イタリアが好きだ
イタリアがなぜか好きだ。
おそらく、生まれて初めて行った外国がイタリアで、その時の体験が強烈だったからかもしれない。
およそ20年前。
僕はとある超有名作曲家の付き人をしていた。
新しいソロアルバムをイタリアのオーケストラで録音することになり、付き人の僕もお供することになった。
人生初の海外だ。
にもかかわらず、僕は付き人としてボスを案内しなければならない。
パリのシャルルドゴール空港でトランジットがある。
なにやらシャトルバスだか何かで空港内を移動しなければならないらしい。
僕は乗り間違う可能性を考え、徒歩で移動することに決めた。
機内で僕はシャルルドゴール空港の地図を何度確かめたか分からない。
(ちなみにボスはファーストクラス。僕はもちろんエコノミー)
空港内を移動中、ボスに「いつまで歩かせるんだ」と文句を言われ、「もうすぐです、もうすぐです」と言って案内したのはいい思い出だ。
トランジットも無事終え、イタリアのボローニャ空港に到着。
ここで事件発生した。
僕らの荷物だけが出てこず、ロストバゲージとなってしまった。
呆然と立ち尽くす僕ら日本人。
そこで僕はコーディネータの方とともに、荷物が戻ったら届けてもらうよう手続きをしに行った。
この時、日本であれば
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。荷物が見つかり次第すぐにご連絡いたします」
ぐらいのことは言うだろう。
でも、イタリアは違った。
私のせいじゃないわばりに、何かをまくしたてられ、何かの用紙にホテルの住所をコーディネータの方に書いてもらって、あれ?これで終わりなのという感じで手続きは終わった。
そこからレコーディングのホールがある、モデナに移動。
僕の荷物はホテルに着いてすぐぐらいに届けられた覚えがある。
ボスの荷物はルイビトンの超高級バッグだから狙われたんだろう。
次の日、僕はボスの下着やら服を買いに街に出かけた。
どこもかしこも絵になる街並みだ。
モデナはこじんまりとした街で、街並みはとても美しかった。
こんな美しい街で育ったら、美的センスは日本人とは全く違うものになるというのは容易に想像できた。
だからだろうか、歩いてる人がみんなおしゃれでビビった。
日本だったら、全員モデルになれちゃうだろうというぐらい、スタイルも良く端正な顔立ちの人たちがわんさか街を歩いている。
しかも、男も女もフェロモン出しまくり。それがまた素敵なんだよなぁ。
いやらしくないというか。そうするのが自然というか。
男は男らしさを、女は女らしさを、アピールすることがこの国の自然なのだ。
次の日から、街の中心にあるホールでレコーディングが始まった。
僕は雑用係だ。
何日目かに、お昼を買ってこいという指令がくだった。
僕は街に出て何かないかなぁと探す。
するとピザスタンドのようなものがあった。
暖かい食事が届けられるだろうと思い、そのスタンドに行ってみると、どうにも英語が通じない。
(僕の英語と言っても、片言英語だが。)
するとそこらへんにいた気の良さそうなにいちゃんがやってきて、間を取り持ってくれた。
こんな会話をしたのだと思う。
イタリア人「ヘイ!にいちゃん。どうしたんだい?」
僕「ピザが欲しいんだけど」
イタリア人「お店の彼は英語が話せないんだよ。君は英語が話せるかい?」
僕「少しだけなら」
イタリア人「オーケーオーケー。じゃ何にする?」
僕「あのホールで食べたいんだけれど、持ってきてもらえるかな?」
イタリア人「もちろん大丈夫さ。ささ、注文はどうする?」
みたいな感じで超気さくに話しかけてくれたのだ。
(かなり僕の中で美化されているかもしれない)
それにしても、僕は日本では付き人という生活だ。
何に関しても「はいっ、はいっ!」とボスのサポートをする毎日。
私生活もないほど忙しくやっていた。
それでも自分の好きな音楽の世界に足を突っ込み、充実した毎日を過ごしていたのは間違いない。
音楽が生まれる瞬間に立ち会うことができる喜びを感じていた。
しかし、自分はなかった。
それがイタリア人はどういうことだろう。
人生を楽しんでいる。
みんな気さくに対応してくれる。
ラテンの血がそうさせるのだろうか。
このギャップはいったいどういうことなのか。
無事レコーディングは終了し、帰国したわけだが、しばらくはポワーンとした毎日を過ごしたような気がする。
で、もう俄然イタリアが好きになって、新婚旅行もイタリアに行った。
ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノをめぐり、いい思い出になった。
イタリア人のように人生を楽しみたいと思うのは、僕の幻想だろうか。
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