今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」やまねたけし作「あいがかり」バージョン
はじめに
こちらは、脚本家・今井雅子先生が書かれた「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」のアレンジ作品です。2023年1月8日に行われた下間都代子さん主催の「朗読初め」イベントのために書き下ろされ、17人の読み手によって17通りのBARが開店しました。そして今井先生のご好意により、アレンジおよびclubhouseでの朗読が可能ということなので、甘えることにしました。
朗読をされる方/これから将棋に親しまれる方へ
作品の都合上、図が挿入されていますが、説明無く飛ばしていただいて大丈夫です。
場所を表すのに緯度経度を使うのと同じように、将棋では9×9マスの盤に番号を振って駒の位置を表します。縦を「筋」、横を「段」と呼びます。筋は先手側から見て右から算用数字(1、2、3…)で、段は上から漢数字(一、二、三…)で書き、筋・段の順に並べます。
記号▲△はそれぞれ先手と後手の差し手を意味します。
駒の読みは歩、金、銀、香または香、桂または桂、飛または飛、角、玉となります。
相手陣地に入った駒(金と玉以外)は成となります。ここで登場する成駒は馬です。
一手前と同じ位置に指す(言い換えると相手の駒を取る)時は、同○と書きます。
本編
今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」
やまねたけし作「あいがかり」バージョン
名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこに人の姿はなかった。だが、道端に置かれた小さな看板が目に留まった。チョークで手書きされた頭の文字のいくつかが消えている。
残されているのは、ひらがなの「か」と「り」とアルファベットのB-A-R。
消えた文字を想像してみる。なぜか「あいがかり」が思い浮かんだ。
「あいがかりBAR」
口にしてみて、笑みがこぼれた。そんなBARがあったら、どんなお酒を飲ませるのだろう。誘われるように地下へ続く階段を降りて行く。重みのあるドアを開けると、カウンターの向こうにマスターの顔が見えた。どこかで会ったことのあるような顔立ちに柔らかな表情を浮かべている。
「お待ちしていました」
鎧を脱がせる声だ。私は羽織をマスターに預け、革張りのスツールに腰を下ろす。
「ようこそ。あいがかりBARへ」
「ここって、あいがかりBARなんですか⁉︎」
ついさっき看板の消えた文字を補って、私が思いついた名前。それがこの店の名前だった。そんな偶然があるのだろうか。
「ご注文ありがとうございます。はじめてよろしいでしょうか」
おや、と思った。マスターはどうやら他の客と私を勘違いしているらしい。
人違いですよと正そうとして、思いとどまった。その客は、ある程度、私と属性が共通しているのではないだろうか。年齢、性別、醸し出す雰囲気、棋士であるということ……。だとしたら、注文の好みも似通っているかもしれない。
「はじめてください」
「かしこまりました」
マスターがシェイカーを振る音を確かに聞いた。だが、カウンターに出されたグラスは空っぽだった。
「これは、なんですか」
「ご注文の『あいがかり』です」
「銀をあしらったグラスで『あいがかり』ガッチャン銀というわけですか」
「どうぞ。味わってみてください」
自信作ですという表情を浮かべ、マスターが告げた。
なるほど。そういうことか。
私はマスターの遊びにつき合うことにした。芝居の心得なら、ある。空白は想像を膨らませる余白だ。空っぽのグラスに目をこらし、そこにある「あいがかり」を想像する。さもあるがごとく。さもあるがごとく。
グラスを手に取り、口に近づけたそのとき、「あ……」と声が漏れた。
鼻先を香りが通り抜けたのだ。
焼きそばといなり寿司。
その香りに連れられて、あの日の記憶が蘇った。
将棋タイトル戦の1つである茗仁戦決定戦は7番勝負だ。持ち時間は各々8時間ずつで、2日間に渡って指される。私は今年度、念願の挑戦者の資格を得た。立ちはだかるのは、昨年、茗仁位と同時に七冠の史上最年少記録を1歳3ヶ月更新した超若手棋士である。
初戦こそ茗仁に譲ったものの、星を五分に戻して迎えた第三局。対局は富士宮の旅館で行われた。対局室からは富士山の雄大な姿を望むことができた。
ところで、将棋は自分の王様を守りつつ相手の王様を囲む戦いであると同時に、盤を挟む2人のコミュニケーションでもある。「棋は対話なり」という言葉もある。もちろん、両者は自分の得意とする戦法を取ろうとし、そこに駆け引きが生まれる。
序盤の指し手にはいくつかのパターンがあり、飛車の前の歩か角の右上に位置する歩を進めることが多い。プロになって以来、茗仁の初手は決まっている。お茶だ。
冗談はさておき、ここ数年の茗仁は先手後手関係なく飛車先の歩を動かすことが多い。本局は私の先手であるから、私が飛車先の歩を進めればほぼ間違いなく「相掛かり」という形になる。
午前9時、対局開始。
立ち会い人、記録係、報道陣のカメラ、そして茗仁の視線を一点に集め、私は初手を指した。
▲2六歩。
記録係がタブレットを操作する。
シャッターが鳴り終わるタイミングを見計らって手を離す。
続いて、茗仁が右手をゆっくりと動かす。その向かう先は——
横に置かれたお茶。
一服して湯呑みを置くと目を瞑った。これもルーティーンの工程である。いよいよ盤面に手を伸ばす。
△8四歩。
あなたの作戦に乗りましょう、というように。
対局前から決めていました、というように。
茗仁戦第三局 指し手(10手ごとに改行)
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲3八銀 △7二銀▲5八玉 △9四歩
▲9六歩 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲8七歩 △8四飛 ▲4六歩 △3四歩 ▲2四歩 △同歩
ほぼ定跡通りだ。
▲同飛 △2三歩 ▲2八飛 △5二玉 ▲4七銀 △7四歩 ▲7六歩 △7三桂 ▲3六歩 △6二金
▲3七桂 △6四歩 ▲4八金 △6三銀 ▲2九飛 △1四歩 ▲1六歩 △8一飛 ▲5六歩 △5四歩(第1図)
相掛かりの将棋では先後同型になることは珍しくないが、飛車を下げた段が違うにも関わらず結果として同型になったのは面白い。
▲2二角成 △同銀 ▲6八銀 △2四歩 ▲6六歩 △2三銀 ▲6七銀 △4四歩 ▲7七桂 △3三桂
▲8九飛 △8五歩 ▲4五歩 △同歩 ▲同桂 △同桂 ▲4六歩 △5七桂成 ▲同玉 △4三歩
中央での戦いが本格化していく。
▲5八玉 △1二香 ▲4五歩 △3三角 ▲4六銀 △1五歩 ▲同歩 △1一飛 ▲2七桂 △2五歩
▲3七金 △2一飛(第2図)
「封じます」
と私は述べた。封じ手とはその日の最後の一手を紙に記入し、封筒に入れて封をすることだ。
封じ手の入った封筒を立会人に渡した。時刻は午後6時を過ぎていた。
2日目は初期配置から1日目の手筋をなぞるところから始まる。1手ずつ振り返る中で、互角かやや有利に進めているという感覚が改めて沸いた。
立会人の先生が封じ手を開封する。
▲1四歩。
茗仁は30分ほどの考慮で次の手を指した。
△同香 ▲1五歩 △2六歩 ▲同金(第3図)
この時点では良さそうな感じはしていた。後手から突破する順は、自分の中では見つからなかったからだ。
△6五歩 ▲同桂 △同桂
▲2二歩 △7一飛 ▲1四歩 △7五歩(第4図)
私の前には大きく2つの選択肢がある。
同歩と受けるか、より相手玉に近い6筋を攻めるか。
▲6五歩と桂馬を取った場合、△7六歩、▲7二歩、△同飛、▲6四桂で王手飛車をかけられる(参考A図)。
ただし、△6四同銀で桂馬を3枚にされるとやや厳しい。「三桂あって詰まぬ事なし」という格言があるからだ。▲同歩、△7七歩成、▲6三銀と後手の駒を徐々に徐々に剥がしていければ、△同金、▲同歩成、△同玉、▲8一角と間接的な王手飛車にできる。△6七金、▲同金と7筋が空いたとしても飛車を釘付けにしているため、逆に王手をかけられる心配がない(参考B図)。
だが、茗仁がこの手を読んでいないわけはない。「玉飛接近すべからず」という格言は茗仁の前には無意味だ。
▲6五歩の後△6六歩には▲同銀、△同角、▲6八香で角を狙える。△3三角と逃げても、▲6四歩で銀取りになり、△7四銀と逃げても追撃が危ない形ですよね。一旦▲4七玉と上がって、角を打ち込んで行く。なので、▲6八香から△7三桂と紐をつけて▲6六香ですと△同桂が怖い。
1時間ほど経っただろうか。お昼休憩の時間になった。
富士宮といえばやきそばは外せない。B級グルメの先駆けとして全国で有名になった。将棋順位戦ではA級を目指すが、こういうB級なら悪くない。加えていなり寿司を注文していた。
受けた場合を考える。△7六歩、▲同銀、△6六角、▲6八香としても△7四桂と打たれると厳しい(参考C図)。早めに玉を逃すのがよさそうだ。
▲6八香の代わりに▲6四歩、△同銀、▲8二角(参考D図)と両取りを狙うこともできる。
どちらの手を選んだにせよ、終盤に向かって駒の取り合いになることは避けられない。
▲7五同歩。
1時間の昼食休憩を挟んで考慮時間1時間36分。
この手が最善手であるかどうかは後になってみないとわからない。
茗仁は読み通り△7六歩と打った。
▲同銀 △6六角 ▲6四歩 △同銀
▲8二角 △7五飛 ▲同銀 △同角 ▲6六歩 △7七歩 ▲8八金 △7三銀 ▲7六香 △8二銀
▲7五香 △2八角(第7図)
玉に近い銀を狙うこの角打ちは非常に厳しい。飛車角が持ち駒にあるとはいえ、攻めによって自玉を守ることはほぼ不可能だ。
▲4七玉 △5八銀 ▲同玉 △4六角成 ▲6五歩 △5六馬 ▲6四角 △4六桂
▲6九玉 △5八銀
「負けました」
午後5時17分、投了(終局図)。
予想通り▲7五歩か▲6五歩かの選択が運命の分かれ道だった。
途中までは茗仁が不利だったことは、彼自身も感じていたようだ。複雑な局面から勝利を掴み取る、茗仁の見事な逆転劇だった。
以降の対局は本来の調子を取り戻せず、3連敗。茗仁の初防衛は全国紙のトップを飾った。
▲7五歩か▲6五歩か、考慮しながら味わった富士宮やきそばは、この棋譜とともに心に刻みつけられた。
後で聞いた話だが、茗仁の1日目の昼食も同じメニューだったとのことだ。
香りと記憶がよぎったのは、流れ星が通り過ぎるような一瞬のことだった。手にしたグラスからはもう、なんの香りもしなかった。空っぽになったグラスを置くと、「いかがでしたか」とマスターが聞いた。
「『あいがかり』でした。今の私に必要な。マスター、どういう魔法を使ったんですか」
「ここは『あいがかりBAR』ですから。あなたが、この店の名前をつけたんですよ」
マスターがにこやかに告げた。私の「これまで」も「これから」もお見通しのような目をして。
頭の文字のいくつかが読めない看板を見たとき、思い浮かんだのは「あいがかり」だった。あの日の「あいがかり」があったから、今の私がある。そのことを思い出すきっかけを心のどこかで求めていたのかもしれない。
「あいがかり」の日の私と今の私はつながっている。そう思えたら、風船の端っこを持ってもらっているような安心感がある。
階段を昇り、地上に出ると、文字が消えて読めなかった看板は、看板ごと消えていた。歩き出した足取りが軽くなっている。鼻の奥に、焼きそばといなり寿司の香りがかすかに残っていた。
おわりに
お読みいただきありがとうございました。モデルとなった対局は、2022年10月27日〜28日にかけて行われた35期竜王戦七番勝負第3局(於:静岡県富士宮市「割烹旅館 たちばな」)です。藤井聡太竜王に広瀬章人八段が挑みました。
それにしても藤井七冠の進撃が止まりませんね。「あいがかり」にしようと書き始めたのが3月22日。このときはまだ六冠でした。それもすごいことではあるのですが、わずか2ヶ月後の6月1日、渡辺名人に勝って史上最年少名人かつ七冠の称号を手にしました。(なお本文中で「しちかん」と振っているのは柳瀬尚紀著『日本語は天才である』に拠っています。)
ところで、公開の1週間前に予告としてこんなツイートをしてみた。
8月1日から81マスの将棋盤を思い浮かべた人は、果たしていたのだろうか?
参考
AbemaTV [10/29] 藤井聡太竜王・広瀬章人八段 昼食の注文
(エラーと出ているかもしれませんが、ご覧いただけると思います)
『フォトドキュメント 第35期竜王戦七番勝負』読売新聞社(2023年)
上野裕和著『【増補改訂版】将棋・序盤完全ガイド 相居飛車編』マイナビ(2018年)
中座真著『相掛かりの新常識』マイナビ(2018年)
飯島英治著『凄い相掛かり』マイナビ(2023年)
谷合廣紀著『AI解析から読み解く藤井聡太の選択』マイナビ(2021年)
使用ソフト
将棋ぶらうざQ
やねうら王
局面図作成
Shogipic
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