【短編小説】マフラーが繋ぐ奇跡/有森・古内シリーズその16
クリスマスや年末を前にして、飾り付けられたイルミネーションが、まばゆい光を放っている。
さすが、土曜日。さすが、クリスマスイブ。
この駅前の人の多さは、普段の土日に比べたら、断然多いと思う。
彼女が人混みに酔ったり、誰か怪しげな人に声をかけられなきゃいいけど。駅前で待ち合わせじゃなく、僕が彼女の家まで迎えに行けばよかった。
僕は首元のマフラーに顎を埋めると、大きく息を吐いた。
息はマフラーから漏れて、視界に白く映る。
僕の座っている円形の石のベンチから、冷たさが登ってくる。雪が降ってもおかしくないような寒さだ。
そして、待ち人はまだ到底来ない。僕が今日のことを楽しみにしすぎて、約束の時間より、1時間も前にここに来てしまっているからだ。
「人待ちですか?」
隣から声が上がった。最初は自分に向けられたものと気づかなかったが、もう一度同じ言葉を投げかけられ、僕はのろのろと視線を上げる。
緩くカーブした明るい栗色の髪、白い肌、僕よりもずっと年上の女の人が、僕を見て、その瞳を細くして微笑んだ。僕が目を奪われたのは、その人が着けているマフラーだった。自分が身に着けているものと、形が似ていて、色違い。彼女は『ブラックウォッチ』と呼ばれる柄ものを着けている。
『ブラックウォッチ』は、青ベースに緑、黒のラインを引いたタータンチェックの一種だ。なぜ、僕が『ブラックウォッチ』という言葉を知っているかというと、僕の彼女が、その柄がとても好きだから。僕は自分のマフラーに手を当てた。僕が身に着けているマフラーは、『ドレスゴードン』柄。白地にネイビーとグリーン、黄色の細いラインを配したものだ。
「私と同じですね。」
「はい?」
マフラーが同じと言ったのかと思って、少し声が上ずる。兄の恋人の百合さんと同じくらいの年齢に見えるが、普段会話をすることのない相手に声をかけられると緊張する。でも、相手はそんな自分のことは気にしていないみたいで、先ほどと同じ笑みを崩していない。
「いえ、誰か待っているんでしょう?」
「・・ああ、はい。」
「私は恋人とここで待ち合わせてるんです。君は?友達?それとも彼女さんかしら?」
「・・・彼女ですけど。」
思わずそっけなく答えると、相手はなぜか楽しそうに笑った。
「そう。高校生?」
「いえ、中3です。」
僕の言葉に、女性は、「今の中学生って、大人っぽいのね。」と言って、また笑う。よく笑う人だと思った。
「でも、いいわね。中学生。私が今待っている恋人に初めて会ったのも、中学生の時だった。」
女性は、僕と会話をすることで、待ち時間を潰そうとしているらしい。この中、本を読むのもどうかと思っていたし、ぼうっと目の前を流れる人波を眺めていてもよかったのだけど、この女性の話には心惹かれるものがあった。
「中学の時から、ずっと付き合っているんですか?」
「高校の時に遠距離になったけど、その後も結局続いてる。」
「好きな人と長く付き合う秘訣ってなんですか?」
どうせ、もう会うこともない人だろう。できれば自分のためになる情報を引き出しておこう。
そう思って、僕は女性に素直に尋ねてみた。
相手は、僕の問いに、考え込むかのように視線をイルミネーションに向けた後、口を開く。
「やっぱり、離れても好きだったからだと思うよ。相手もそう思ってくれたんじゃないかな。まぁ、自分の周りを見ても、これだけ長い間付き合い続けている人はいないけどね。」
「・・・将来は、結婚するんですか?」
「私たちはまだ学生だから。社会人になったら、それも考えるかもしれないけど。タイミングとかもあるから何とも。」
女性の笑みに、不安というか心配の影が滲む。
「5歳も年下の子に、何を話してるんだろう。ごめんね。つまらないよね?」
「いえ、有意義な時間を過ごしています。」
「やっぱり、中3らしくないよね。年齢誤魔化してない?」
「15歳ですよ。嘘はついてません。」
「・・・君は今の付き合いが不安なの?」
女性の問いは、かなり核心をついていた。
莉乃との付き合いで、初めてのことをたくさん経験していく中で、僕はあと4ヵ月ばかりで訪れる別れから、目が背けられなくなってきている。
別々の高校に通うようになるけど、それでも付き合いを続けたいと言うのは、簡単だ。きっと彼女も受け入れてくれるだろう。
でも、会いたい時には会えない。彼女が寂しいと思っても、側にいてあげることができない。一年の内、会えるのがとても少なくなる。
彼女を自分の元に縛り付けていいものか。と思う。彼女の近くにいることができて、彼女を笑顔にしてあげられる奴が、彼女の高校生活でも現れるんではないだろうか。莉乃のことが好きなら。繋いだ手を離して、自由にさせてあげるべきでは?別れる時は悲しいけど、彼女はもっといい恋ができるのでは?
このところ、勉強の合間に、そんなことをぐるぐると考えてしまうんだ。
「大丈夫。なるようになるよ。」
「・・・何か、適当な答えですね。」
「そうじゃないよ。その時になれば、答えが出るってだけ。でも、自分の気持ちには正直になった方がいいし、彼女さんともちゃんと話した方がいい。一人で思い悩んでも、何にもならない。」
「・・・。」
「付き合うって、2人でするものだからね。」
そう言って、女性は自分の体の前で、ピースサインをとって見せた。
相手の笑顔に、なぜか莉乃の笑顔が重なった。
「何をやっているんだ?」
2人を見下ろすようにして、隣に立った男性が、呆れたように声をかける。
男性を見上げた相手の顔が嬉しそうにほころんだ。
「待っている間、退屈だったから、話し相手になってもらってたの。」
「そうやって、見知らぬ人に声をかけるのは止めろ。相手が悪い人だったらどうする?」
「私だって、ちゃんと話しかける人は見極めてますー。」
男性は、そういう女性のことを見つめて、苦笑した後、僕に向き直って頭を下げた。
「彼女の相手をしてくれてありがとう。迷惑はかけなかったか?」
「・・・いえ、僕も楽しかったので。」
そうか。と言って、顔を上げた男性は、身に着けていたマフラーに手を当てた。そのマフラーは、女性と色違い、自分が身に着けているのにそっくりな、『ドレスゴードン』柄のマフラーだった。
もしかしたら、このマフラーを身に着けていたから、女性は僕に声をかけたのではないだろうか。
そんなことを思っていると、女性はベンチから立ち上がった。
「買い物は終わったの?」
「ああ。・・・そうだ。」
男性は手に持っていた袋から、板のようなものを取り出して、僕に差し出してきた。
「これ、彼女に付き合ってくれたお礼。」
「いえ、いただけません。」
「大丈夫。元々は彼女が気に入るかと思って買ってきたものだけど、これからもう一回行って見てくるから。」
僕の目の前に差し出されたものは、薄い本だった。表紙には、制服姿の男女が並んで立っている綺麗なイラストがある。
「最初から、君も来ればよかったのに。」
「イルミネーションを見ていたかったから。」
2人は僕の目の前で他愛のないやり取りを続けながらも、僕に向かって、その本を差し出すのを止めない。
2人の押しに負けて、僕はその本を受け取った。どうやら短編集らしい。その場で中身を確認してみると、表紙と同じテイストのイラストが、かなり多めに差し込まれている。莉乃が好きそうだ。最初の短編のタイトルは、『髪形を変えてみたら』だった。
「じゃあ、本当にありがとう。」
「彼女さんとよいクリスマスを過ごしてね。」
2人は、そう言って連れ添って、駅前の交差点に向かって歩いていった。交差点を渡った先に、大型の本屋がある。たぶん、そこに向かったのだろう。
そう言えば、名前も何も聞かなかったな。
僕が2人を見送ると、そう経たない内に、僕の待ち人が目の前に立った。
「理仁君。いつから来てたの?」
「ついさっきだよ。」
莉乃は、自分の右手の手袋を外すと、僕の頬に向かって、手を伸ばす。冷え切った僕の頬に、彼女の掌は温かかった。
「こんなに冷えてる。風邪引いちゃう。」
「大丈夫。隣に座って。イルミネーションを見よう。」
僕の言葉に、莉乃は心配そうに眉をひそめたが、先ほどまで女性が座っていたところに、腰を下ろすと、体をピッタリと僕に寄せた。
「確かにイルミネーションは綺麗だけど、直ぐにどこか暖かいところに移動しよう?」
「うん、分かってる。」
僕は、隣の彼女の腰に手を回して、さらに自分の方に引き寄せた。
『ブラックウォッチ』柄の柄違いのマフラーをつけた彼女は、僕を斜め下から見上げて、僕の肩に自分の頬を摺り寄せた。
「あの少年と、何を話してたの?」
本屋で、先ほどのお礼に渡してしまった本を眺めていると、彼が何でもないそぶりで、ぽつりと尋ねた。
実は、気になっていたのだろう。でも、あの子の前でそれを口にしなかったのは、彼らしい。
「あの子、中学3年生なんだって。彼女を待っているって言ってたよ。」
「へぇ。」
「何となく、貴方に似てたよね?」
「どこが?」
「まだ仲良くなっていない頃の貴方に似てた。同じようなマフラーしてたし。そのマフラーもまだ使ってるのかと言いたい。」
そう指摘すると、彼は軽く息を吐いてから答える。
「ぜんぜん使える。」
「もう渡してから、5年だよね?付き合って初めてのクリスマスに、私があげたもの。」
「・・・君だって、同じように5年使ってるじゃないか。」
「それは、貴方から、初めて貰ったクリスマスプレゼントだったから。」
「僕だって、同じ理由だよ。」
彼はそう答えると、また別の本を物色し始める。先ほども何冊か購入しただろうに、まだ買うのだろうか?・・・彼が本好きになったのは、私が原因でもあるけど。
「恋愛相談に乗ってあげてたんだよ。」
「恋愛相談?君が?」
「何?その言い方。」
「あれだけ、僕の気持ちに気づかなかった君が?恋愛相談?」
そこまで畳み掛けるように問われると、困る。
私が不機嫌そうにしているのが分かったのか、彼は私のご機嫌をとるように笑った。
「ごめん。からかいすぎた。」
「食後のパフェで許してあげる。」
「ケーキじゃないの?」
「ケーキは家でも食べるでしょ?明日とか。」
「それもそうだ。」と彼は頷いて、「じゃあ、これを買って行こうか?」と、私の眺めていた本を手に取った。
終