膝枕外伝 膝十夜「第四夜」
まえがき
こちらは、脚本家・今井雅子先生の短編小説「膝枕」の2次創作です。夏目漱石の『夢十夜』に膝入れしました。
第四夜は満を持してあの方が登場します。
今井先生のエピローグ
それからの膝枕(twitterの画像をご覧ください)
二次創作まとめ、YouTube、Googleカレンダーなど
膝枕外伝 膝十夜(原作:夏目漱石、膝入れ:やまねたけし)
第四夜
広い土間の真中に涼み台のようなものを据えて、その周囲に小さい床几が並べてある。台は黒光りに光っている。片隅には四角な膳を前に置いて爺さんが1人でサイダーを飲んでいる。おにぎりもあるらしい。
爺さんはサイダーの加減でなかなか赤くなっている。その上顔中つやつやして皺と言うほどのものはどこにも見当らない。ただ白い鬚をありたけ生やしているから年寄ということだけはわかる。自分は子供ながら、この爺さんの年はいくつなんだろうと思った。ところへ裏の筧からサイダーの缶に水を汲んで来たワニさんが、きらきら光るで手巾で手を拭きながら、
「御爺さんはいくつわに」と聞いた。爺さんは頬張ったおにぎりを呑み込んで、
「いくつか忘れたよ」と澄ましていた。ワニさんは拭いた手を、細い帯の間に挟んで横から爺さんの顔を見て立っていた。爺さんは茶碗のような大きなものでサイダーをぐいと飲んで、そうして、ふうと長い息を白い鬚の間から吹き出した。するとワニさんが、
「御爺さんの家はどこわに」と聞いた。爺さんは長い息を途中で切って、
「丹田の奥だよ」と言った。ワニさんは手をきらきら光る背広のポケットに突っ込んだまま、
「どこへ行くわに」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなものでシュワシュワのサイダーをぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、
「大きなまちへ行くよ」と言った。
「真直わにか」とワニさんが聞いた時、ふうと吹いた息が、障子を通り越して柳の下を抜けて、原っぱの方へ真直に行った。
爺さんが表へ出た。自分も後から出た。爺さんの腰に小さい膝枕がぶら下がっている。背中に四角な箱を背負っている。浅黄の股引を穿いて、浅黄の袖無を着ている。足袋だけが黄色い。何だか皮で作った足袋のように見えた。
爺さんが真直に柳の下まで来た。柳の下にこどもわにが三四人いた。爺さんは笑いながら腰から浅黄の手拭を出した。それを肝心綯のように細長く綯った。そうして地面の真中に置いた。それから手拭の周囲に、大きな丸い輪を描いた。しまいに背中の箱の中から真鍮で製えた笛型膝枕を出した。
「今にその手拭が膝になるから、見ておろう。見ておろう」と繰返して言った。
こどもわにはしっぽを右へ左へぶんぶん振り回しながら、一生懸命に手拭を見ていた。自分も見ていた。
「見ておろう、見ておろう、好いか」と言いながら爺さんが笛を吹いて、輪の上をぐるぐる廻り出した。自分は手拭ばかり見ていた。けれども手拭はいっこう動かなかった。
爺さんは笛をぴいぴい吹いた。そうして輪の上を何遍も廻った。草鞋を爪立てるように、抜足をするように、手拭に遠慮をするように、廻った。怖そうにも見えた。面白そうにもあった。
やがて爺さんは笛をぴたりとやめた。そうして、背負った箱の口を開けて、手拭の首を、ちょいと摘んで、ぽっと放り込んだ。
「こうしておくと、箱の中で膝になる。今に見せてやる。今に見せてやる」と言いながら、爺さんが真直に歩き出した。柳の下を抜けて、細い路を真直に下りて行った。自分は膝が見たいから、細い道をどこまでもついて行った。爺さんは時々「今になる」と言ったり、「膝になる」と言ったりして歩いて行く。しまいには、
「今になる、膝になる、
きっとなる、膝が鳴る、」
と韻を踏みながら、とうとう沼の岸へ出た。橋も舟もないから、ここで休んで箱の中の膝を見せるだろうと思っていると、爺さんはざぶざぶ沼の中へ入りだした。始めは膝くらいの深さであったが、だんだん腰から、胸の方まで水に浸かって見えなくなる。それでも爺さんは
「深くなる、夜になる、
一つになる」
と唄いながら、どこまでも真直に沈んでいった。そうして鬚も顔も頭も膝枕もまるで見えなくなってしまった。
自分は爺さんが向岸へ上がった時に、膝をまた見せるだろうと思って、蘆の鳴る所に立って、たった1人いつまでも待っていた。けれども爺さんは、とうとう起きあがってこなかった。
あとがき
今回参考にさせていただいた作品です。
文:今井雅子、絵:島袋千栄『わにのだんす』
履歴
2022年11月16日 第四夜公開。
2022年11月21日 第三夜、第四夜を一度に膝開き! Junkoさん、ありがとうございました!
2022年11月22日 中原敦子さん(膝番号68)に全編通してお読みいただきました! ありがとうございました!
2022年11月29日 縦書きpdf原稿を追加しました。
2022年12月10日 酒井孝祥さん(膝番号109)が読んでくださいました! ありがとうございます!
2023年1月20日 「うきと朗読人達の朗読部屋」の中で中原敦子さん(膝番号68)にお読みいただきました! ありがとうございました!
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縦書きpdf原稿
ルビ付き
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