転生したら◯◯だった件
私は暗闇と振動の中で目を覚ました。小刻みな上下運動が、俯せになった腹に直接伝わってくる。地震が起きているのだろうか。そもそも、ここがどこなのか私にはうかがい知ることができない。
突然、下から突き上げるような痛みを感じた。次の瞬間、私の体は宙に浮いた、と同時に周りに光が現れた。重心が動物線……ではなく放物線を描いた後に、背中から地面に叩きつけられた。
ぐへっ
背骨に受けた衝撃が肋骨を圧迫し、中の空気が追い出される。意外にも脊椎はムチのように柔軟であった。バウンドした僅かな間に細長い楕円体の体を半回転させる。今度は着地に成功した。振動はすでに止まっていた。
これはいわゆる、異世界転生というものなのか。しかし、四つん這いになった私は一体どんな姿なのだろう。
地面が近い。砂ぼこりが鼻の穴の痛覚を刺激する。
ここは私がいるべき場所ではないのではないのか。本能がそう感じさせた。ならば、私はなぜここに存在しているのだろうか。
誰か、助けて。
しかし——
舌が下顎に張り付いて、上手く声が出せない。
ぐぼっ……ぐぶぉおぉぉ
頬に溜めた空気を押し出すように発せられたのは、かろうじて叫びとも聞こえる程度の唸りだった。
* * *
途方に暮れていたその時、一人のおばちゃん女性の声が目の上から振ってきた。
「あらぁ、新入りさんかい?」
私はその姿格好を見てギョッとした。白いエプロンから伸びた2本の木のような足。左手に花籠、そして頭を赤いバンダナで覆っていた。
恐怖はその場から離れるよう私に進言するが、体が言うことを聞かない。4本の足をどのように動かせばよいのかわからず、その場に立ちすくむことしかできなかった。
「大丈夫だよ。最初はみんな戸惑うもんさ」
その声には、今まで同じ状況下に置かれた者を何人も見てきた、というベテランの風格があった。まだ信用はできないが、他に頼れる人はいない。自分の無力さが情けなくなる。
「まずは会話ができるようにならないとだね。ついておいで」
ついて行くと言っても、足の運び方がわからないのだ。唸り声から察してくれたのか、その女性は歩き方を丁寧に教えてくれた。おかげでゆっくりとだが、前に進むことができた。
「ここだよ」
と彼女が指したのは、木造平家の建物だった。目の端で捉えた看板には『Helena』と書いてあるように見えた。
* * *
小屋の中は、外から見たよりも広く思えた。所狭しと棚が並んでおり、ぬいぐるみや木彫りの人形や、土をこねて作ったような大小さまざまな大きさの器が飾られていた。
「初めまして。津上野華です」
ゆったりとした、温かみのある女性の声が聞こえた。
「椅子に乗せるよ。せーの、よっこいしょ」
2人がかりで私を並べた丸椅子の上に乗せる。
「喉、渇いてませんか」
私は長い口を上下させてうなずいた。
「そう、よかった。お水をどうぞ」
エプロンの女性が
「さあ、口を開けてごらん」
と言うと、透明な液体を私の口に流し込んだ。舌の上で何かがパチパチと弾ける。エプロンの女性がいきなり私の上顎を指1本で押さえつけ、低くドスの効いた声で言った。
「泡が消えてしまう前に飲み込むんだよ」
そこまで強い力ではないにも関わらず、口を開けることができなかった。私は忘れかけていた恐怖に身を震わせながらも、無理やり液体を流し込む。食道を抜けると、冷たかったはずのそれは熱を持って体内を駆け巡る。液で満たされた細胞が激しく踊り出すのを感じた。硬く乾燥していた肌が弾力を持つようになった。後ろ足が伸び、尾の付け根がわずかに背中側へと移動した。重心が下がると同時に、前足の可動域が左右にも広がった。体の熱がゆっくりと引いていく。心臓の鼓動が徐々に遅く、しかし1回1回の拍動は力強くなる。
呼吸と脈が安定する。
私は、2本の足を投げ出して座り直した。バランスが取れず、体を左右に揺らす。改めて内装を見渡した。手作りの工芸品以外にカウンターの上には黒塗りの鏡、そして奥にはテレビのような黒い箱も見える。触角のようにアンテナが2本伸びているからアナログだろう。
カウンター越しに津上さんの顔があった。女神のような包容力のある優しさと、全てを見透かされそうな鋭さを兼ね備えている、そんな印象を持った。もしかすると、私がここではない世界から来たことも知っているのではないだろうか。
* * *
「改めまして、津上野華です。このまちの案内をしたり、人の相談に乗ったりしています」
「あたしは見ての通りただのお節介おばさんだよ」
とエプロンの女性が続けた。
「私は……」
鏡に映る自分の顔を見て、言葉を失った。それはヒトの姿ではなかった。ゴルフボールを半分に切って被せたように浮き上がる2つの目。そこから前に向かって伸びる大きな口。皮膚には網目が走り、個々の区画は樹木のように硬い。一度瞬きをする。変化なし。そこにいたのは、紛れもなく椅子に座るワニだった。
続く言葉が出てこない。なぜワニの姿なのですか。いや、違う。私には2人がヒトに見えているように、2人からは私がヒトに見えている可能性がある。ならば、異世界から来たと正直に言えばよいのか。どうすれば元の世界に戻れるのですか、これも違う。「元の世界?」と首を捻られるのが関の山だろう。下手をすると変人扱いだ。この状況を受け入れるしか選択肢はないのか。
2人は私の言葉を待っている。私の判断を待っている。
「ここでは、どうやって暮らしていけばいいんですか」
セオリーなら冒険者だ。が、返ってきたのは予想外の答えだった。
「自分の好きなことをすればいいのです」
「自分の、好きなこと」
私が繰り返す。
「といっても泥棒とか人を支配したいとかはダメだよ。まあ、そんな輩はいないけどね」
エプロンの女性が付け足した。なるほど、この世界の住人はとても高い道徳心をお持ちのようだ。
「まぁ、何もしなくても生きてはいけるけどね、それじゃあつまらないだろ」
一理ある。納得すると同時に胸が痛んだ。
「お二人もずっと好きなことを続けてこられたのですか」
「わたしは、昔から相談を受けることが多かったので、そのまま続けています」
と津上さん。
「あたしは世話焼きだから、困っている人を見ると放っておけなくてね」
そういえば、まだお礼を言っていないことを思い出した。
「声をかけていただき、ありがとうございます」
「いいんだよ、好きでやってることなんだから」
お人好しみが溢れる笑顔が私にも伝染り、気持ちが少し軽くなった。
「他にはどんなことをしている人がいるんですか」
先に答えたのは津上さんだった。
「さっき飲んだサイダーを作るのが好きな人もいます。みんなこのサイダーが大好きで、そのことを伝えると喜んでくれます。加えて、その対価を得ることでもっと美味しいサイダーを作ることができるのです」
「サイダーを宣伝するのが好きな人もいるね。いろいろなまちへ運ぶのが好きな人もいるし、交通網を整備するのが好きな人もいる。みんなの『好き』が繋がって、いい循環ができているんだね」
なるほど、お互いがお互いの好きなことを尊重しているからこそ成り立つのだと思う。
「ということは、ここに飾ってあるものは全部……」
「ええ、皆さんが好きなことをした結果を持ってきてくれるのです」
クリエイターにとっても安心して創作に打ち込めるということか。
私は……
「あなたのしたいことは何ですか」
* * *
津上さんの言葉が、手配してもらった部屋で一息つく私の脳内を巡回していた。
自分のしたいこと……
元の世界では、したいことなど特になかった。周りに流されるまま高校、大学へと進学した。就職後もその生活は変わらず、給料はさほど高くなかったが貯金だけは溜まっていった。
周囲がやりたいことに打ち込む中で焦燥感が募ったが、最期まで見つからなかった。
これは私への罰なのだろうか。
* * *
ある日、道ばたに黒山の人だかりを見つけた。いいぞいいぞ、という掛け声も聞こえる。一体何だろうと近づいてみると、輪になった観客の中心で踊る影が1つ。足で地面を叩いたり、しっぽを左右に振ったりしている。体を動かすたびに、赤い帽子と黄色い背広に埋め込まれた宝石がキラキラと光る。
地面に置かれたサイダーの空き缶はお金で溢れていた。
アリゲーター、という代わりに左右に振る手も踊っているようだ。皆が去った後、山を崩さないよう慎重に硬貨を置くと、私は
「あの……」
と声をかけた。
「ダンスがお好きなんですか」
うなずき。
「少し、お話を聞かせていただいてもいいですか」
* * *
踊るとみんな喜んでくれる。お金もくれる。
技術が上がって、見た目もキラキラ華やかになる。
新しいダンスを披露するとみんなの目がいきいき光る。
多くの人に見てほしくて、いろんなまちに出かける。
さっき、電車で“こどもむら”に行ってきた。
はじめ、こどもたちは、もじもじして出てこなかった。
踊りを見ると、にじにじ寄って来てくれた。
こどもたちは、たくさん笑ってくれた。
あんまり嬉しくて、踊りながら帰ってきたところ。
だけど、まだまだ踊り足りない。
そのくらい、踊ることが大好きなんだ。
* * *
頭の中に「キラキラ」「いきいき」「にじにじ」「もじもじ」「まだまだ」という言葉が刻みつけられた。
キラキラにはギラギラが合いそうだ。ミラーボールを思い浮かべる。
いきいきにはうきうき。こちらの心まで弾むではないか。
——思い出した。私は、言葉を紡ぐのが好きだったのか。学生時代に書いた小説を友人は喜んでくれた。バンドを組んだ友人のために作詞をしたこともあった。私の文章で、この世界の誰かが喜んでくれるのなら……。
『Helena』へと急ぐ。
* * *
「津上さん!」
突然の訪問だったが、津上さんは私が来ることがわかっていたかのような笑顔を見せた。
「したいことが見つかったようですね」
私は息を整えつつ首を縦に振る。
何か書くものを、と言いかけて、私の視線は彼女の手に釘付けになった。
「それって……」
「あなたが元にいた世界で言うところの『スマートフォン』です」
「やっぱり、ご存知だったんですね」
「ふふふ。技術はほとんど変わらないのです」
彼女は魅惑的な笑みを浮かべた。津上さん、まさか、あなたも……。いや、今はまだその時ではない。
「ということは、文章や写真・動画を投稿できるアプリもあるのですか」
「もちろん、ありますよ。この端末をお使いください」
「ありがとう」
* * *
暖めていた文言をダンスの動画とともにalligaitterとwanistagramに投稿した。瞬く間に拡散され、たくさんのいいね!❤️とコメント💬がついた。
『繰り返し言葉のリズムが楽しい!』
『子どもと一緒に踊っています!』
『もっと読みたい!』との言葉に応えて、聞いた話を連続ドラマのように発信し続けた。ハートの数から、読んでくれた人が楽しんでいることが伝わってきた。“こどもむら”の子どもたちにピアノを贈ったところでこの話を終える頃には、私たちは有名人になっていた。
私は物語を紡いだ。どんなジャンルの話でも皆が喜んでくれた。
ここは表現者にとっての楽園だ。元の世界に戻ることを諦めたわけではないが、しばらくはここで生きていくのもいいかもしれない。
まずはこの話を形にしよう。サイダーのポスターの絵を描いた人を見つけて挿絵を描いてもらい、この世界に初めての絵本が誕生した。
『Helena』のコレクションがまた1つ増えた。
〈「転生したら〇〇だった件」END〉
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絵本「わにのだんす」(文:今井雅子、絵:島袋千栄)はわにの国で書かれたお話が巡り巡って今の形になったと言われているとかいないとか。
『おどることがだいすきな——
(中略)
——だんすわには おくりものを かいました』
〈「転生したら〇〇だった件」隠せてない隠しEND〉
参考資料
謝辞
まずは初演の依頼をご快諾いだたいた宮村麻未さんに心からの感謝を送ります。2021年12月28日という年末のお忙しい中、聞きにきてくださった皆様にも感謝致します。 Replayはこちら▼(朗読は10分の時点〜)
そして、この話の元となる「わにのだんす」を世に出してくださった今井雅子さんと島袋千栄さん、関係者の皆様に感謝申し上げます。
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