【短編小説】スキー場の魔法
レストハウスに設けられた大きな窓から、メインリフトと、リフトを上がって、その脇を滑り降りてくる人々が見える。
翔子は、その様子を目に入れながら、手元のホットコーヒーを口に含む。周りがスノーウェアに身を包んでいる中、一人、通常服の翔子の存在は目立つかと思われたが、スキーを目的に来ている人々は、周りに注意を向けることはなかった。
「ここ、いいですか?」
声をかけられた先に目を向けると、滑ってきたばかりと思われる若い女性が、翔子の隣の席を指差している。お昼が近くなって、レストハウスは混み合ってきていた。翔子が頷くと、彼女はゴーグルやニット帽をテーブルに置いて、席に着いた。
可愛い子だなぁ
翔子は、女性の顔をみて、思わずそう思った。
スキー場には、スキー場の魔法がかかると言われる。雪が反射板の役目を果たすのか、非日常な雰囲気からか、フィルターがかかり、相手が通常の2割か3割増しくらいに見えるのだ。カッコよく滑ってくれればなおさら。
彼女には、そのスキー場の魔法は必要ないと思われた。雪に負けないくらいの白い肌、目は大きく、まつ毛も長い。色素の薄い長い髪を、今どき珍しく、左右三つ編みにして、胸の前に下ろしていた。スキー場でなくとも、人目を引くような、可愛らしさ。
翔子はどこかで彼女に会ったような気がした。これだけ人目を引く容姿なら、どこで会ったかも分かるはずなのに、その記憶は呼び起こせない。もしかしたら、メディアとかに出ていて、翔子はそれを見かけただけなのかもしれない。ただ、翔子以外の人の注目は集めていない。翔子の気の所為なのかもしれなかった。
翔子が見惚れていると、彼女もこちらに視線を向け、微笑むと「滑らないんですか?」と声をかけてきた。翔子の格好を見れば、滑るつもりがないのは分かる。単なる社交辞令的なものだろうと捉え、翔子はそれに答える。
「体調が良くなくて」
「せっかく来たのに、残念ですね」
本当に残念そうに彼女は呟いた。翔子とは違い、彼女はスキーが好きでここに来てるのかもしれない。大学生だろうか。自分もそれくらいの時は、一時期はまって、夜行バスで朝方に現地につき、開場から滑って、夕方またバスで帰るのを繰り返していた。
朝の方が気温が上がらないから、雪が溶けず、パウダースノーを楽しめる。そして、スキー場の滞在時間も長く取れる。宿泊するわけでもないので、料金も安い。若くて体力がある時は、それでも問題なかった。今となっては、よい思い出だ。
「そちらは一人ではないですよね?」
「一緒のメンバーは、私以上に上手で好きなので。ついていけなくて、早めに休んでます」
そう言って、彼女は笑う。
それを残念がった人も中にはいたんだろうな、と翔子は思う。案外、恋人もその中にいるのかもしれない。思いを巡らすのは、翔子の勝手であって、滑らないのに、スキー場に来ている翔子には、それくらいしか時間を潰せる行為がないというのも、また事実。
「間もなくお昼だから、帰ってくるんじゃない?」
「どうでしょう。お昼はレストハウスが混み合うの分かってると思うので、空いてきた頃合いを見計らって来ると思います」
彼女は軽く息を吐いた。
「実はもう少し頑張れると思ったんですけど」
「何を?」
「一緒に来てるメンバーに好きな人がいて」
「それは会ったばかりのおばさんに話していい内容?」
翔子の言葉に、「見知らぬ人だからこそ話せることもありますよね?」と、曖昧な笑みを浮かべる。
「で、好きな人を、私の友達も狙ってるんですよね。それほどスキーが滑れるわけでも、好きなわけでもないのに、ついてきて失敗したかなと思ってます。ちなみに友達は今、彼と一緒に滑ってますし」
「私が言っていいことかは分からないけど、1回のスキーくらいで恋の行方は決まらないと思う」
「もしかしたら、これをきっかけに、貴方はスキーにハマるかもしれないし、そしたら上手になるでしょう?好きな人と滑れる時があるかも。それにスキーってシーズンものだから、それ以外の時に別のことで仲良くなれるかもしれない。とにかくあまり考えずに楽しめばいいわ」
翔子の言葉に、彼女はあまり納得いかないような表情をしてみせた。翔子は自分もあの時はこんなことを言われたところで、納得できなかっただろうなと思う。でも、今の自分にはこんなことしか言えない。
彼女が口を開こうとしたら、その肩にグローブに包まれた手が置かれる。彼女が振り返るのに合わせて、翔子が視線で追うと、グローブの持ち主の男性が心配そうな眼差しを向けていた。「体調、大丈夫か?」とささやく。
「もう、戻ってきたの?早くない?」
「丸沼が片品のことが心配だって言うから」
彼女、かけられた言葉からすると、片品の問いかけに、男性のさらに後ろに立っていた集団の中から、別の男性が答える。片品の肩に手を置いたのが、丸沼らしい。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ」
「だってよ。よかったな。丸沼。じゃあ、飯にしようぜ。腹減った」
丸沼が差し出す手に、片品は恐る恐る自分のを重ねる。見つめて頷き合う2人の姿は、この先の未来を暗示させるほどの慕わしさがあった。翔子は軽くお辞儀をする片品に、彼女だけに分かるようにひらひらと手を振って応えた。それを見た片品の笑みがより深まる。
「ただいま、ママ」
翔子は、午前中滑り、お昼のために戻ってきた家族を迎える。
「いい雪だった?」
「上の方はふかふかだったよ。なぁ?」
「うん、楽しかった。お腹ペコペコ」
「そっちも何かいいことあったの?」
翔子は言葉の意味が計りかねて首を傾げる。彼は「なんか、ニヤニヤしてる」と笑って告げる。
「あなたと初めてスキーに来た時のことを思い出しただけ」
「懐かしいな。あの時も疲れたとかで、一人で休んでたっけ?」
「心配して早めに切り上げてきてくれたよね?」
「ほんとに心配だったんだ。他の奴にはからかわれたけどさ」
もう20年以上前の話だ。
あの時も私は今と同じように休んでた。あの時、私に声をかけてきた人がどんな人だったのか、全く覚えてないけれど、とても可愛い人だったような気がする。その頃はまだ付き合っていなくて、好きな人どまりだった彼も、その後、私のパートナーになった。
「……青春だなぁ」
「今は今の良さがあるさ。体調戻ったら、また滑りにこよう」
「そうね。楽しみにしてる」
「……やっぱり君と一緒に滑ったほうが楽しいからね」
席を移動しようと立ち上がった翔子の目に、窓の外を舞う雪が映る。そして、こちらを向いて笑う家族の顔も。
やはり、スキー場の魔法はあるのかもしれない。
終