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浜崎あゆみ論⑤〜「Secret」な危うさ〜

前回の記事において、
いかに7thアルバム「Secret」が名盤なのかを語った。
今日はそのことについて記そうと思う。

まず、このアルバムは14曲入りのフルアルバムだ。
だけど、当初は7曲入りのミニアルバムとして発表されていた。

そんな発表を見て、
あゆはボルデリでの挑戦と、
予想外の神話崩壊に疲れたんだろうな…と思った。
少し休んだらいいよ…とも思った。

しかし…ファンサイトは荒れていた。
「ミニアルバムに3465円も払えるか!」
「あゆをバカにするな!avexは金儲け会社だ!」
「楽しみにしてたのに〜!7曲なんて少ない!」
avexに抗議メールを送ったファンも、相当いたそうだ。


いや、ファンだろ?
あゆはきっと疲れたんだよ…
あゆに依存するのやめようよ…
休ませてあげようよ…
そんなことを考えていた。


だけど、
あゆはこうしたファンの声に敏感な人だ(当時はね)
まさかの『フルアルバムに変更する』
というアナウンスがavexからなされた。


それに対して、
「やっぱりあゆはすごい!」
「私たちのことを考えてくれる!」
こんな声がファンサイトに溢れた。
手のひら返し感を感じた。
なんだかちょっとしんどかった。
あゆのことを考えると、
身を削ってフルアルバムにしたんだろうなぁと思った。


という流れも手伝ってなのか、
このアルバムはちょっと特殊なアルバムだと思う。
どこか、1枚目〜3枚目のアルバムと同じ匂いがする。
その正体は…
完全に持論だが、
「特定の“短い”時間軸が切り取られた」感覚を受ける。


例えば、1枚目〜3枚目のアルバムは、
曲想こそ違うが、曲を書いた時のあゆの心情は似ているように思う。
(曲に流れる“感覚”が一緒のような感じ。
 つまり、どの曲も同じような顔をしている。
 言い表すのは難しい。笑)



あと、こちらも持論だが、
人の心や、人の情感は、一定期間で移り変わっていくものだと思う。
アルバムが短いスパンで作られたとしたら、
その時の“短い”心の情感が、1つのアルバムに込められることになる。


逆に言うと、長いスパンで作られたアルバムは、
色んな心の情感が混在していることになる。


おそらく、「Secret」をフルアルバムにするため、
急ピッチで、ある一定の“短い”期間の心情で
つくられた曲がたくさんあったはずだ。


当初の予定どおりいえば、
2曲目「until that Day…」
5曲目「It was」
8曲目「momentum」
13曲目「kiss o’ kill」
14曲目「Secret」
が急ピッチで作られたことになる。

ある意味同じ時間軸の中で作られたとしたら…
そりゃ、同じ顔の曲たちが生まれるはずだ。


そして…それらの曲からは
「切迫感」「あきらめ」「受け止めて進む」
というキーワードが伝わってくる。


きっと、「Secret」を表現する過程においては、
そうした情感を抜きにできなかったのだろうね。
とても苦しいね。


だけど、あゆがスターダムにのし上がった1枚目〜3枚目のアルバムの情感も、
こうした「切迫感」「あきらめ」といったマイナスの情感だったから、
あゆとこうした情感は切っても切り離せないものなんだろう。
それだけで、浜崎あゆみは、張り裂けそうな物体なんだと分かる。


浜崎あゆみという存在が成り立っていたのは、
奇跡であり、ギリギリの吊り橋状態だったんだろうな。
本当に奇跡。
浜崎あゆみほど、機微に富んだ人はいないと思う。


あぁ、また長くなってしまった。
あゆ、追いかけていきます。


Secret / 浜崎あゆみ

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