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元・自民党学生部長、都議選に行くモチベが無くて草生える。

北千住を歩いていると、立憲民主党の枝野幸男代表が演説をしていた。
足立区から都議選に立候補する和田愛子さんの応援演説。
枝野さんを生で見るのは初めて、思わず足を止めて枝野さんの言葉に耳を傾けた。

詳細を覚えている訳ではないが、演説のポイントは①コロナ禍における行政対応の問題点指摘、②投票に参加することで政治を変えられる、という"お決まり"の内容だったと記憶している(違ってたらご指摘ください)。

特に②について。「和田さんは勇気を振り絞って立候補した。だから皆さんも勇気を一歩振り絞って一票を投じて欲しい。それで政治は変わります。」という趣旨の言葉に、頭を殴られたような感覚を覚えた。

東京に来る以前、学生時代に散々歳の近い相手に叫びまくっていた事をそのままブーメランで枝野さんに返された。

※この記事の内容は、特定の政党や候補者を支援する意図のものではないです。東京都議選2021へどのように向き合うべきか、自分の実体験を元に書いた内容です。その点についてご了承ください。

自己紹介

東京のIT企業で会社員やってます。現在24歳。
選挙権が18歳に引き下げられた、2016年の参院選が最初の選挙。
当時大学1年生。「投票なんて行っても何も変わらない」と友達が口にする光景に違和感を覚え、若年投票率の向上にコミットするNPO法人ドットジェイピーにジョイン。また、ドットジェイピーとは別の縁で、自由民主党兵庫県連へ。
NPOと政党という複数の切り口から「政治参加したら世の中変わるから」と同世代に叫びまくって大学生活を過ごしていました。

今のワイ「投票に行くのダルいわ」

大学卒業と同時にドットジェイピ—を退職&学生部長任期満了(党籍失効)、政治家の先生や行政の方とのご縁に恵まれた学生生活とは一変、上京後の生活は会社と家の往復・休日は友達と遊ぶ、これの繰り返し。引越し時期の関係で都知事選に投票できなかった気持ち悪さはあったものの、学生時代に持っていた「政治への当事者感覚」は次第に無くなっていく。

一ヶ月新聞も読まず、仕事に明け暮れていたらいつの間にかアメリカ大統領選が終わっていてビックリ...!

そんな生活の結果「都議選あるんか、行くのダルいわ」という感情に。
大学時代のお友達は、この変貌具合に腰を抜かすだろうと思いつつ、自分が一番驚いています。

じゃあなんで、今の自分は昔のように、政治に、選挙に、熱が無いのか。
昔と比較して考えてみようと思います。

自民党学生部長が実践!投票する候補者はどう選ぶ!?

結論「知ってる人に入れる」、コレです。

すごい肩透かしな結論ですよね笑

ここまで読んでくださった方の中には「『若者の政治参加』とか言ってた奴がそんな意識でいいのかよ」と思われる方も出てくるかと思います。

もちろん、その候補者のマニフェスト(どんな政策を実現しようとしているか)や、どんな政党に所属しているかを判断材料にはします。

(断っておくと「自民党籍持っているから絶対自民党が応援する候補に入れるべき」ではないと思っています。現に昔僕が所属していた自民党兵庫県連は、次の知事選で推薦する相手を巡って分裂しています。あくまで所属政党も判断材料の一つです)

ただし、全ての候補者をフラットに並べて比較検討しているかと言うと、そうじゃない。

代議制民主主義というシステムは、政治へのフルコミットできない民衆の代表者として議員を選出する構造になっています。

そもそも僕たち有権者がフルで政治参加できないという前提。政治思想の一致不一致よりも「あの人は毎日駅立ちをしている」とか「あの人は僕と同じ大学を出ている」とか、そういう情報がバイアスになって候補者をフラットに見る事は、構造的に難しいものだと思っています。

現に、僕も過去に投票してきた方は、SNSで発信しているのを見かけたり、あるいは実際に話したことのある方だったりします。

知らない人の名前は投票用紙に書くことはできない。

フラットに政策軸で投票判断をしない事が悪い訳じゃないと思っています。
民主主義は人の意思決定によって進む政治形態なので、プラトンの言った哲人政治やPSYCHO-PASSのシビュラシステムのような形を完全に模倣する必要はないと思っています。
(むしろ、年齢や性別などバックグラウンドの近い候補者に共感し投票する事も合理的と考えられます)。

以上、自分が今までどんな考えをもって投票してきたのかを記しました。
今の自分は、兵庫から東京にやってきて知り合いの政治家がいる訳でも無く、来たばかりの東京に対して何かしら愛着を持っている訳でもないので、選挙への熱が無いのかもしれないなと思います。

結論「白票でもいいから一票ブチ込む」

上に書いたように、気乗りしない今の状態だとまともに投票する候補者を選ぶ事が難しいなぁ、、、というのが現状です。

毎日慣れない仕事に追われ疲れて寝る。それを繰り返すうちに身の回りに興味を持てなくなるのは道理。それは、ほんの数年政治にコミットすれば解消するものではない。

もしかしたら、7月4日までに投票する候補者を決められないかもしれない。

多分、こういう人は僕だけじゃないと思います。

コロナ禍で、自分や身の回りの人々に危機が迫っているからこそ、ちゃんとした人を選びたい。でも選び方が分からない。結果投票への一歩を諦める。

僕も最低限、これだけは避けたいなと思います。
実際に、自分たちの一歩で政治が動く瞬間を見てきたからこそ、投票に行かないという無責任な行動は避けたい。けど面倒くさいのは事実。

今回の都議選に限らずですが今後の政治への向き合い方として、「白票でもいいから一回入れてみる」というスタンスは崩さずに行こうと思います。

「精一杯考えたけど、入れたい人いませんでした」という意思表示だけでも、「投票に行った」という事実自体は残る

その事実は、例えば「21年度の都議選では20代の投票率が〇〇%向上したから、次回の選挙では若者に向けた政策を訴求しよう」といった具合に選挙戦略へフィードバックされるかもしれない。

あるいは「この前は白票だったから、今度こそはちゃんとした人を選びたい。だから政治家本人と喋って考えよう」というマインドセットにつながるかもしれない。

だからもし、僕と同じように現在進行形で投票に行くのが面倒くさい、誰に入れればいいか分からないという方は、散歩がてら白票入れに行くだけでもいいと思います。

どう頑張っても投票する人を選ぼうと考えると際限ない沼になってしまうので。

枝野さんが喋ったような「候補者へのリスペクト」には程遠いかもしれないけど、少なくとも投票しないよりはマシのはず。

最後になりますが、候補者の皆様にはご健闘をお祈り申し上げます。
政党や政治思想に関わらず、立候補する事自体がリスペクトされるべき事だと考えています。

昔のように、そんな候補者の皆様へガチでぶつかりに行く事はできなくとも、それなりに後悔しないような選択をできればと思います。





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