膝枕外伝 膝十夜「第九夜」
まえがき
こちらは、脚本家・今井雅子先生の短編小説「膝枕」の2次創作です。夏目漱石の『夢十夜』に膝入れしました。
第九夜はキャラ付けと会話が楽しいあの外伝が中心です。
今井先生のエピローグ
それからの膝枕(twitterの画像をご覧ください)
二次創作まとめ、YouTube、Googleカレンダーなど
膝枕外伝 膝十夜(原作:夏目漱石、膝入れ:やまねたけし)
第九夜
世の中が何となくざわつき始めた。今にもタイムセールが起こりそうに見える。逃げ出したきゅうりの馬が、夜昼となく、青果コーナーの周囲を暴れ廻ると、それを夜昼となく店員が犇きながら追っかけているような心持がする。それでいて人参のうちは森として静かである。
売り場には母親の膝枕と三つになる人参の子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。緩衝材の上で黒いポリ袋を穿いて、フルーツキャップを被って、勝手口から出て行った。その時ひな祭りのぼんぼりの灯が暗い闇に細長く射して、乳製品の手前にある桼の器を照らした。
父はそれきり帰って来なかった。枕の母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも言わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「行ってお帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今にお帰り」という言葉を何べんとなく繰り返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「お父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。
夜になって、四隣が静まると、母は結束バンドを締め直して、爪楊枝をバンドの間へ差して、子供を細紐で膝の上で抱いて、そっと潜りから出て行く。母はいつでもポリ袋を穿いていた。子供はこの袋の音を聞きながら母の膝で寝てしまう事もあった。
常温商品棚の続いている漬物町を西へ下って、だらだら坂を降り尽くすと、銀杏の売り場がある。この銀杏を目標に右に切れると、豆腐の奥に石の鳥居がある。片側は田楽で、片側は笹かまぼこばかりの中を鳥居まで来て、それを潜り抜けると、暗い栗の木立になる。それから13メートルばかり灯り伝いに突き当ると、古い拝殿の階段の下に出る。オーブンレンジくらいの大きさのダンボール箱の上に、大きな鈴の紐がぶら下がって昼間見ると、その鈴のそばに嘘八百稲荷という額が懸かっている。八の字が、鴎が飛んでいるような書体にできているのが面白い。そのほかにもいろいろの額がある。たいていは家中の膝に見えるものを、見抜いたものの名前に添えたのが多い。たまには太刀魚を納めたのもある。
鳥居を潜ると栗の梢でいつでも梟が鳴いている。そうして、ポリ袋の音がくしゃくしゃする。それが拝殿の前でやむと、母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐに柏膝を打つ。たいていはこの時梟が急に鳴かなくなる。それから母は一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫が経営者であるから、商売繁盛の神の稲荷へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。
子供はよくこの鈴の音で眼を覚まして、四辺を見ると真暗だものだから、急に膝の上で泣き出す事がある。その時母は何か祈りながら、膝を振ってあやそうとする。するとうまく泣きやむこともある。またますます激しく泣き立てることもある。いずれにしても母は容易に立たない。
一通り夫の身の上を祈ってしまうと、今度はバンドを解いて、腿の上の子を摺りおろすように、両膝に抱きながら拝殿を上って行って、「好い子だから、少しの間、待っておいでよ」ときっと自分の膝頭を子供の膝頭へ擦りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから段々を下りて来て13メートルの敷石を往ったり来たり御百度を踏む。
拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、バンド長のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。そういう時は母にとって、はなはだ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途で拝殿へ上がって来て、いろいろすかしておいて、また御百度を踏み直す事もある。
こういう風に、幾晩となく母が膝を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に膝枕アイドルモデルの膝枕と一体化していたのである。
こんな悲しい話を、夢の中で思い込みの激しいおふくろさん膝枕から聞いた。
あとがき
今回参考にさせていただいた作品です。
履歴
2022年11月21日 第九夜公開。
2022年11月22日 中原敦子さん(膝番号68)に膝開きいただきました! ありがとうございます!
2022年11月30日 本文を修正。縦書きpdf原稿を追加。
2022年12月21日 酒井孝祥さん(膝番号109)が読んでくださいました! ありがとうございます!
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縦書きpdf原稿
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