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「零~紅い蝶~」の設定やその後を空想する 壱ノ想 「其後」

久しぶりにPS2ホラゲ「紅い蝶」の考察というか空想をやっていこうかと思います。これまではストーリーの核心部分を深読みしてきました。今回はキャラの細かい言動や設定、物語の「その後」などを考えてみます。そのため、テーマはかなり多くなり、一度にすべて扱えないかもしれません。そのぶんは次回以降に回す予定です。
手元に設定資料があるわけでもなく、完全に私の主観的な空想でしかないですが、興味のある方はお読みください。尚、ネタバレを含むので未プレイの方はご注意を。



1.澪の「その後」

まずは主人公「天倉澪(あまくら みお)」の「その後」について考えてみます。正史とされる「紅い蝶」エンドのその後はどうなるか。
まず、儀式で「ひとつになった」とされる繭と澪ですが、一体どうなったのか。これに関しては、そもそもあの儀式自体、村人の迷信に基づいて行われていただけの蛮行に過ぎず、「ひとつになった」など幻想であり、単に澪は繭を失っただけ、という解釈もなくはないです。まあ要するに、「災厄を鎮めるために儀式をしなければならない!」と村人たちが決めつけ、儀式をおこなうことで犠牲者が増え、彼らの怨霊が災厄をもたらしていただけ、という解釈ですね。つまり、儀式など何の意味もないと。
ですが、ここでは一応儀式には意味があったとして話を進めます。

まず、以前の考察でも書きましたが、「ひとつになった」と言っても、それは「吸収」と「融合」のどちらなのか。前者の場合、姉妹は完全に一体化したのではなく、繭の残り思念が心の中に残るイメージであり、この場合は澪の性格は変わらない。
一方、後者の場合は完全に一体化したイメージであり、融合なので性格もガラっと変わり、大人しくなりそうです。
これについては明確に言及されていないので、どちらかは不明です。ただ、どちらにせよ私は、

「澪はそんなに長生きできない」

だろうな、と空想します。
スタンダール『赤と黒』のレナール夫人がジュリアン・ソレルを失った後、すぐに息絶えたように、あるいは『ダイの大冒険』のハドラーが自身の一部となった「黒の結晶(コア)」を摘出してしまったことで長生きできなくなったように、澪も長生きすることはできないのではないか、と思います。
「双子は元々ひとつであり、それが生まれたさいに分裂した」というゲーム内での考え方に忠実に考察すると、片割れを失ってしまった澪は言うなれば片翼がもげた飛行機のようなもの。そう遠くない未来に墜落(死亡)するだろう、というわけです。『MGS4』のビッグボス同様、澪は大切な人を手にかけてしまったことをずっと後悔して生きていくことになるでしょう。ビッグボスは長生きしましたが、手にかけたのは自分の師匠、あくまで他人です。しかし、澪の場合はそうではない。自分の生き写しである姉を殺めてしまった。双子が二人でひとつなら、自分の寿命を半減させてしまったようなものですからね。

もちろん、澪が繭と融合し、完全体になったことでいわゆる「無双状態」みたいになってスーパースターになるような未来もゼロではない。でもまあ、澪の性格を考えても完全体にはなれないでしょう。後悔の念に苛まれそうですし。


2.天倉姉妹の生い立ちとダムについて

次に澪と繭の生い立ちについて見ていきましょう。
まず、本作はふたりが思い出の沢に来た所から始まります。幼少期によく遊んだ思い出の場所ですが、この度ダムの建設が決まったことで将来水没するため、最後にもう一度来た、という感じでしょう。鉄道ファンのいわゆる「葬式鉄」みたいなものですね。
で、ふたりがこの沢でよく遊んだとありますが、幼い頃からそこに住んで遊んでいたのか、それともどこかの都市に移住して、そこから通って遊んでいたのか、そのどちらでしょうか。
というのも、何となくあの姉妹は都会っ子のような気がするから、あまり長く住んでいなかったのでは?と思ったからです(主観)。

物語冒頭で繭が
「ここも、もうすぐなくなっちゃうんだよね」
と言います。この「だよね」を単なる確認と考えても良いですが、私にはこの「だよね」が「人から聞いた」つまり伝聞のような言い方に聞こえます。要するに、今住んでいて、ダム問題の当事者という感じはしないわけです。
まあさすがに「地図から消えた村」の跡地ですから、学校はおろか公共施設すらない山奥のようにも見えますし(そもそも人は住んでるのだろうか)、おそらくふたりは既に都市へ引っ越し、この沢とも縁遠くなっているのは間違いないでしょう。
ただまあ、幼少の頃から保護者なしで好きに遊んでいたことを考えれば、都会から沢に通っていたというよりか、近くに住んでいて、そこから通っていたと考える方が自然でしょう。都会生活が長くなっているから「都会っ子」に見えるだけで、出身は沢の近くの小さな村なのでしょう。おそらくは。

ダムは様々な理由で建設されますが、文明の象徴でもあります。文明、つまり科学を基にした発明であり、前近代的・前文明的・非科学的な風習を残す「ムラ社会(皆神村)」と対比されています。
ダム建設によって上流が沈み、下流に恩恵を与えます。この皆神村跡地も文明から取り残された村でしたが、文明の象徴たるダムによって沈んでしまうわけです。まあそれによって歴史の表舞台からは抹消されますが、人々の残留思念は残る…といった感じでしょうか。要するに、文明の力を持ってしても、人の迷信やカルマは完全には祓いきれない。そんなことを暗示しているようにも見えます。
澪と繭が、ダム建設によって思い出の場所が消えてしまうことを寂しがったのは間違いありません。事実、冒頭で記念に訪れているわけですし。けれども、表立った反対運動に参加したような様子、「絶対にダムは認めない」というほどでもなかった。それは繭の発言から私が推測したに過ぎませんが、まあそんな印象を受ける。つまり、澪と繭もダム側、「文明側(科学側)」の人間であり、ダムに依存しない「伝統側(非科学側)」の皆神村と対になっています。澪と繭がどこか「都会っ子のよう」と感じたのはそれが理由です。ダム建設は「仕方ない」のであり、建設によって自然あるいは神の怒りに触れ、「黄泉の門が開く」だの「災厄が起こる」だの、そうした非科学的な思考はしないし、そんな生活から離れている、ということです。
まあ、そんな「科学文明」の申し子たる彼女たちが「非科学的世界」の狂気に飲み込まれ、最終的にはその世界の風習に従ってしまう、というところに本作が醸し出す怖さ、恐ろしさがあるわけなのですが。そう考えるとOPは上手い導入といえるでしょう。

ていうか、こんな怖いところにダム造ったら管理者は嫌でしょうね…。北海道の常紋トンネルみたいな心霊スポットになること間違いなし。


3.繭の呼び方について

繭が怪我する前は、澪は繭のことを「お姉ちゃん」呼び一択ではなく、「繭」と名前で呼ぶこともあったのではないか、と考察している方がいて、なるほどと思いました。
なぜ「お姉ちゃん」と呼ぶようになったかというと、それによって「姉」「妹」という関係性が明白になり、「妹」である自分が「姉」を守らなければならない、という意識が働くからだと。「繭」呼びの場合はお互いが対等な関係であることを示しています。要するに、時と場合によってその関係は変化するわけです。澪にとって、自分の方が優位な場合は「繭」呼び、自分の方が劣位の場合は「お姉ちゃん」呼びという風に、無意識に使い分けていた可能性があります。
しかし、「お姉ちゃん」呼びだと違います。姉は姉であり、妹は妹。澪は守る側、繭は守られる側、ということで関係は固定化されたものになる(眞紅の蝶の「陰祭」エンドでは立場が逆転したような描写もありましたが)。
いずれにせよ、あの沢の事件で澪と繭の「守る」「守られる」関係性は決定的なものとなってしまったわけですね。


4.一ノ刻・逢坂家に入る前の「謎の手」に関する疑問について

一ノ刻で逢坂家に入る前、繭が、澪の肩に手を置き、澪がそれを触ろうとしたら、それは繭の手ではなく、「誰か」の手だった…という場面があります。まあこれは紗重の手だったわけですが、ここでもいくつか疑問が。
まず、「霊感の強い繭がなぜ気づかない?」という疑問ですね。
一ノ刻最後に対決する美也子が澪の肩に手をかけたとき、澪は最初気づかず、繭が先に気づいたのでした。これは姉妹の霊感の強さが異なることを示していますね。強いほうが先に気づくわけです。
となると、霊感が強いはずの繭が気づかず、澪だけが気づいているのは違和感があります。これはなぜか。
まあ端的に言ってしまえば、「繭は紗重に憑依されている」ので気づいていないから、というところでしょうか。手を置く直前に紗重が繭から(一時的に)分離し、繭がそれに気づかなかった…というわけです。

次に、「なぜ襲ってこなかったのか?」という疑問ですね。
紗重が登場するのは三ノ刻からで、追いかけられるのは七ノ刻、直接対決は零ノ刻ですが、一ノ刻の時点で「手だけ」登場しているわけです。そして、紗重は八重(澪に取り憑いている)に恨み(というか歪んだ感情)を抱いているので、この時点で襲ってきてもおかしくはない。
まあメタい話をすれば、まだ序盤だし物語に登場させるのはまだ後でいいだろう、という事情で製作者が「襲わせなかった」という理由で充分だと思いますが、今回は空想回なのであえて深読みしてみます。
結論から言うと、襲う意志がなく、条件も整っていなかったから、です。

以前、私は作中の皆神村は紗重の精神世界ではないか、と考察しました。そして、その中では初代氷室邸と同様、時間が歪んでおり、出来事や感情が時系列通りに並べられていない、ということも述べました。
仮にこれが正しいとすると、このとき澪の肩に手をかけた紗重の時間軸は、八重に対して強い恨みを抱く前だと考えられます。手を置いたさい、「またわたしを置いていくの」と言っていますが、これはおそらく、儀式が始まる少し前における紗重の思念でしょう。かつて八重に「置いていかれた」記憶を、現在の「儀式のために戻ってくれない」状況と重ね合わせ、「また置いていくの」と訴えているわけです。儀式が失敗する前であり、まだ完全に恨みを抱いていない(強く恨むのは死後)。だから襲う意志がない。逢坂家に入る時点では。

三ノ刻では狂気状態で現れますが、この時点では直接襲ってきません。代わりに真壁が襲ってきます(なんか紗重のしもべみたいになってますけど)。
三ノ刻は大償、すなわち儀式に失敗し、狂気が最大になった状態ですから、直接襲ってきてもおかしくないですが、なぜか襲ってこない。
はっきりした理由は不明です。「今はまだ私が動くときではない…」とでも考えているんでしょうかね。射影機と同じでチャージ中、みたいな感じで。

七ノ刻で紗重本人から逃げ回る、という形で対峙します。大償が終わり、狂気のボルテージが少し落ち着いた今(別に落ち着いてはいないけど、あれよりマシ?という程度)、私を置いていった八重に復讐を…!という感じですかね。後ろからの不意打ちはもちろん、繭の体や声を使って澪に騙し討ちを仕掛けてくる狡猾さまであります。今考えると、姉妹愛を利用したかなりエグい戦法ですな。
まあそういうわけで、この刻で本格的に襲ってくるわけですが、それは紗重が繭の体と意識を(ほぼ)乗っ取ることに成功したからでしょうね。幽霊はあくまで霊体でしかなく、実体ある人間の力を得ることで、より力を増幅させる、というわけです。しかも憑依されている繭本人も紗重に同調しているため、実に都合が良いわけです。狂気百倍、紗重さんの誕生。

狂気に満ちた七ノ刻の後、どこか感傷的な八ノ刻が始まります。澪と繭が一緒に行動できる貴重な刻ですが、タイトルが「片割レ月」。秀逸ですね。リメイク版だと、繭が紗重の影響をかなり受けていることが描写されていますが、本家だと紗重の狂気から(ほんの少しではありますが)離れ、片割れと一緒に過ごす貴重な時間が描かれています。この刻のどこか物寂しい雰囲気が好きな方もいるのではないでしょうか。
そして、終ノ刻に再び狂気が現れ、零の刻でそれはピークを迎える…というわけです。こうしてみると、結構緩急が効いた作品ですな。

まとめると、八重(澪)を襲う意志(の基礎)が出来上がるのが三ノ刻。繭の肉体という「器」を得るのが七ノ刻です。つまり、一ノ刻ではそのどちらもないので、澪に襲いかかることはない、ということですね。完全に私の主観ですがwww


5.おわりに

というわけで、長くなりましたが今回の考察を終了します。
気が向いたらまた考察する予定ですが、次回は未定です。やるかどうかわかりません。ただ、見ての通り考察好きな性分でして、いつかまた記事を書いているような気もします。
設定資料などの裏付けはなく、すべて私の独断的な空想に過ぎませんが、よかったら参考にしてみてください。
それでは。
ご精読ありがとうございました。

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