【小説】恋愛なんてよく分からない(仮) 第4話 望まない離縁
第4話 望まない離縁
「テラスティーネ。自分が何を申しているのか、分かっているのですか?」
執務室で、この地の領主アルスカインは、目の前のソファーに座っているテラスティーネに問いかける。
彼女の水色の長い髪は、複雑に編み込まれて、右肩から前にその先が流れている。紺色の衣装の上に同色の上着を着ていることから、きっと仕事先の院から、そのままここに駆け付けてきたのだろう。
彼女の隣には、院の生徒らしき少年が、大人しく座っている。桃色の髪に、黄色の瞳。少なくとも、アルスカインは今までに見たことがない人物だった。
緊張した様子もなく、穏やかな表情でこちらを見つめている。
「私は、こちらのディートリヒと婚姻したいのです。ですから、カミュスヤーナとは離縁します」
テラスティーネは、その青い瞳をこちらに向けながら、無表情で淡々と告げる。
隣に座っている少年はどう見ても、テラスティーネよりかなり年下だ。しかも、院の生徒だとすると、成人もしていないことになる。
確かに、テラスティーネは、今、院の非常勤講師として、職務についている。院で彼と知り合って、そういう関係になったと言えなくもない。
だが、あれだけカミュスヤーナ一筋の彼女が、簡単に離縁したいと言い出すのは、やはりおかしい。婚姻するまでにもあれだけ紆余曲折があったというのに。
ディートリヒと言う少年は、そんなテラスティーネの様子を黙って見つめるだけだ。自分が口を出すつもりはないらしい。
「カミュスヤーナは、このことを知っているのですか?」
「いいえ、何も話していません」
「では、カミュスヤーナの意見も聞かないと、離縁は認められませんよ。テラスティーネ。カミュスヤーナも、貴方も、領主一族です。個人の一存では、離縁できません。カミュスヤーナに連絡を取りますから、そのままお待ちください」
アルスカインは、後ろに立っていたフォルネスに、視線を向けた。彼は、アルスカインに対して軽く頷くと、部屋を出て行く。
「やめてください」
「テラスティーネ?」
突然、テラスティーネがその顔を泣きそうに歪めた。
「テラスティーネ」
ディートリヒが初めて言葉を発した。テラスティーネがその言葉を聞いて、彼の方に顔を向ける。しばらくすると、テラスティーネはこちらを向いた。
また無表情に戻っている。
「大丈夫ですか?テラスティーネ」
「はい。取り乱しました。申し訳ありません」
そこに、扉をノックする音がする。応答すると、扉が開いて、フォルネスが入ってくる。
その後ろには、プラチナブロンドの髪、赤い瞳の青年を連れている。
「……兄上」
「アルスカイン。今戻った」
青年は、アルスカインに対して声をかけると、テラスティーネとディートリヒに目を向け、その赤い瞳を眇めた。
青年を見返すテラスティーネは表情を変えなかった。代わりに奥に座っているディートリヒが、その黄色の瞳を見開いた。
「話は聞いた。テラスティーネが私と離縁したいと申しているとか」
「ええ、だからフォルネスに、兄上と連絡を取るよう申し付けたのですが。ちょうど戻ってこられたのですね。よかったです」
カミュスヤーナは、アルスカインの言葉に、視線はテラスティーネからそらさず、応えた。
「いいのではないか?」
「兄上……。本気ですか?」
「私は……彼女が望むことを叶えてやりたいだけだ」
テラスティーネは、カミュスヤーナの言葉に、愕然としたような表情をしている。その青い瞳の縁から、見る見るうちに涙があふれ、零れていく。
「嫌です」
「テラスティーネ」
「私は認めません。このようなことしたくない」
「くっ」
ディートリヒが、テラスティーネの肩に手をかける前に、カミュスヤーナがテラスティーネの身体を抱え込み、ディートリヒに向かって、右手を翳した。
ディートリヒが、目の前に翳されたカミュスヤーナの掌を見て、動きをぴたりと止める。
テラスティーネは、カミュスヤーナの腕の中から逃れようともがいている。
「大胆な手を使ったな。ディートヘルム」
ディートリヒは、カミュスヤーナを見つめて、その口の端を上げた。
「お初にお目にかかります。カミュスヤーナ。ゲーアハルトからお聞きになったのかな?」
「離して!」
テラスティーネが、カミュスヤーナの胸を叩いている。でも、カミュスヤーナの腕はもちろんビクともしない。
カミュスヤーナは、腕の中のテラスティーネの顔に、まるで口づけでもするかのように顔を寄せた。しばらくすると、ふっとテラスティーネの動きが止まる。そのままぐったりと、カミュスヤーナの身体にもたれかかった。
「私の術は簡単には解けませんよ。貴方が私の言うことを聞いてくださるなら、解いてあげてもいいですが」
カミュスヤーナとテラスティーネの方を見ながら、ディートリヒは言い募る。目の前にはカミュスヤーナの掌が翳されたままなので、動きはしない。
彼の髪色と瞳の色が、うっすらと変わる。髪は深紅に。瞳は黄緑に。
「断る」
「そう言うと思った」
彼は艶やかな笑みを見せた。
「では、この場は失礼させていただきましょうか。私の正体もばれてしまいましたし。ああ、気が変わったら、アンガーミュラーの地にいらしてください。お二人は歓迎いたしますよ」
「行ったら、外には出さないつもりだろう?」
「それはもちろん。そのつもりです。では、また後ほど」
彼は、こちらに向かって優雅に礼をすると、その場から姿を消した。
第5話に続く