし、個人の自由でもあるのだが、どうせならワンランク上の旅を目指したいものだ。それは別にスイートルームなどの横文字オプションをつけるということではなく、品位を持って旅を楽しもう、という単純な提案である。
アメリカの尻ばかり追いかけてきたこの国では、どこもかしこもロードサイド型の「ファスト風土」ばかりになり、つまらなくなっているのは確かだし、そうした情けない景観が品位を貶め、美意識の欠如をもたらしているのも事実だろう。
だが、美しい景観が消えてなくなったわけではない。見つけようと思えばいくらでも見つかる。それを見つけるのは、少年少女時代に私達が大切にしていた「素朴な好奇心」であろう。

で、オーバーツーリズムの対策は基本的に無理だと先述したが、ひとつ対策をするなら、やはり彼らに「恥をかかせる」ことであろうか。大勢で観光地に押し寄せ、カメラをパシャパシャするのは「みっともない」という集合意識を形成すること。静かに楽しみ、詩の一つでも吟ずる心を持つこと、これくらいだろうか。でもまあ、バカだから恥について理解できず、この対策も水泡に帰すであろう。結局は「愛せなくば通り過ぎよ」つまり距離を取るしかない。
だが、どれほどミーハーさんたちが増えようが、私は私の旅を貫くことにしよう。世俗の穢れに染まってしまったとはいえ、酒を飲まず、女を抱くこともなく、金に興味もない私には少年時代の精神がまだ残っている。「すべてを楽しむ」気持ちでこれからも旅を楽しもう。

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荒野の旅人
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