【連作短編】一つの願いを叶える者 第一話 願いを一つ叶えましょう。
第一話 願いを一つ叶えましょう。
「貴方は選ばれました。貴方の願いを一つ叶えましょう。」
私の目の前で、人の形をした白い靄が、腕を広げて言った。
ここは私の自宅で、もう寝ようと、ベッドに横になった時だった。
部屋の中央に白い靄が見えた。私の目が疲れているのかと、瞼をこすってみたものの、その白い靄は徐々に大きくなり、最終的には人の姿になった。
それは、男なのか、女なのかも、よく分からなかった。
体のラインを拾わない服を着ているように見えて、体を見ても性別の判断はできなかった。髪は短いから男性?でも、ショートカットの女性の可能性もある。身長は私と同じくらいか、それより高いくらい。少なくとも、子どもや高齢者ではなさそうだ。
発せられた声も、男とも女ともとれる合成音みたいなものだった。
そもそも、これは人間ではないのかもしれないが。
私が黙ったままでいたので、相手はもう一度先ほどの言葉を繰り返す。
「貴方は選ばれました。貴方の願いを一つ叶えましょう。」
「貴方は誰?」
私の問いに、相手は首を傾げたようだった。
「答える必要あります?」
「そりゃあるでしょ?勝手に人の家に入ってきて、願いを一つ叶えるだなんて。」
「私も自分が何者かなんて分かりません。貴方の願いを一つ叶えたら、消えますから、それでいいじゃないですか。」
「それって、何かと引き換えに、とかではないの?」
「疑り深いなぁ。」
相手はやれやれといった様子で、肩をすくめた。そういう仕草は人間らしく見える。
「何だっていいんですよ。お金とか地位とか名誉とか、変わったところで永遠の命とか、病気を治してほしいとかもあったなぁ。交換条件はないので、好きな願いをおっしゃってください。一つだけですけど。」
複数に変えることはできませんよ。と言って、相手は笑ったようだった。
「願いねぇ。」
私は体を起こして、ベッドの縁に腰かけた。
そもそも、なぜ私が選ばれたんだろうか?
私は平凡な人間だ。目立つ者でもない。代わり映えのしない日常を送っている。自分一人が暮らしていける分は稼げているし、たまに土日を使って、趣味としている日帰り旅行も行けている。健康体だし、両親も離れて暮らしているとはいえ健在だ。
困っていることは何もない。
強いてあげるとすれば・・。
「決まりましたか?」
「何でもいいのよね?」
「ええ、何でも。」
「じゃあ、私と結婚して。」
私の願いに、相手は分かりやすく固まった。
「はい?」
声が裏返っている。
「聞こえなかった?」
「いえ、聞こえましたけど・・冗談ですよね?」
「本気。」
もうすぐ30になる私は、実家に帰る度に両親からいつ結婚するのかとせっつかれていた。その度にはぐらかしていたのだが、いい加減にそれを解消したい。苦労をかけた両親を安心させたい気持ちもある。
「あの、交際相手がいれば、その人と結婚することもできますけど。」
「交際相手なんていないし。」
「好きな人がいれば。」
「それもいないし。」
「確実に結婚できる相手を用意することもできますが。」
「交際なんて必要ないし。というかその時間が惜しい。」
今まで異性と付き合ってこなかったわけではない。結婚の約束を交わした相手もいた。でも、結局相手が浮気をして、その相手と結婚することになって別れた。私は多分恋愛に向いていないのだと思う。結婚相談所とかにも登録してみたけど、結婚には至らなかった。
無理に結婚しなくてもと思っていたけど、せっかく願いを一つ叶えてくれるなら、結婚してしまえばいい。
「お互いのことを知り合って、これだと思う人と結婚するのではないのですか?」
「結婚の決め手なんて分からない。それに私が欲しいのは結婚相手であって、恋愛したいわけじゃないから。」
「本当にこんな得体のしれない存在と結婚したいのですか?」
私は相手の顔と思われる部分を見つめる。相手は私の視線にたじろいたようだ。多分変わった女だと思われているのだろう。
「何度も言わせないで。私と結婚してくれればいいんだから。」
「本当ですかぁ・・。変なことを願いますね。」
「他に思いつく願い事がないんだって。何でも叶えるって言ったでしょ?」
「分かりました。貴方の願いは叶えます。」
相手はしばらく考え込むようなしぐさをして、ぶつぶつと何事かを呟いていたが、その内、白い靄だった姿が、徐々に鮮明になっていった。
しばらくすると、自分と同い年くらいの男性が、その場に座り込んでいた。ワイシャツにスラックスを着ていて、いかにも仕事から帰ってきましたといった様子の彼は、跪いて私にケースに入った指輪を差し出しながら言った。
「俺と結婚してください。」
彼が顔を赤くさせて恥ずかしげに視線を上げるのを見て、私の胸の奥がなぜかキュッと締め付けられた。
終