【中編】片側だけで感じる彼・彼女 No.5/11
俺が職場の同僚を自宅に連れて帰った後、神無に説明できる機会がないまま、数日が経過した。
神無と仲違いをしたきっかけになった同僚は、俺の友人と付き合っている。俺が仲介して、2人は付き合うことになった。
だが、ある日。2人は喧嘩をし、俺は彼女の愚痴を聞くために、仕事の後一緒に酒を飲んだ。そしたら、彼女がお酒を飲みすぎ、一人暮らしの自宅に帰ることが困難になった。
彼氏である友人に連絡を取ったところ、彼はシフトの仕事が入っており、これから彼女を迎えに来るのは無理だということが分かった。喧嘩の内容も、よくよく聞いたら、たわいのない内容で、単なる痴話げんかであることが分かった。
明日の昼には迎えに行くから、今日は俺の家に彼女を泊まらせてくれないかと頼まれた。
友人とはいえ、彼女を男の家に泊めるのはどうなんだ。と尋ねると、俺には好きな人もいるし、そのことを同僚である彼女も知っているし、元々2人は俺の仲介で付き合い始めたのだから、俺がそんな面倒なことをするわけがないと笑って言われてしまったら、頼みを受けざるを得なかった。俺のことをよく分かっている友人だから・・信頼されているのだろう。
問題は、彼らの知っている俺の好きな人が、自宅にいるということだ。
同僚には彼女のことが見えないだろうが、前もって同僚を連れていくことも、泊まらせることも神無には伝えていない(というか、急に決まったことだから伝えようもない)。この時は、後で神無にこの事を説明すれば、大丈夫だろうと高をくくっていた。
同僚を連れて家に帰ると、神無は寝間着姿でリビングにいて、俺の方を訝しげに見つめている。
「後で説明する。・・何でもない。独り言。」
後半は、俺が肩を貸している同僚に投げかけた言葉だ。できれば、丁寧に神無に状況を説明したかったが、同僚に不審に思われる。
俺は神無の様子が気になりながらも、寝室に同僚を連れて行き、ベッドに寝てもらった。
「頭が痛い。。」
同僚がベッドの上で、頭を抱えた。
「だから、飲みすぎだって。今日はこのまま泊まっていっていいよ。」
「でも、悪いよ。その、誰か訪ねてきたりとかしないの?明日は休みだし。前に話してた好きな人とか。」
同僚が心配そうに、俺の顔を伺った。内心、鋭いところをついてくるなと思ったが、何でもないことのように答えを返す。
「え、大丈夫。今日は来ないし。その状態で、一人で帰せない。」
本当はリビングにいるが、そんなことは話せない。
とにかく疲れた。シャワーを浴びて横になりたい。
「俺はシャワー浴びたいから、寝てて。」
「私もシャワーを浴びたい。後で貸してくれない?」
「その状態じゃシャワー浴びるのは無理だよ。大人しく寝ていて。」
俺が許容できるのは、友人に頼まれた泊まらせるところまでだ。今の酩酊状態では、一人でシャワーを使わせるのは危険だし、それに着替えもない。
このまま寝かせて、明日早々に迎えに来た友人に押し付けよう。
彼女から言葉が返ってこなくなった。どうやら寝てしまったらしい。
俺は大きく息を吐くと、寝間着や替えの下着を取り出し、明かりを消してリビングを出る。
風呂場に向かう前、リビングの入り口で足を止め、先ほど神無がいたところに目をやった。できれば、彼女と話したいが、今話をし始めると長くなって、夜寝るのが遅くなるだろう。
明日は休みだが、早めに起きないと、同僚を友人に引き渡せない。
俺は神無には話しかけず、シャワーを浴びに行った。
シャワーを終え、寝る準備を調えた後、リビングの入り口に立って、片目を閉じると、リビングの中央で、こちらに背を向けて横になっている神無の姿が浮かんできた。アイマスクと耳栓を付けたままらしい。
今日は寝室で寝ないで、リビングで寝たのか。と不思議に思いつつも、俺は、神無の前で胡坐を組んで座る。
彼女は俺が誰かを連れてきたことは察しただろう。変な誤解をしていないといいんだけど。
彼女の髪を撫でると、彼女の口元が緩んで笑みが浮かぶ。
それを見て、俺の心の中は何か温かいもので満たされるのを感じる。
彼女が側にいて、笑っていてくれるだけでいいと、言いきれればいいのに。
彼女には決して見せられないようなどす黒い感情が、欲が、少しずつ競りあがってくる。これがあふれてしまったら、彼女にぶつけることになってしまったら、もう一緒にいられなくなるだろうか。そもそも今の状態でぶつけることができるのかという別の疑問もあるけれど。
俺は頭を軽く振って、神無の横に寝転がった。
床には毛足の長いラグが敷いてあるから、ここで寝ても問題ないだろう。
既にベッドは同僚に占領されてしまっているから使えないし、ここの方が、神無の隣の方がゆっくり寝られる気がする。
「おやすみ。神無。」
俺は彼女の腰に片手を回すと、そのまま両目を閉じた。
肩を揺らされる感覚があって、俺はうっすらと目を開けた。
その場で起き上がると、隣に既に起きた同僚がいて、恥ずかしそうにこちらを見ていた。
「もう起きたんだ。おはよう。よく眠れた?」
「おはよう。うん、よく眠れた。」
同僚がニッコリと笑う。顔色も悪くない。よかった。これなら友人にも変な目で見られることもないだろう。
「昨日のことは覚えてる?」
「本当にごめんなさい。迷惑をかけちゃって。私たちの喧嘩に巻き込んで申し訳ない。」
言い方が彼女らしくて、俺は思わず苦笑した。
「もう大丈夫そうだね。よかった。」
そう時間も経たずに、友人も迎えに来るだろう。2人が帰ったら、俺はすぐに神無に話をしないと。
「でも、怒られちゃうかな。お酒飲みすぎて、彼氏以外の男性の家に泊まるだなんて。ホント心配性なんだよ。仕事で帰りが遅いことが多いのも気にしているみたいで。今回の喧嘩のきっかけもそうだし。大丈夫かな私達。」
目の前で惚気られるってこういう気分になるのか。
勝手にしろとも思うし、羨ましいとも思う。
「それは・・好きだからだよ。心配する事なんてない。」
彼女は、俺の言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。
彼女の笑顔を見ていたら、急に神無の姿が見たくなる。そういえば、俺は昨日神無と一緒に寝ていなかったか?
俺はハッとして、自分の背後を振り返った。片目を閉じてみたが、そこに神無の姿はない。もう起きている?俺たちのやり取りをもしかして聞いている?
俺は片目を閉じたまま、同僚の方に視線を戻した。
首を傾げている同僚の奥に、苦しそうな顔でこちらを見つめている神無の姿があった。アイマスクを付けたままだ。彼女はすぐに俺から視線をそらし、寝室の方に体を向ける。
その様子から彼女が今までのやり取りを聞いていたことがうかがえた。そして、明らかに誤解してる。
「待って!」
彼女の手首を掴もうとしたが、振りほどかれた。
俺が振りほどかれた手を呆然と見ている間に、神無は寝室に入ってしまった。後を追おうとしたが、同僚に肩を叩かれ我に返る。
突然様子が変わった俺のことを心配した同僚を誤魔化している間に、チャイムが鳴った。同僚を迎えに来た友人が礼を言うのを、申し訳ないが適当にやり過ごし、2人を自宅から送り出した。
それから、俺と神無は一度も話せていない。
俺が神無の手首を掴んで合図を出しても、彼女はアイマスクも耳栓もつけないし、片目を閉じて俺の姿を見ることすらしない。手首を掴まれると、身体を震わせて、何か言いたげな顔をするが、それだけだ。
俺のことを彼女が見てくれなければ、俺の声ももちろん彼女には聞こえない。彼女の手が俺に触れることはない。
このまま、彼女とは話せないままで終わるのだろうか?誤解をとけないままで、自分の気持ちを伝えられないままで。
もう何回目か分からない合図を送りながら、俺は激しい焦燥感に駆られていた。
No.6に続く