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6年越しの夢が叶った。〜多様性の国・オランダへ〜

「まもなく、成田空港に到着します。シートベルトを今一度お締めください。」

日本語での機内アナウンスで時差ボケで重たい目が開く。

日本らしい瓦屋根の住宅や田んぼが飛行機の窓から見えてきた。

日本語での空港の案内やイチローのポスターを見て、

2ヶ月ぶりに日本に帰ってきたという実感とどこかあのエキサイティングな毎日への恋しさが残っている。

そして、現在は隔離中のホテルでこのnoteを執筆中。

約2ヶ月間の海外での滞在を終えて、今回はその時に感じたことをまとめていこうと思う。

この2ヶ月間のスケジュールを簡単にまとめると、1ヶ月間はオランダ、ドイツ、ポーランドへ訪れた。

残りの1ヶ月はスペインのカミーノサンティアゴという日本のお遍路のような神聖な道(約800km)を歩いて旅をした。

1、この時期に海外に行ったワケ

2021年10月20日に成田空港に到着。

びっくりするほど静かな空港内。

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当日に国外線で出発する便は本当に数えられる程しかなく、今のこの時期に海外に行くことのマイノリティさを思い知った。

今年の6月いっぱいで約1年間お世話になった岡山県の温泉旅館を退職し、7月から関東の実家に帰ってきた。

家族や祖父母、これまで遠くて中々会えなかった友人たちに会ったり、新しいコミュニティで素敵な人たちと会ったり。

その中で、就職活動も再び始めました。

僕は「1人1人が自分の可能性を信じ、やりたいことに向かって挑戦している人を増やす」というライフミッションがあります。

1人1人が本来持っているその人にしかない強みを自らが実感し、やりたいことに蓋をせずに挑戦をしていってほしい。

そして、人生を前向きに楽しく生きて、周りの人の挑戦を応援できる人で溢れた社会を創りたい。

そのライフミッションを実現するためにまずは僕自身がそのような人である必要がある。

信頼できる人たちや自分自身との対話の中で、仕事を辞めて自分のミッションを叶えるための仕事をしようと決め、新しい仕事先を探し始めた。

そうはいっても思うようにはいかず、8月〜9月の間は仕事が決まらない焦りと体調を崩したこともあって、かなり精神的に追い込まれていた。

「こんなはずじゃないのにな〜」

「もう自分のライフミッションなんてどうでもいいや」

など自分の人生を半分投げやりになっていた。

そんな時にオランダの特集がテレビでやっていて、それを父親とご飯を食べながら一緒に見ていた時のこと。

すると父が、

「オランダ行ってくればいいじゃん!」

と急にボソッと呟きました。

「いや、この時期に無理でしょ。」

そうは言ったけど、

それと同時に自分の内側でワクワクして喜んでいる自分がいた。

「大学を卒業して、社会人になったんだからちゃんと働かなきゃいけない」

「新しい会社を決めて、周りの人たちと同じように成長をしなければならない」

いつしか「しなきゃいけない」で埋め尽くされていた中に、

久しぶりに「〜したい」という気持ちが湧き上がってきて、身体中が喜んでいる感覚が自分の中にあった。


「オランダに行きたい!!」


自分の心の声を聞いてあげた時のワクワク感と身体が喜んでいるあの感覚が2ヶ月経った今も忘れられないし、この感覚を大切に生きていきたいと思った。

改めて、このオランダに行く選択肢を決断できたのは父親や岡山で出会った最高の仲間が背中を押してくれたおかげ。

「この時期に海外に行くのはおかしい。」

「今行くべきじゃないでしょ。」

行かない理由を挙げればたくさん出てくるけど、僕の周りの大切な人はその決断に対して、背中を押してくれる人たちばかりだった。

そうして、オランダへ行くことを決めた。

2、なぜオランダなのか

世界で初めて同性婚を承認した国。

日本では違法である大麻が合法化されている国。

街の中心に売春街がある国。

そして、自分が最も興味を惹かれたのが

子どもの幸福度が先進国の中で世界1位の国であるということ。(2020年ユニセフ「国連児童基金」調べ)

オランダを知ったのは高校3年生にまで遡り、当時学校の先生を目指し、大学進学を控えていた時に世界の教育を調べていました。

その時に初めてオランダの「イエナプラン教育」を知りました。

イエナプラン教育を端的に説明すると、

「子ども1人1人の個性を尊重しながら自律と共生を学んでいく教育法」

主な特徴として、

①異年齢学級(例:4〜6年生が一緒の教室で生活する)

②時間割を子どもたち自身が決める。

③先生の関わり方がティーチングではなく、コーチングである。

オランダのことを調べれば調べるほど、自分が理想とする人としての在り方を育む教育を実践している国であると感じ、興味が深まっていきました。

そして、このほかにもオランダでは学校ごとに色んな特徴があり、イエナプラン教育の他にもモンテッソーリ、ダルトン、シュタイナー教育など教育法(オルタナティブ教育)が異なる学校が多く存在しています。

(イエナプラン教育の詳しい説明はこちらに載っています↓)

オランダの子どもたちの幸福度が高い理由は何が関係しているのかが気になったものの大学に入ると、すっかりオランダのことを忘れ、大学を卒業してしまいました。(笑)

そうして、大学を卒業して岡山県の温泉旅館へ就職。

その就職先の従業員の1人が家族で将来オランダに移住がしたい!という話を聞き、オランダへの興味が再燃しました。

オランダの子どもたちの幸福度は教育体制の充実などもありますが、1番は子どもたちに関わる大人たちの対応が仕方が大きく影響していることを知りました。

大人たちの仕事の働き方も特徴的で、オランダでは「ワークシェアリング」が日本よりはるかに盛んになっています。

ワークシェアリングとは、仕事を分け合い、労働者一人あたりの負担を減らし雇用を生み出すことを目的に行われる手法のこと。

働き方を自分の年齢や置かれている環境によって、自由に選択することができる。

20代でバリバリ働きたい人は働き、幼い子どもがいる人は勤務時間と日数を調整する。それが当たり前だからこそ、とやかく言う人はいない。

純粋に子どもたちと関わる時間が増え、さらにコーチングの手法で教育を受けてきた親たちは子どもたちにもコーチング的な関わり方をします。

コーチングとは、相手の話に耳を傾け、観察や質問を投げかけながら、ときに提案などをして相手の内面にある答えを引き出す目標達成の手法のこと。

子どもたちを1人の人として接し、一方的な指示や命令ではなく、なぜその行動をしたのかを問いかける。

子どもたちは学校でも家庭でも、自分が何をするのかを決め、どんな背景でその行動をしたのか問いかけられ、自分の言葉にするからこそ、自主性や自立性を養うことができる。

そして、「こんな理想的なことある!?」って思ったからこそ、それを実際に見て、自分がどのように感じるのかを知りたいと思い、オランダへ行くことを決めました。

3、いざ、オランダへ!

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大学2年生以来のヨーロッパ。

ディズニーランドにあるような街並みが本当の建物として立っている。

周りを見渡しても、目の色も肌の色も鼻の高さも違う。

美男美女が道を颯爽と歩いている。

あとヨーロッパに来て最初に驚いたのは、女性の喫煙者が多いのと歩きタバコを平気でみんなしていたこと。

「海外に来たんだぁ。」

ようやく自分が日本を飛び立ち、異国の場所へ来たことを実感した。

オランダでは小学校の視察を予定していたけど、あのウイルスの影響もあってそれは叶わなかった。

でも、オランダで学校の先生をされている日本人の方と実際にお会いすることもできたし、オランダに在住している日本人夫婦の方や日本語が堪能なオランダ人など色んな方に会うことができた。

①集団主義と個人主義

僕はオランダ人を始めとした欧州の個人主義にどこか憧れを抱いていた。

「自分の意見をしっかりと伝える」

「情に流されず、ドライで自分をしっかりと持っている」

「私は私、あなたはあなた」

このようなイメージがヨーロッパ人のイメージとしてあって、日本の同調圧力に嫌悪感を抱いていた。

でも、実際は個人主義が強すぎるがゆえにトラブルもあるそう。

どっちかが良いとか悪いとかではなくて、バランスが大事。

日本人のまわりを思いやる素晴らしいマインドもヨーロッパの人たちの自分の意見を相手にしっかりと伝えるマインド両方を意識して持ち合わせていきたいと感じた。

あとは、上の文章で違いをわかりやすく伝えるために書いているが、あまり日本人とかオランダ人とかそういうカテゴリーを分けるのは個人的に好まない。

みんな地球に住んでいる1人の人間。日本人の中にも色んな価値観があるようにオランダ人はこうだ!とかヨーロッパ人はこうだ!みたいなことを言うのは難しいと思う。

イメージや大きな枠組みで人を判断するのではなく、1人1人の人としっかりと向き合うことは日本にいてもどこにいても一緒だと思う。

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②性に対しての寛容さ

オランダの首都アムステルダム。

ここには売春街が街の中心にある。

夜になると、通りがピンク色に染まり、箱のように区分けされた透明なガラスの前には下着姿の女性たちがズラリと並ぶ。

その女性たちと鏡の前で値段交渉をし、合意したのちにサービスが始まるそうだ。

観光地にもなっていて、カップルでいる人もいれば子ども連れの家族もいたり。

その光景がかなり衝撃的だったが、オランダでは社会保障のある認められた職業の1つで、彼女たちは個人事業主として働いている。

ここらへんのことは人それぞれ色んな価値観や意見があると思うけど、

僕個人の意見としては、彼女たちがその仕事をすることを自分で選んだのならいいと思った。

彼女たちのそれは立派な仕事だし、ショーケースに並ぶ彼女たちはプロ意識と強い覚悟を感じた。

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③海を渡った2人の男

オランダの首都にある「アムステルダム国立美術館」には、世界的にも有名なフェルメールの「牛乳を注ぐ女」やレンブラントの「夜警」、ゴッホの自画像など美術の成績がもっとがんばりましょうだった自分でも聞いたことのある作品が数多くある。

日本語の音声案内もついているので、作品の歴史や作者の心情などを知ることができて作品に対しての理解が深まりながら楽しめる。

そんな中で1番印象を受けたのはこの2体の像。

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無機質な壁の前にポツンと立っていました。

日本の神社で見るような迫力はなく、どこか寂しさを感じた。

この2体の仁王像は、もともと島根県の奥出雲市(旧:横田町)の神社にあった。

その仁王像が突如神社から消えて、ここオランダのアムステルダム美術館に寄贈されたそう。

そして、これを見たオランダ人の美術家が島根県に渡り、オランダの伝統工芸の1つである「デルフト焼き」で奥出雲市の神社に新たな仁王像を町民と作り上げた。

アートを通してオランダと日本が繋がり、2体の仁王像が海を渡ったからこそ、この2つの国に橋が架かった。

そして、その2体の仁王像をオランダという場所で目の前で見れたことに、感動と勇気をもらった。

まとめ

オランダには約2週間滞在していた。当初は、学校現場の視察や現地の家にホームステイをする予定だった。ただ、帰国した今はできなかったこともあったけど、それ以上に高校3年生から興味を持ったオランダという国に実際に訪れて、短い時間の中で日本との違いを垣間見た。

もっと長く滞在したら見えるものも変わると思うし、オランダはこういう国だって断定することなんて出来ないけど、オランダの色んな街に訪れてその空気感を味わえたことが本当に良かった。

次回はドイツ、ポーランドについて書いていきます!

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