【小説】恋愛なんてよく分からない(仮) 第22話 震える心
第22話 震える心
「変わりないようで何よりだ。シルヴィア」
「ブルーノ様もご機嫌麗しく」
シルヴィアは、婚約者であるブルーノに向かって微笑んでみせる。でも、突然会いたいと呼び出された理由が分からず、シルヴィアは内心首を傾げている。
傍から見ても、ブルーノの様子は普段とは変わらない。灰色の髪に、茶色の瞳。思慮深げな眼差しだが、正直シルヴィアには彼が何を考えているかはよく分からない。
「突然のお呼び出しですが、何かご用でもございましたか?」
「……実はそなたが院で親しくしている男性がいると、話に聞いたのだが」
ディートリヒ様のことだ。
シルヴィアは首を傾げながら、思ってもみなかったことを言われたとばかりに答える。
「どなたのことでしょう?勉強を教わっている先輩方はいらっしゃいますが、その方の事でしょうか?」
「私はそれを耳にして思ったのだ」
「何でございましょう?」
「院に通っているのが原因ではないかと」
シルヴィアは彼の言葉に表情を強張らせる。
「本来であれば、院の卒業までは1年以上あるが、そなたが院に通う必要性を私は感じない。そなたは私との婚姻が決まっているし、院での学びがこの先のそなたに必要とは思えない」
「……」
「シルヴィア。院は退学しなさい。そして、私と婚姻するんだ」
「……もし、お断りした場合はどうなりますか」
「そなたとの婚約は破棄するが、代わりにそなたの妹と婚約する」
「なっ!妹はまだ齢10ですよ。貴方様とは13も違うではないですか」
口の端をわなわなと震わせて、シルヴィアはブルーノに向かって抗議する。
「であれば、そなたのご両親との取引を打ち切るまでだ」
ブルーノはシルヴィアの両親にとって、重要な取引先だ。大きな痛手となるだろう。シルヴィアが懇願すれば、親は味方をしてくれるだろうが、大きなしこりを残すことになるし、最悪今の生活を失うことになりかねない。
だが、ブルーノにとっても、両親との繋がりは必要なはず。それもあって、シルヴィアと婚約することになったのだから。簡単に、取引を断ち切ると言ってしまっていいのだろうか。やはり、考えれば考えるほど、ブルーノの本来の目的がよく分からなくなるのだ。
ブルーノがシルヴィアの元に歩み寄って、彼女の顎をつかみ上げた。
「放してください!」
「そなたは自分の立場を弁えているのか?そなたと私が婚姻すれば、私だけでなくそなたの両親も、より裕福な生活が送れるようになる。そなたがそれを拒むことはできない」
シルヴィアが紫色の瞳で彼を睨みつけると、ブルーノは顎から手を離し、彼女の頬を平手で打った。
「まったく、院で何を吹き込まれたのかは知らぬが、あまり手を煩わせるな」
「私は院でまだ学ぶことがあるのです。退学などしません」
「だめだ。先ほどの話をそなたの両親にする。そなたは院の最終学年に進学する前に辞めてもらう」
「嫌です!」
ブルーノはシルヴィアの身体を軽々と持ち上げると、隣の寝室に向かって足を進める。
シルヴィアはこの後にされるであろう行為に思い至って、ブルーノの腕から逃れようと暴れた。
「大人しくしろ!」
「嫌だと申してるではありませんか!放してください!」
ブルーノは、シルヴィアを寝台に放り投げると、その上に覆いかぶさる。
「私から逃れようというのであれば、そうできないようにするまでだ」
「だから放して!」
成人前に傷物にされたら、シルヴィアは他の誰とも婚姻できなくなってしまう。それどころかこれが公になったら、彼女の外聞は地に落ちる。もちろん、ブルーノは、この事実を家族や院にも伝えるのだろう。シルヴィアが逃げられないよう、外堀から埋める。彼女が何を口にしても、どこにも届かなくなる。
ブルーノはシルヴィアの手首を掴んで、寝台に縫いとめ、自分の膝を使って彼女が自分の身体の下から逃げられないよう囲い込んだ。
「止めてください。誰か助けて!」
ディートリヒ様!
ブルーノの手が彼女の下履きにかかると、寝台の隣から、声がかかった。
「人の番候補に何をしている?」
ブルーノが声のした方に顔を向ける。そこには、桃色の髪に、黄色の瞳の少年が、無表情で立っていた。
「な、お前、いつの間にここに」
「ディートリヒ様!」
シルヴィアが紫の瞳から涙を溢れさせながら、少年の名を呼んだ。
「彼女に私の許可なしに触れるのは、その命惜しくはないと捉えてもいいだろうか?」
「お前は何を言っている?シルヴィアは私の婚約者だ。私がどうしようと勝手だろう?それよりお前は誰だ?どこから入ってきた?扉には鍵が掛かっていたはずだ」
ブルーノはシルヴィアの上から身を起こすと、ディートリヒに向かって矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「煩い。黙れ」
ディートリヒは手を外に払うように振ると、ブルーノの身体が横跳びに弾かれた。床に伏せた状態のブルーノは愕然とした様子で、ディートリヒを見上げる。
「今、何をした?」
「私は黙れと言った」
ディートリヒがブルーノに掌を翳すと、ブルーノは口をハクハクと動かしたが、声が出なくなった。彼の顔が見る見るうちに青ざめていく。ディートリヒには敵わないと分かったのか、身なりを整えると、寝室から慌てて飛び出していく。
ディートリヒは、出て行く彼を見送ると、寝台の上に横たわったままのシルヴィアに視線を向ける。
「大事ないか?」
「申し訳ありません。安堵からか身体に力が入らなくなってしまって」
シルヴィアは視線だけディートリヒに向けると、そう答えた。
「他の者が来ると面倒だな」
「私は少し休めば問題ないと思います。ディートリヒ様。なぜ、私を助けてくださったのですか?」
「私の番候補だからだ。その前に他の者の子を孕んでもらっても困る」
シルヴィアは、なぜかディートリヒの言葉に痛そうに顔を歪めた。
「そろそろ気持ちは定まったか?」
「……やはり、私はディートリヒ様と貴方様が治める地に向かいたい。ですが、今のままでは、私がいなくなっても、両親や妹に彼の手が及びます」
「先ほどの男か?」
「そうです」
「そんなの対処は容易い」
ディートリヒは、寝台の端に腰かけると、隣に横たわっているシルヴィアの顔を見つめる。
「次、院で会った時に、詳しいことを全て私に語れ。私が全てそなたの良いようにしてやろう」
「本当ですか?」
「私を疑うのか?」
シルヴィアの頬に、ディートリヒが手を伸ばす。彼女の頬に手を当てると、シルヴィアはその手に自分の頬を摺り寄せた。
「ありがとうございます。ディートリヒ様」
シルヴィアの仕草に、ディートリヒはその黄色の瞳を瞬かせる。シルヴィアは彼の様子を見て、更に頬を緩めて微笑んだ。
「ディートリヒ様」
「何だ?」
「私を助けてくださった恩は、一生忘れません」
「こんな事大したことでは」
「ですから、私は自分の全てを貴方に捧げます。私が貴方様に何を返せるのか、正直分かりませんが」
シルヴィアの言葉を聞いて、ディートリヒの心は震えた。
今までに感じた事のない感情に、ディートリヒは自分の胸を押さえる。
急に黙ってしまったディートリヒの顔を、シルヴィアは心配そうに覗き込んだ。
「何か失礼なことを申してしまったでしょうか?ですが、これは私の本当の気持ちです」
「・・理解した。だから、もうそれ以上言わなくてよい」
ディートリヒは彼女の髪を躊躇いがちに撫でる。
「少し休め。そなたには休息が必要であろう?」
「はい。本当にありがとうございました」
そう経たないうちに、シルヴィアは寝息を立て始める。
ディートリヒは、彼女の寝顔をしばらく眺めた後、前髪を手で左右に払うと、その額に口づけた。
第23話に続く