児童養護施設の思い出:3
こんにちは、光太郎(@kouta_minimam)です。
前回書いた記事の続きの、部屋出禁での生活を覚えている限り書いていきたいとおもいます。
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部屋出禁
施設で15年間生活していた僕でもなかなか聞いたことのない部屋出禁。
よほどの特例だったのでしょう。
外出禁止でもかなりの拘束力があるのにも関わらず、部屋から出れなくなるなんて、一体どんな生活していたのか気になりますよね。
例えば、
お風呂は?トイレは?放課後の過ごし方は?
食卓へ集まる食事はどうしていたんでしょうか?
今回は超特例の部屋出禁生活について深堀っていきます。
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生活習慣
さっそく先ほどの疑問1つひとつ回答していきます。
・お風呂・トイレは?
さすがの部屋出禁でも、生理現象に関しての規制は全くありませんでした。漏らされたら困りますもんね。笑
しかし、同じ部屋で長時間過ごす訳ですから、外へ出る機会があればそれを有効活用しない手は無いです。やはり少しでも下界を楽しみたいので、お風呂に行くときなど下へ階段を降る際に、寄り道して遊んで注意されていました。別にいいじゃんねぇ〜ちょっとくらい。(反省してない)
・放課後の過ごし方は?
もちろん、外出禁止に決まってます。
外出して調子乗った結果の罰なので、これは仕方ないです。なので、基本直帰直行です。学校が終われば友達とも遊ばずに真っ直ぐ施設へ帰らなければいけません。
でももう20歳。時効です。そんなもん真っ直ぐ帰る訳がありません。だって帰っても、つまらない部屋の中にいなきゃいけないですもん。なので、友達とバレない程度に遊んでから帰っていました。少しくらいならいいよね?笑
それで、何食わぬ顔をして「ただいま〜」とか言って帰宅していました。その後の部屋での過ごし方はまとめて後ほど紹介します。
・食事はどうしていたのか?
基本はみんな下の食卓に集まってみんな揃ってから頂きますをします。
僕の場合は、朝・昼・晩の三食全て、トレーに乗せられたご飯が僕の部屋に運ばれてきます。そのご飯を一人で食べて、済んだら職員がトレーを回収しに来ます。囚人かて。
当時はかなり寂しかったはずですが、強がっていて何も言いませんでした。それを職員が読み取ってくれていたのか、たまに下に降りてみんなと一緒にご飯を食べさせてくれることもありました。優しい。🥺
主要の生活の中身はこんな感じでした。出禁前から比べるとだいぶかなり質素な生活だったと思います。
学校があった日は上記のように放課後ちょっとズルして遊ぶことができました。
しかし、放課後の無い休日は、どのように1日を過ごしていたんでしょうか。
洋楽が好きになる
僕の部屋には唯一の娯楽がありました。
それは”ラジオ”です。
CDを入れる事ができるタイプのカセットラジオでした。
何もする事がなかった僕は、ずーーーーーーっとラジオを聞いて1日を過ごしていました。
チャンネルがたくさんある中で、僕が唯一聴いていたのがAMラジオで、洋楽がずっと流れるチャンネルでした。
そのチャンネルは今のトレンドの洋楽を流してくれていて、少数ではあるものの、学校で洋楽好きと共有の話題で話が盛り上がる事ができていました。
今もよく洋楽を聴くんですが、その時の影響が強く残っているんだと感じています。
また、CDを入れられるラジオでしたので、友達や職員にCDを借りて邦楽も楽しむ事ができていました。
スマホもない中で、その時のトレンドなどを押さえるのが難しいので、こういうツールを駆使してみんなの話にうまく乗れるようにするのが大変でしたね。この話は部屋出禁関係ないですね。
こんな感じで日中は音楽を聴けてある程度楽しめていました。お昼なので少しくらい大きい音を出してもだいじょうぶだったんです。
しかし、夜はそんな訳にはいきません。みんな寝ていますので、日中のように好き勝手音楽は聞けないです。なので、夜は夜で自分の好きなチャンネルを見つけていました。
それは、スクールオブロックというチャンネルでした。これは学生に向けて放送しているチャンネルで、さまざまなアーティストをゲストとして招いていて、当時の僕からしたらとても楽しいチャンネルでした。
自分の好きなアーティストが出たら最高でした。
そんな感じで夜でも自分が部屋の中で楽しめるようなコンテンツをがんばって探していました。イヤホンしながらコソコソ聴くのがいいんですよね。笑
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また時効なので言うんですが、当時ルールでかなり規制されていた任天堂dsで夜中までドラゴンクエストのジョーカーをやっていました。マジでバレたらさらに出禁期間が延長になっていた事でしょうね笑
攻略本を兄弟からもらって、最強のキャラを作り出すために配合しまくって夜なんて眠れませんでした。厳しさの中にある小さな幸せが嬉しいんですよね。
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こんな感じで毎日一人部屋の中で過ごしていたら、僕の部屋出禁期間は気づいたら終わっていました。
こんな罰はもう受けたくないとしっかりと改心できていたのは覚えているので、偉いです。
でもそんな暮らしは今となって、苦じゃなくなってるかもしれないんですよね。
今僕が将来目標にしている暮らし方はインドアに近いんです。なので割と部屋出禁に近いような暮らしになると思っているので、少し楽しみです。
ガジェット達に囲まれて、生産性を限りなく高めた生活をするのが夢です。
自分の理想の将来に向かって、精進するのみですね。必死に生きてみます。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
まだまだ思い出シリーズ続きますので、ぜひ色々読んでみてください!
では🙂
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