超氷河期の就職活動
教育の最終目的としてあるものといえば、それは就職でしょう。
いい大学に行くのは、いい会社に入るため。
そして社会の勝ち組(死語?)となり、生活を安定させ幸せな家庭を築く。
そのために、みんな学歴を求め、勉強しているのではないですか?
そういう観点からすると、僕がこれまで受けた教育は意味があったと言えるのでしょうか。
社会に出て、どんな仕事をしたいのか。
どんな会社に入りたいのか。
そんなイメージが全くなかったのですから。
普通のサラリーマンにはなりたくないなぁと漠然と思ってはいましたが、じゃぁ何ができるのか。
何もできません。
バンドサークルで曲を作ったりしていたので、音楽で食えたら最高だよなぁとか思いつつ、それに人生をかける勇気もありません。
卒論ではプログラミングをしていたので、音楽にも関係しそうだという理由でゲーム会社をいくつか受けたりしていました。
(ゲームなんてあんまりやったこともないのに)
当然、全部落ちますね。
当時は超氷河期に入ったところで、僕らの世代は人数も多いですし、正社員としての就職はかなり厳しい時代だったようです。
そんなこともつゆ知らず、受ける企業をことごとく落ちまくったのでした。
父の会社(大手企業)も融通を聞いてもらって受けることができました。
しかし、こちらも当然のごとく落ちます。
採用担当の方からは「何をしたいのか伝わって来なかった」という講評もらいました。なんせ、行きたいと思っていないのですから。
でも、東京には行きたかった。
愛媛もすごくいいところだったけれど、やっぱり日本で就職するなら東京だろうと思っていたのです。
もうどんな小さなところでもいいから、興味が湧いた東京にある会社をいくつか受けました。
その中で拾ってくれたのが、渋谷にある小さなシステム会社でした。
社会には早く出たかったので、それはそれでワクワクしましたね。
どんな仕事をしたいといった自分の意思はなかったけれど、仕事ができるならなんでもいいから働きたいみたいな感じでした。
やっと、やっと社会に出られる。
やっと自立し、一人前になれる。
そんな感覚で僕は就職したのでした。
ちなみに、兄と双子の片方は、その後も大学院に行きます。
なんと東京大学の院です。
そこで二人とも、修士をとり、博士号もとります。
兄は、博士号をなかなか取れなくて苦労したようです。研究で忙しくてバイトもできず、貧乏すぎて学内に落ちていたどんぐりを食べたと言っていましたが、ホントかな。
そして、今は、兄は国家公務員となり、森林の研究職に就いています。
双子の片方は、地方の国立大学の教授となっています。
二人とも、受けた教育を存分に活用し、父が思い描いた(?)ような人生を歩んでいるように僕には見えます。
僕だけが異分子で、こんな不安定なフリーランスという仕事をしているんですね。
じゃぁ、僕は彼らが羨ましいかというと、全くそんな思いはありません。
僕はそんな人生を望んでいないのですから。
問題は、僕自身が本当に何を望んでいるのかよく分からないということなのです。(もしくはそれを問題だと認識してしまっているということ)
いろいろな教育を与えてもらえた。
それは確かに感謝すべきことでしょう。
でもその先に、僕の望むものはなかった。
そして、僕は自分の望みを見失ったのです。
そのまま現在に至る、みたいな感覚が今の僕にはあります。
もし、僕が中学校の時に自分が希望した高専に行っていたら、僕は自分の望みを見失うことはなかったでしょうか。
それはわかりません。
高専に行っていたら、物理との出会いがあったでしょうか。
それもわかりません。
でも僕は別に物理学者になりたかった訳でもないですしねぇ。
父はよく言っていました。
「やりたい仕事ができる人間なんて、ごく一握りだ」
確かにそうでしょう。
父はやりたくもない仕事を一生懸命にやって、僕らを育ててくれたのでしょう。
子供3人を大学に行かすには、ちょっとやそっとのお金じゃ無理です。
それを思うと、気が遠くなるし、すごいよなぁと思うのです。
父は父で不安だったのでしょう。
もし、子どもたちを自分たちで食えるようにしてあげられなかったらどうしようと。
では、何が僕と他の二人との違いを生んだのでしょう。
おそらく、それは役割なのではないかと、今は思います。
他の二人は父の意思を受け継ぎ、僕は母の意思を受け継いだのです。
教育はその過程でしかありません。
でも、僕にとってはその過程がなかなかきつかった。
自分の意思というものがそこになかった。
それがいまだにあとを引いているのだと思うのです。
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ここまでで一旦、僕が受けてきた教育のお話は終わりです。
こうして振り返ってみると、なかなか楽しみの少ない子供時代だったなぁと感じます。
変に勉強ができてしまっただけに、その流れに乗らざる得なくなってしまったというか。
教育には正解はないだけになかなか難しいものがありますね。
しかし、今の僕が作られた過程は、ある程度表現できたかと思います。
それにしても、子どものころできなかったことを、これから僕はたくさん学ばないといけないのだなと改めて思います。44歳だっちゅうのにね。
次回は、じゃぁこれをふまえて、どんな教育を娘に受けさせてあげたいのか、ということを考えてみたいと思います。
僕も娘とともに成長していきたいのです。