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【短編】カキの世界

朝起きた時に既に違和感があった。顔に触れた腕の滑らかさと白さを見て、ああ、とうとう来てしまったかと思った。
前々から分かっていたことではあったので、まぁいいのだけど。
取り合えず、今日、仕事は休まないとな。と思いつつ、ベッドの上に起き上がる。

リビングに行くと、既に母の手によって朝食が用意されていた。
母は僕の顔を見て、納得したように頷いた。
「あら、おめでとう。」
「おめでとうと言われることでもないと思うけど。」
「お赤飯でも炊こうかしら。」
「いらないって。今日は手続きに行くから、仕事休む。」
そう言って、僕は食卓に腰を下ろして、母が用意した朝食を口にした。

「洋服は大丈夫かしら?」
「着ていけそうなの着てくから。下着だけ新しいの出しておいて。あと、今日山下と夕飯一緒する約束しているから、夕飯いらない。」
「そう、分かったわ。名前はそのままでいくんでしょう?」
「・・そのまま使える名前をつけてくれたのは、そちらだろ。」
碧生あおいは産まれた時も大きかったから、いずれそうなると予想できてたからね。」
これで結婚もできるわね。と言葉を続けられ、自分の顔が赤くなるのを感じた。

朝食を食べた後、会社に休みの連絡を入れる。理由を言ったら、あっさりと休みを容認してくれた。僕は名前も変わらないので、会社や仕事への影響は少ない。今日一日休むだけで、手続きも全て終わるだろう。
そのまま、市役所に足を運ぶ。手続きと言ってもここくらいだ。会社へは先ほどの休みの連絡の時に言ってあるから、明日までには対応してくれていることだろう。でも、健康診断受け直さなければいけないな。次の週末にでも行くか。

市役所での手続きは、1時間ほどで終わった。山下との約束の時間まではまだあるので、洋服などを買うためにショッピングモールに行く。店員に事情を説明すると、洋服と靴を一式揃えてくれた。今日、異性の友人と会うと話したせいか、それを意識した内容になっている。余計なことを言ったかもしれないと、舌打ちしたくなったが、後々必要な物ではある。価格も抑えてくれたし、文句は言うまい。

一度家に帰り、買い物したものを部屋のクローゼットなどにしまい込んだ。今まで着ていた分で、もう着れそうもないものを選り分けていく。父さんに譲るか、リサイクルショップに出せるものは出すつもりだ。少しは新しいものを買うための元手にはなるだろう。

本来は、仕事帰りに落ち合う予定だったが、仕事を休んでしまったので、待ち合わせ予定の時間に間に合うように電車に乗った。職場の近くの店で夕食を取る予定にしていたが、自宅からだと少し遠い。失敗した。
ヒールの高さは低めにしてもらったが歩きにくい。シャツにパンツ姿なので、普段とそれほど変わらない格好なのが救いだ。

待ち合わせ場所に現れた友人の山下壮也そうやは、僕の姿を見ると、その目と口を大きく開いた。
「天野か?」
「そうだけど。」
「そうか、とうとうなったんだな。背ぇ高かったしな。」
「なったのは今日の朝だよ。起きたらこの状態だった。」
ふぅん。と僕の言葉に応えると、山下は顔を近づけて、僕の顔をまじまじと見つめる。

「あんまり近づくなよ。恥ずかしい。」
「何言ってんだよ。この間もいつかはなるかもって話してたのに。」
「いざなると、意識も若干変わるんだよ。」
「まぁ、いいや。今日は祝いもかねてたくさん飲もうぜ。」
「明日は仕事だから、そんなに遅くはなれないよ。」
山下は僕の言葉を軽く聞き流して、背中をトンと叩いた。

「それにしても変わるもんだよな。」
お酒で顔を赤くさせた山下が、潤んだ瞳で僕のことを見つめる。その表情に僕はなぜかドキッとする。何だ?お酒のせいか?
「山下はなる予定はないのか?」
「ないな。両親も背ぇ低めだし、学生の時もクラスで背の順で並ぶと真ん中くらいだったし。」
山下は柔らかく顔を崩した。

「なぁ、天野。」
「何?」
「もう、結婚相手決めた?」
「はぁ?僕は今日女になったばかりなのに、結婚相手を決められるわけがないだろう。」
僕が笑ってそう答えると、山下は表情を固くさせた。
「俺と結婚しない?」

山下が言った言葉に、今度は僕が口をあんぐりと開いた。
「自分が何言ってるか分かってる?」
「もちろん。前々から考えてたし。」
前々から?それっていつから?
学生の時から?それとも社会人になってから?
僕は何と言っていいか分からず口を噤む。

僕たちは、最初は性別がなく、適齢期になるとその内の7割が男、3割が女になる。女になるのは、体が大きい、つまり背が高い人間が多い。その後、また男の一部が性転換して女になる。そして、子作りの期間が終わると、また中性に戻る。実は僕の父も母も現在性別はないが、元々の性別を引き継いで生活している。

僕は母が言った通り、産まれた時から大きかったから、いつかは女になるだろうと思われていた。そして、本日の朝、めでたく?女に性転換したわけだ。そういうものだから、会社も市役所もその際の手続きには慣れている。山下は、本人が口にしたように、性転換する予定はまずないのだろう。多分今2人で横並びに並んでも、背が高いのは僕だ。

「今すぐにとは言わないから、考えておいてほしい。」
「・・分かったよ。時間がほしい。」
僕の言葉に、山下は頷いて、優しげな笑みを浮かべた。その笑みに見惚れるかのように動きを止めてしまうのは、僕が女になったからだろうか。
女になるだろうと思っていたから、異性と付き合ったりしたこともなく、もちろん結婚も考えていなかった。山下は学生時代からの友人で、お互い気心は知れている。

結婚相手としては、悪くもないかも。

そんなこと、今、本人にはとても言えない。

僕は、その気持ちを誤魔化すかのように笑ってみせた。

マガキ
海水中の受精卵が幼生になり、2週間ほど浮遊生活をします。幼生が定着し、翌年には性成熟するのですが、その際に7割ほどの個体がオスとして成熟します。しかし、その後、オスとしての繁殖期が終わると、再度繁殖期を迎えた際にメスになるといった性転換をするのです。

体のサイズが大きくなるにつれて、メスの割合が増加していることがわかりました。どうやら成長に伴って性転換が起こっていると言えそうです。

僕、メスになります―性転換する牡蠣たちの事情

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説那(せつな)
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