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立命の編 新しい運命の輪が回転し始めた
禅師の教えを受け入れ実行したら、袁了凡の運命が次々と変わりました。
《陰騭録》立命の編
2年目(1570年)に礼部の試験を受け、孔先生は私を3位に予想しましたが、実際には1位になりました。
秋の進士の試験にも合格しました。
しかし、反省すると、運命を変える原則についての理解がまだ不十分であり、多くの過ちを犯していたことに気づきました。
時々、善行を行う勇気が足りなかったり、他人を助ける際に疑念を抱いたり、善行を行う際に不平を言ったりしました。
時には、酒を飲んでしまうと、酔っぱらってしまいました。
これらの過ちが功績を相殺し、私はしばしば時間を無駄に過ごしていました。私が1569年に達成することを誓った3,000の善行は、10年以上かかりました。
その当時、私は李漸庵に従って関中に入り、功徳を捧げる機会がありませんでした。
1580年に南方に戻ったとき、性空禅師や慧空禅師などに東塔禅堂で功徳を回向するようお願いしました。
それから、子供を授かるという願いを持ちました。同じく、3,000の善行を行うことを誓願しました。
1581年には、息子の天啟が生まれました。
私が善行を行うたびに、それを記録しました。あなたの母親は文字を書けなかったので、彼女は善行を行うたびにカレンダーに赤い丸をつけました。
これを一日に10回以上行うこともよくありました。
1583年8月までに、私は3,000の善行を達成し、性空禅師や他の尊敬される僧侶に自宅で功徳を回向するように招待しました。
その年の9月13日には、府県試験に合格する願いをし、10,000の善行を行う誓願を立てました。
1586年には、試験に合格し、宝坻の知県に任命されました。