【短編小説】違和感
眼鏡もコンタクトも使わずに過ごしてきた私だったが、仕事柄か、趣味の為か、特定の距離のものが、ぼやけて見えるようになってきた。
まだ、老眼になるような年齢ではないけど、今は『スマホ老眼』と言って、若い年代でも、目を酷使していて、老眼になることがあるらしい。
仕方がないので、休みの日を使って、近くの眼鏡店に行き、眼鏡を作ることにした。せめて、仕事の時だけでも眼鏡を使えば、仕事の後に感じる疲労から解放されるだろうと考えたためだ。
でも、私の目は思っていた以上に悪くなっていて、日常から眼鏡を付けないと、ダメだと判断された。しかも、かなりの出費。通常の眼鏡に、ブルーライト対応などいろいろオプションをつけてしまうと、更に値段がかさむ。
でも、これ以上、視力が落ちて、全く見えなくなるのも困る。視界がぼやけることにより、目を凝らすため、眉辺りに皺ができるようになったし、自宅に帰ってから感じる疲れと肩こりが半端なかった。
眼鏡を使うことで、これらの困りごとがなくなるなら、多少の出費も致し方ない。
そして、眼鏡の受け取り時。店員の女性に購入した眼鏡を渡され、実際にかけて視界を確認する。今までぼやけてしまっていた視界が鮮明になる。やはり、自分の視力はかなり下がっていたと実感する。確認が終わって、眼鏡の会計を済まそうとすると、店員が口を開いた。
「申し訳ございません。」
「・・何かありました?」
「実は眼鏡のレンズ作成時に、ある成分が混入してしまったようで、使用時に違和感を感じるかもしれません。」
「ある成分?」
「詳しい内容は申せないのですが。。」
それは、不良品なのではないだろうか?余計、目が悪くなったりしたら困るのだが。
「でも、さっき眼鏡を着けた時は、何も感じませんでしたよ?」
「はい。こちらもレンズの品質は確認しましたが、問題はありませんでした。ただし、この眼鏡を常用したわけではないので、使っている内に違和感が出たり、場合によっては早く劣化してしまうかもしれません。」
「え、それは困ります。」
「なので、今回、こちらの眼鏡の金額を割り引きます。合わせて、もし違和感や早々の劣化などが見られた場合は、無償交換いたします。それでも、この眼鏡を使うのはちょっと、と思われる場合は、新たに眼鏡を作り直します。その場合、お時間を更に2週間いただくことになります。」
「・・・。」
眼鏡は早く欲しかった。2週間、更に待つのは困る。それに先ほど付けた時には違和感は感じなかったし、もし合ったとしても無償交換してくれるというし。何より・・・金額を割り引いてくれるのが一番嬉しかった。
「この眼鏡を買います。」
私は、こうして眼鏡生活を送ることになった。
眼鏡を着けて日常生活を送るようになって、私は店員が言った通り、違和感を覚えるようになった。
目が痛くなったとか、やはり視界が悪いとか、そういうことではない。
その眼鏡を通して、他人を見ると、彼らの周りにうっすらと色が着いているのに気づいたのだ。全ての人ではないし、その色も、オーラのように僅かに発光しているように見える程度で、目がチカチカするほどではない。
色は、赤や黄色、青や緑といろいろあって、私は身近な人で、その色の違いが何にあるのか、観察してみたところ、どうやら、その時、その人が思っている事に依存しているらしい。赤は怒り、黄色は嬉しさ、青は悲しみ、緑は安らぎ。話している内容が恋バナだったりすると、綺麗なピンク色が見えるし、他人の悪口だったりすると、グレーに見える。色の濃さは、その思いの強さに比例する。
眼鏡を外すと、とたんに一定の距離の視界がぼやけ、その色も何も見えなくなる。
明らかに、眼鏡店の店員が言っていた『違和感』は、この『人の感情が色として目に見えるということ』に当たるのだろう。
そして、この事象は、私にとっては有利に働いた。グレーや黒っぽい色を発している人には、あまり近づかないようにした。そして、何か仕事上の意見なり発言は、相手が黄色や緑などの色をしている時に、行うようにした。
自分の人間関係を円滑に行うために、この『違和感』を利用したのだ。
「やっぱり、まだまだ違和感があるな。」
夕食を食べ終わり、2人でサブスク映画を見ていた時に、恋人の建志が隣でぽつりと呟いたので、私は『違和感』という言葉に、ぎくりとして、彼の顔を見上げた。建志は、私の眼鏡のフレームに軽く手を添える。
「美衣が眼鏡をしてるの。」
「・・・着けてる私もまだ慣れてないよ。」
なんだ。そっちの話か。
建志が、私の眼鏡にある『違和感』を知っているわけがなかった。
私の眼鏡ができてから、彼に会ったのは今日が初めてだ。普段はお互い仕事をしているので、休みの合う日にしか会えない。前回、会った時には一緒に眼鏡を選んでくれたのだった。
彼は知り合った時から既に眼鏡をかけていた。私が視力が落ちたと相談して、あの眼鏡店を紹介してくれたのは彼だ。今だって、彼は私と同じように眼鏡をかけている。
「でも、よく似合ってる。」
「それは、何度も言われたから、分かってる。」
眼鏡のフレームに手を添えてるから、私は彼から視線を逸らせない。彼に見られているのが恥ずかしくなってきて、目を伏せた。
私は眼鏡を通して、彼を見るのに、まだ慣れていなかった。彼は、今日会った時から、薄いピンクの色を纏っている。なぜか、その色を纏っているだけで、彼が今までの何倍もかっこ良く見えてしまう。そのせいで、まるで彼と付き合い始めた当初のような、ぎこちない態度を私は取ってしまっている。
「あのさ。」
「何?」
「・・・眼鏡、外していい?」
「外したら、視界がぼやけて見えなくなっちゃうけど。何で?」
彼は困ったように笑った。
「これからすることには邪魔だから。新しい眼鏡、壊しても悪いし。」
彼の眼鏡の奥の瞳に、ピンクの色が載った。
眼鏡越しに、近くで人の顔を見たことがなかったけど、色は瞳にも載るんだと、私はその色を確認したくて、彼の瞳を覗き込んだ。私が身を乗り出してきたため、彼が一瞬怯んだような仕草をする。瞳に載るピンクが濃くなった。
「きれい・・。」
思わずそう呟いてしまい、自分の言葉にハッとしたように意識を戻される。彼は、そんな私を戸惑ったように見つめた後、照れたように笑った。
「そんなことを言われたのは初めてだけど。」
「いや、あの。」
何と答えていいか分からず、しどろもどろになる。でも、私の視線は彼の瞳のピンクから外せなかった。
「眼鏡、外すよ。」
彼の手が再度私の耳上にかかる。もっとその色を見ていたい私は、彼の手を止めようとしたが、彼が眼鏡を取り去る方が早かった。私の眼鏡をテーブルに置いた後、自分のものも外してその隣に並べる。
こちらに視線を戻して、私に顔を近づけてくる彼の瞳の中には、色は見えないはずなのに、うっすらとピンクに色づいているように感じた。
「見える?」
「・・・ぼやけてる。」
「そう、僕もだよ。」
彼はそう言って、私の頬を包むように掌を当てた。
「でも、美衣がきれいなのは分かる。」
「建志は、褒めるのがうまいよね?」
「褒めてるんじゃなくて、純粋な感想なんだけど。」
彼はそう言って、優しい笑みを見せた。
「特にその目が好きだ。君の瞳の奥は、ピンクで色づいているような気がする。」
私がその言葉に動きを止めると、彼は私を安心させるかのような優しいキスをくれた。
終