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《陰騭録》立命の編3袁了凡の反省

袁了凡は雲谷禅師との会談中、自分はなぜ名誉と子供が得られない運命があるかを分析する内容をシェアします。

《陰騭録》 立命の編の3

雲谷禅師は答えました:
「《詩書》などには、命は自分で造り、幸福は自分で求めるべきだと書かれています。
仏教では、富や名誉を求めれば得ることはできますし、子供を望めば産むこともできます。嘘をつくことは仏法の厳禁されることで、ブッダ様は嘘をつかないでしょう。」

私は聞きました:
「孟子は言いますが、追求すれば得られ、得られるものは自分自身に備わっているものです。道徳や仁義は努力して得られますが、物質的な富や名誉はどうやって得るのでしょうか?」

雲谷禅師は言いました:
「孟子の言葉は正しいですが、あなたは誤解しています。六祖禅師が言ったように、すべての良いことの発生は、私たちの心の中から始まります。内面から探求すれば、それに感応できます。内面から求めれば、道徳や仁義だけでなく、外部の富や名誉も求めることができます。
求めるものが自身の徳の向上に役立つ場合、内外の両方を手に入れることができます。しかし、徳の向上に寄与しないものを求める場合、内外の両方を失う可能性があります。求めても得られないでしょう。」

そして禅師は私に尋ねました:
「孔先生はあなたの一生をどのように算定しましたか?」

私はすべてを彼に正直に伝えました。

雲谷禅師は私に尋ねました:
「あなた自身は名誉を得るべきだと思いますか?子供が欲しいですか?」

私は長い間考え、答えました:
「いいえ、それらを手に入れるべきではありません。

名誉を得る人は徳がありますが、私は徳がありません。また、私は福徳を蓄えることができないため、名誉はふさわしくありません。

私は煩雑なことに我慢できず、心が狭く、他人を受け入れられません。

時には自分の才能を他人に押し付け、気ままに妄言を言います。

これらは福徳が薄いことの兆候で、名誉を得るのには適していません。

不潔な場所には生き物がたくさんいますが、私は清潔好きであるため、子供がいない理由の一つ目になります。

和やかな心で万物を育てることができ、私はよく怒り、子供を持つには適してない理由の二つめになります。

慈愛の気持ちは子孫を守れますが、私は自分の身を守ることにこだわり、他人を救うために自己を犠牲にできません。これも子供を持つのには適していない理由の三つめになります。

多弁はエネルギーを浪費します、これは子供を持つのには適してない理由の四つめになります。

酒を好むことで精神力を損ないます、これも子供を持つのには適さない理由の五つめになります。

私は一晩中座っていることが好きで、自分の健康を守ることができません。これも子供を持つのには適してない理由の六つ目になります。

他にも多くの要因があり、すべてを挙げることはできませんが。」

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