【短編小説】ブルースター
妻が家の玄関ドアの横で、花を育ててると気づいたのは、うだるような暑い日。
久々の外出から帰ってきた時、玄関の鍵を開けようとして気づいた。
水色の小さな花。ひょろひょろとした茎。
あまり、鉢植えで育てるのは向いてないのではないかと思われる。
家の中に入るのを一旦止めて、その小さな花に手を伸ばしてみた。
つぼみの時はピンクらしい。そして、葉や茎などは細かい毛で覆われている。
水色は、妻が好きな色だ。だから、この花を育てることを決めたのだろう。それにしては、全然目立たない花だが。
そして、この花をどこかで目にしたような気がする。
どこでだっけ。
残念ながらゆっくり花をめでているような気候じゃない。
こうしてじっとしているだけで、汗が噴き出してくる。
自分は、スマホでその花の写真を撮ると、家の中に駆け込んだ。とはいえ、妻は仕事で家にいないから、1階の仕事部屋代わりにしている寝室は、入ったと同時に、もわっとした空気を感じる。外よりはましだが。
早々にスーツを脱ぎ、部屋着姿になった。シャワーを浴びたいと思ったが、この後、そうしない内にオンラインでミーティングがある。
パソコンを起動しながら、エアコンの風でいったん涼む。
2階のリビングで飲み物を準備している間に、先ほどの花の画像で、ウェブ検索を試みる。
『ブルースター(オキシペタラム)』
検索にヒットした花の名前には、覚えがない。
妻は花の名前をよく覚えているが、自分は興味がないせいか、教えてもらっても覚えられなかった。あまりに覚えないせいか、妻が毎回あきれ顔になるのだが、それでも丁寧に教えてくれる。自分は、実は妻に教えてもらいたくて、覚えられないのではないかと思わなくもない。
『花の色と形からブルースターと呼ばれる。オキシペタラムは属名から。和名は瑠璃唐綿。他、英語圏では、旧属からトゥイーディア(Tweedia)と一般的に言われる。』
1つの花でいくつもの名前があるんだな。ややこしい。
でも、花屋でこの花を見ただろうか。まぁ、ここしばらく花屋にも足を運んでないが。
家の前の庭も、妻が知らない内にいろいろ植えたりしていて、自分は全くノータッチだ。たまには手伝ってあげれば、少しは彼女の好きな花の名前も覚えられるだろうか。
『清楚で美しい花姿であること、何か青いもの(サムシング・ブルー)を身に着けると、幸せになれるという西洋の言い伝えから、ウエディングブーケにも、よく使われる花である。』
そこまで読んで、自分の脳裏に、妻のウエディングドレス姿が浮かんだ。
そして、彼女が持っていたブーケに使われていたのが、この花、ブルースターだった。
もう、何年も前のことになるけれど、あの日は緊張しすぎて細かい内容を覚えてないが、隣に並んだ彼女があまりに綺麗で、何と声をかければいいか戸惑ったのは記憶してる。それまでも、ある程度の期間、付き合ってきたにもかかわらず。彼女は、そんな自分を安心させるかのように微笑んで、「幸せになろうね。」と言ってくれた。
自分は、妻に支えられていることが多い。このように、平穏な生活を送れているのは、・・・自分の力もないとは言わないが、確実に彼女のおかげでもある。そして、自分が彼女にその気持ちを伝えられているかと言われれば、思わず黙り込んでしまうほどに、できてないだろうと思う。
面と向かって、言われたことも、責められたこともないけれど。
彼女は、この花を育て、この花を目にして、何を思っていたんだろうか。
リビングで飲み物を飲みながら思いにふけってしまい、ハッと気づいた時には、ミーティングの10分前だった。慌てて、1階に戻る。
『花言葉:幸福な愛、信じあう心。』
だから、自分はその花の花言葉を、帰ってきた妻から教えてもらう羽目になった。
「私たちみたいでしょ?」
と、笑いかけた彼女を、自分は一生手放せないと思う。
終