【短編小説】期間限定の恋人
「それ、本気で言ってる?」
女の言葉に、男は肩をすくめる。
「嘘みたいな話だけど、本当だし、本心から言ってる。」
女は口を噤んで、考え込む仕草を見せた。
「無理に、とは言わない。」
「・・でも、このまま断ったら、私はあと3ヶ月、ずっと気になってしまうし、張元くんが嘘を言うとも思えないんだよね。」
女は、はぁっと深く息を吐く。張元と呼ばれた男は、その様子を見て、心配そうに「すまない。」と口にした。
「・・私が断ったら、他に頼めそうな人のところに行くの?」
「いや。そんな相手はいないし。菅原に断られたら、諦めるつもりだった。」
張元は、既に冷めた様子のコーヒーをすすった。菅原は、その様子を胡乱げに見つめている。
「僕はそんなにモテる人間でもない。」
「張元くんから出てくる言葉とは思えない。まぁ、私が知ってるのは、10年前の君だけど。」
「あの頃も同じだっただろ?」
「バレンタインデーのチョコの量を思い出してほしいわ。」
「覚えてないよ。」
「自覚のないのが腹立たしい。」
張元は自覚のない優しい笑みを浮かべて、菅原に問う。
「で、答えは出た?」
「・・迷ってる時間はないでしょう?本当にあと3ヶ月しかないの?」
「そうだよ。」
張元は菅原の顔を正面から見つめて、間髪入れずに言葉を続ける。
「僕の余命はあと3ヶ月だ。」
菅原が、生活に必要な荷物を張元の家に運び込んだのは、その翌日のことだった。元々は実家住まいだったので、それ以外の荷物はそのままにしてある。両親には、一人暮らしの準備として、友人の元に間借りすると説明した。一人暮らしをしようとは、常々思っていたので、間違いでもない。
張元は、一人暮らしなのに、ファミリー用の分譲マンションに住んでいた。元は親の持ち物だったが、相続で受け継いだらしい。
「どこでも好きな部屋を使ってくれていい。」と言われ、菅原は一番狭く日当たりが悪い部屋を選んだ。「なぜそこに?」と笑われたが、その部屋でも菅原には十分すぎるほど広かった。
張元が、菅原に持ちかけた提案は、『自分が死ぬまでの3ヶ月間、期間限定の恋人になる』というものだった。生活も共にし、その間は仮初でも恋人のふりをする。だから、菅原は張元の家に引っ越しをした。期間の短さを考えると、すぐに実行に移さないといけなかったのだ。
お互い仕事をしていたが、それはそのまま続けていくことになった。だから、菅原は張元の家から通勤する。辞めた方が、残された期間を自由に過ごせるのではないかと思えたが、張元は「自分が死んでも、菅原にはその後の生活があるだろう?」と言って、仕事は続けた方がいいと主張した。
提案の見返りは、張元が今までに貯めた預貯金を、全て菅原に渡すというもの。つまりは金だ。既に半額は菅原に支払われている。それでもかなりの金額。菅原は別に見返りは必要ないと張元に告げたが、彼は見返りがあった方が、遠慮なく提案できると言って譲らなかった。もう、半額は菅原に残すと、遺言書まで作成して、知り合いの弁護士に頼んであるらしい。
ただ、菅原は張元の余命があと3ヶ月ということを、提案を受けた今でも信じていなかった。なぜなら、張元の体調が悪いようには見えず、通院している様子もなかったからだ。仕事にも平日は休みなく行ってるし、どう見ても近々亡くなる人間の行動には見えなかった。
休みの日は一緒に過ごしているが、することは特別なことでもなく、買い物したり、映画を見に行ったり、散歩をしたりと、恋人同士のデートらしきものを模してるだけ。
恋人なんだからと、手を繋いだり、抱き締めあったり、キスをすることもあるけれど、全ては菅原から言わないとならなくて、張元はその度に顔を赤くさせ、戸惑ったように応ずるだけだった。提案してきた割には、張元は恋愛自体あまり経験をしていないようだった。
なぜ、自分だったのか。なぜ、そんな提案をしてきたのか。
菅原が張元の真意を問うことなく、時は過ぎ、あっという間に3ヶ月が過ぎた。
珍しく、張元がお互い有休をとって、一日遊びに行こうと、菅原を誘った。
平日のテーマパークはとてもすいていて、2人はこれでもかというほど、休みを満喫したのに、ところどころで言葉が出なくなる。
たぶん、2人でテーマパークに来るのは、これが最初で最後だろうと、薄々思っていたからに違いない。
菅原は、常に張元の腕に縋りつくように体を寄せていたし、人が周りにいるにも関わらず、張元から菅原にキスをせがむことも多かった。
その甘い空気を纏ったまま家に帰り、菅原は初めて張元に自分を抱いてほしいと頼んだ。仮の恋人同士を演じていた2人は、キスまではしていても、それ以上の関係を築いていなかった。
何より、間もなく別れることが分かっているのに、それはできないと、張元が頑なに拒んだせいでもあった。
「やっぱり、私のことが好きにはなれないの?」
「・・好きでなかったら、最初からこんなこと頼んでない。」
「じゃあ、なぜ?」
「・・もし、君に子どもができたとしたら。」
「最高じゃない。」
「・・・。」
「一夜限りの関係で、できるとは思えないけど、貴方が私を愛してくれた証でしょう?」
「僕は、君だけに大変な思いはしてほしくない。」
「私が望んだことなのに?」
「僕は。」
張元の目尻に涙が浮かぶ。彼の初めての泣き顔を見て、菅原は彼の髪に手を当てて撫でる。
「本当は死にたくない。君と一緒に生きたいんだ。」
それ以上、何も言えなくなった張元の体を、菅原は強く抱き締めた。
翌日、前夜のことはなかったかのように、2人はいつも通りの朝を過ごし、家の前で別れ、仕事に向かった。
一足早く家に帰った菅原の元に、1本の電話があった。
「はい。直ぐに行きます。」
菅原は家の近くでタクシーを捕まえ、電話で知らされた病院に向かう。
彼の言ったことは正しかった。
車窓の外の夜景が涙で歪んだ。
自分は見える人間だった。
霊とかではなく、人の未来が。
自分の身近な人の死とか、人生の転機らしきものがうっすらと。
そして、その未来は、自分がどんなに手を尽くしても、回避できないものだと分かった。それからは、たとえ見えても、自分の心の奥底にしまい込んで、決して口にはしなかったし、もちろん、行動にも起こさなかった。
不思議と自分の未来だけは見えなくて、だから、自分にとって、いいことは何一つない。
そんな自分に唯一見えた未来が、ある日、交通事故で死んだことだったなんて、笑えるよな。
自分が間もなく死ぬことが分かったら、その前にやりたいことが、たった一つしか思い浮かばなかった。
彼女にしたら、いい迷惑だったろうと思う。
時々見える彼女の未来に、自分の姿がなくとも、自分に似た男の子の姿があって、一緒に笑っているのを見たら、それだけで幸せに思えた。
ありがとう。
僕の恋人になってくれて。
終