膝枕外伝 こどもわにのおゆうぎ会
まえがき
現在、2022年8月2日82時82分です。
冗談はさておき、こちらは、脚本家・今井雅子先生の短編小説「膝枕」の2次創作です。タイトルに膝がない? 安心してください、ワニにも膝があります。
今井先生のエピローグ
それからの膝枕(twitterの画像をご覧ください)
下間都代子さんによる朗読
https://www.youtube.com/watch?v=_RYEGun9RR4
Noteに投稿されたスピンオフ
下記のマガジンをご覧ください。
https://note.com/masakoimal/m/m87d1647133fa
Note以外に投稿されたスピンオフ
藤崎まりさん作
(stand.fm)今井雅子作・膝枕 アレンジバージョン
やがら純子さん作
落語台本「膝枕」
下間都代子さん作
ナレーターが見た膝枕〜運ぶ男編〜
(Youtube)大人の朗読リレー「膝枕は重なり合う」(朗読:下間都代子さん、景浦大輔さん)
kana kaede(楓)さん作
「単身赴任夫の膝枕」
賢太郎さん作
「膝枕ップ」
松本ちえさんも「からくり膝枕」をお書きになりました。
(限定公開のようでしたので紹介に留めます)
本編
駅の方向以外を囲む森の奥に入ってはいけない。
——むらのおきて
第1章 こどもわにたち
休日の朝、1人のこどもわにが、部屋のドアをたたく音で目を覚ました。
ここはわにの世界のどこかにある「こどもむら」。わにのこどもたちが大きな木の家で共同生活をしている。広場の中央にはだんすわにがくれたグランドピアノ。
彼は最年長であるために、他のこどもわにたちから「あにぃ」と呼ばれていた。
周りを見たが、誰も起きてこない。音に気づいたのは彼だけのようだ。寝ぼけ眼でドアを開けようとした。しかし、外から誰かが押さえつけているように重い。力を込めて押し開けるが、外には誰もいなかった。視線を落とすと、オーブンレンジくらいの大きさの箱があった。音の正体はどうやらこの箱らしい。
貼られた紙はほとんど破れていたが、かろうじて残っていた部分を読み上げる。
「箱入り娘白雪姫……!?」
彼の声が喜びに打ち震えた。
なんというタイミング。まさに運命的な出会いだ。
あにぃには考えなければならないことがあった。今度、こどもたちみんなでやるおゆうぎ会での演目である。
できるだけたくさんの友達が出られるお話がいいだろう。
彼が目をつけたのは、『わにのだんす』の作者で、だんすわにの友達が書いた「箱入り娘白雪姫」というお話。
独り身の王が膝枕——正確には女性の腰から下をかたどったおもちゃ——その名も「箱入り娘白雪姫」の柔らかさに溺れる。ある日、王は舞踏会で出会ったヒサコという女性の美魔女膝に魅了され妃に迎える。ヒサコの不思議な鏡が、白雪姫の膝枕が一番だと言ったために、ヒサコは猟師に命じて白雪姫を城から追放する。7人の小人とともに暮らしていた白雪姫がヒサコに騙されて毒リンゴをインストールすると、動かなくなってしまう。悲しむ小人たちの元を通りかかったマメな王子が膝物語を語り聞かせる。再び動き出した白雪姫は王子と結ばれ、ヒサコもまたイケオジに生まれ変わった王と幸せに暮らしてハッピーエンド。
白雪姫、王、ヒサコ、鏡、猟師、7人の小人、さらに王子と語り手もいる。登場人物は十分なほど多い。
配役案も考えてある。王役は普段から風格がある彼に。ヒサコ役はなぜか気品のある言葉遣いをしている彼女に。マメな王子は好奇心旺盛で暇さえあれば本を読んでいるジローにぴったりだと思った。
だが、白雪姫役はただ膝枕されるだけで一言もセリフがない。下手にセリフを足してしまうと陳腐になりかねない。主役とはいえずっと無言なのはかわいそうだと思い、決めかねていた。
そんなときに本物の膝枕が転がり込んできた。これは運命なのかもしれない。
だけど、と、あにぃは思いとどまる。彼女の意思を第一に考えなければならない。
箱入り娘白雪姫の膝がはねた。賛同してくれているらしい。
こどもわにたちを集め配役について話し合うと、彼の予想通りになった。猟師役の希望がいなかったので、自分がやることにした。
その日から練習が始まり、彼は箱入り娘白雪姫の女優ぶりに、下あごについた舌を巻くことになった。
第2章 運ぶ男とナビコ
休日の朝、独り身で恋人もなく、打ち込める趣味もなく、その日唯一の予定も無くした配達員の男、綿谷は「膝枕ナビコ」と向き合っていた。テーブルの上に置かれたカレーうどん特集の雑誌も萎びて見える。
「ナビコです。ナビ主さんは元気がありません。それは異常です!」
「……誰のせいでこうなったと思ってるの」
「膝枕ナビコ」とは、綿谷が会社から支給されたナビ機能搭載型膝枕である。あくまで膝枕が主でナビはおまけなのだが、彼はすでに113日も膝枕のおあずけを食らっていた。ついでに一生分のゾウも。
膝枕できないならばと、自腹で「箱入り娘白雪姫」を購入した。裾がレースになった白のスカートからのぞく雪のように白い膝が、綿谷の脳裏に焼きついて離れなかった。この膝に早く頭を預けたいと込み上げる衝動をグッとこらえた、ところまでは良かったのだが。彼女との初夜となるその日の夜。よりによって彼は手を出さず、いや頭を出さず、横にいる箱入り娘白雪姫の気配を感じて眠った。だが、翌朝、男が目を覚ますと白雪姫の姿がなかった。保証書の隅に肉眼で読めないないほどの小さい字で「混ぜるな危険! 独占欲が強いので他の膝枕と一緒にしないように」との注意書きに気づいたときには後の祭り。
落胆する綿谷にナビコは容赦が無い。
「ナビ主さんは独り身だから『読めなかった』んですね」
「うまいこと言ったつもりかもしれないけど、こっちは傷ついてるんだからね」
「手当てしますか?」
「そうじゃなくて、言葉のチョイスに気をつけてね」
「木をぶつけますか」
「精神攻撃から物理攻撃に変えてきた。恐ろしい子!」
「なにがお困りですか」
「だ・か・ら、ナビコちゃんのせいで、箱入り娘白雪姫が逃げちゃったの!」
「それはナビ主さんが取り扱い説明書を読まないのが悪いと思います」
正論に返す言葉もない。
「ええ、おっしゃる通りですよ」
素直になった彼に、ナビコは意外な言葉を発した。
「箱入り娘白雪姫まで、ナビゲートしますか?」
「えっ、彼女の居場所がわかるの?」
「あなたの人生をナビゲート、ナビコです」
「でも剥き出しで運ぶと危ない人だよな。旅行鞄でいいか」
「4Kはいやです。キツい、暗い、臭い鞄」
「臭いは余計だよ。ちゃんと消臭したから」
文句を言うナビコを半強制的に旅行鞄に押し込める。ファスナーは少しだけ開けておいた。
ナビゲートされてきた建物には「さすらい駅」と書かれていた。
* * *
「この先、料金所です。ETCカードが挿入されていません」
「突然の浅◯南ちゃん! というか、駅の中に料金所はないでしょ。改札のこと?」
どう見ても駅ナカのシェアオフィスである。
「って改札でもないじゃん!」
「ただの料金所です」
「タダなのにETCカードって言ったの?」
「あの声に憧れています」
「そういえば、料金所って英語で"toll gate"って言うでしょ。『通るゲート』ってなんとなく面白いなって……」
「目的地まで、この先13キロメートルです」
「あれー、言葉にうるさいナビコちゃんなら何か反応あるかなと思ったんだけど」
「ゲートだけにスルーしてみました」
「しかも13キロメートルって」
「目的地は終点の駅です」
「駅っていうからには、電車なんだよね」
「さあさあおなかへおはいりください」
「『銀河鉄道の夜』じゃなくて『注文の多い料理店』かよ」
今は箱入り娘白雪姫を探すことだけを考えよう。
綿谷は歩を進めた。彼の体が青白い光に包まれる。
扉の上の案内板が「ワニゲート」になっていたことに彼は気づかなかった。
* * *
国境の長いトンネルを……などと考える余裕は綿谷には残っていなかった。
ビジネススペースのゲートを抜けた先にあったのは鬱蒼と茂る森。地面はぬかるんで歩きにくい。歩きにくいのはそれだけではない。頭と腕がやけに重い。バランスが取れず膝をつく。
水溜りに映る自分の顔に驚愕した。そこにいたのは、ワニ。なぜか二足歩行の。
「なんだこれは! どういうことだ!」
「ナビ主さんは『タダ』を払ってワニになりました」
「えっ、なにその某神隠しみたいな設定」
だが、このときばかりは誰かが隣にいてくれることがありがたいと綿谷は思った。例えそれがナビコであったとしても。
「ナビ主さんは失礼なことを考えていますね。ナビ主さんをワニ主さんに変更します」
いつの間にか旅行鞄からナビコが飛び出していた。
「僕がワニ主ならナビコちゃんも"ワニ"コちゃんになるんじゃないの?」
「ナビコはナビコです。ワニコでもパピコでもありません」
「ナビコちゃん、本当に自分大好きだよね」
「お探ししましたが『自分大好き』という木は見つかりませんでした」
「まさかの植物モード」
「『わに』について調べますか?」
「調べなくていいから」
「鏡でご自分の顔をご覧になってはいかがですか」
第3章 箱入り娘白雪姫
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰の膝?」
ヒサコ役の少女がたどたどしくも、凛とした風格でセリフを言う。
「この世で一番美しいのは、ヒサコ様の美魔女膝でございます」
鏡役が恭しく返答する。
休日の昼過ぎに始まったおゆうぎ会は滞りなく進み、いよいよ最後の劇「箱入り娘白雪姫」が行われていた。
舞台は滞りなく進む。
「うわあああ、膝だ!」
「本当だ! 膝だ!」
「可愛い膝だ!」
「でも、傷だらけじゃないか」
「ほんとだ、膝から血が出てる」
「早く手当てしないと」
「うちに連れて帰ろう!」
緊張している子もいるが、皆うまく言えている。
「なんて可愛い膝だ」
「雪みたいに真っ白だ」
「ヴァージンスノー膝だ」
「白雪姫と呼ぼう」
「白雪姫。いい名前だ」
「白雪姫。ぴったりな名前だ」
「いいね。白雪姫と七人の小人」
あにぃは狩人の出番を終え、舞台袖で見守る。こどもたちの成長にコバりそうになる。感傷に浸るその間にも話は進み、おばあさんに扮するヒサコが小人の家に来るシーンになった。
「こんにちは。もっと美しくなれるりんごは、いかが?」
城で鏡に話しかけている時とは全くの別人だ。完全におばあさんになりきっている。
そのとき、彼に話しかける声があった。小人役の中で最年長のコージだった。
「あにぃ、ジローがいません。あいつのことだから多分森に」
「王子の出番はもうすぐなのに」
ジローは好奇心旺盛で、暇さえあれば本を読んでいるような子だ。森の中に何があるかも知りたがっていたが、普段は誰かの目があるために行動には移せなかった。だが、全員がおゆうぎ会に集中している今ならと思ったのかもしれない。
「白雪姫を運ぶのをゆっくりにして時間を稼ごう。その間に必ず見つける」
あにぃは生まれて初めて森に足を踏み入れた。
* * *
「本当にこの先に箱入り娘白雪姫がいるの?」
ナビコにナビゲートされながらワニの姿になった綿谷は尋ねた。
「ナビコ、疑われるのは嫌いです。ここをキャンプ地としますか?」
「ちょちょ、わかったから。言う通りに進むから、ね?」
「わかりました。ナビコ、偉い子、素直な子です」
そのとき、藪の中から啜り泣く声が聞こえた。近づいてみると、こどもの、やはりワニがしゃがんで泣いていた。袖がひらひらし、背中に大きいピーナッツの刺繍が縫い付けられたシャツを着ている。この世界ではこういうのが普通なのだろうか、などと考えていると、少年が綿谷に気づいた。
「おじさん、だれ?」
「おじ……」
「ナビコです。ヴァージンスノー膝が自慢のナビコです。この人はワニ主さんです」
男の言葉をナビコが遮った。少年の目はナビコの膝に釘付けだ。ナビコを見る彼の目が光ったのは、涙のせいだけではないだろうと綿谷は思った。
「白雪姫の……おともだち?」
涙混じりの微かな声であったが、綿谷は「白雪姫」という言葉を聞き逃さなかった。
「君、箱入り娘白雪姫を知っているのか」
少年の体がびくっと震えた。
「ワニ主さんは不審者です」
「誤解を招く言い方をしないで」
「六階を招きますか?」
「その『階』じゃないんだな」
少年は恐怖と好奇心が入り混じった目で、綿谷とナビコの会話を聞いていたが、ふいに口を開いた。
「その膝枕、しゃべれるの?」
「ナビコです。初期設定で搭載されている単語には限りがあります。追加の単語はオプションでご購入いただけます。国内の方言および135か国語、さらにオヤジ構文や若者言葉にも対応。広がる話題、あふれる笑顔、ナビコとのおしゃべりがもっとスムーズ、ストレスフリーに。オンラインショップにご案内しましょうか」
「こども相手にオプションを売り込むな」
「あの、ぼくたちの村に、箱入り娘白雪姫がいて……いま、おゆうぎ会の途中で……帰れなくなって」
綿谷が思い出したように言った。
「そうだよ。俺たちは箱入り娘白雪姫を探しに来たんだ。ナビコちゃん、彼女のところまでナビゲートしてよ」
「ナビコ、偉い子、元気な子」
そのとき、
「ジローーーーーーー! 聞こえるかーーーーーーー?」
遠くからあにぃの声が響く。
「今行くーーーーー!」
ジローが返事をした。
無事あにぃと合流し、箱入り娘白雪姫の元へと向かう。
「まもなく、目的地です」
「よく頑張ったな、少年」
4人はついに森を抜けた。
* * *
白いスカートに顔を埋めたような錯覚を綿谷は覚えた。それは暗い森の中から日の下に出たときの眩しさだった。
やがて
「は・こ・い・り・む・す・め・し・ら・ゆ・き・ひ・め」
綿谷の声が喜びに打ち震えた。
「十三文字だ!」
ジローの声が続く。
そして、
「ヒサコ様、きっと今、これまでで一番お美しく、お幸せでいらっしゃることでしょう」
鏡が最後のセリフを言い、幕が降りた。
割れんばかりの拍手が響く。いつの間にか客席は超満員だった。
「ナッビーエンド」
と、ナビコが言うと、
「ワッニーエンド!」
と、こどもたちが返した。
客席の奥で、帽子に埋め込まれた宝石が一瞬夕日を反射したように見えた。
* * *
ワニのこどもたちに別れを告げたワニの姿の綿谷は、へそを曲げたままの箱入り娘白雪姫と共にナビコにナビゲートされて『ワニゲート』まで戻ってきた。
改めて見ると、森の中に唐突に現れるドアは異常である。
裏に回ってもドア板の裏が見えるだけである。
このゲートをくぐれば、元の世界に帰ることができる。
ワニの外見ともおさらばだ。
人工知能を搭載し口の減らないナビコと箱入り娘白雪姫と自分。
今夜こそは、箱入り娘白雪姫の膝枕で眠りたい。
そんなことを考えながら、綿谷はドアノブに手を掛ける。
が、1ミリも動かない。
ノブはダミーでドアそのものを動かせばいいのだと思い前後に動かしてみたが、びくりともしない。
開き戸に見せかけた引き戸なのだろう。横に動かす、こともできなかった。
やけになって前後左右上下に力を入れるが、どうやったって動かない。
「ナビコちゃん、このゲート、どうやったら、開くの?」
「ナビコです。料金が不足しています。ナビコです。」
「えっ、だって『タダ』なんでしょ? 名前は半分取られたけど」
「料金が不足しています。お金を稼いでください」
「稼ぐったって、荷物運ぶしかできないよ」
「ワニ主さんのワニ生をナビゲート。お役に立ちます。ナビコです」
「しょうがねえか」
元の世界に帰るべく綿谷の戦いは始まったばかりだ。
(つづく かも?)
あとがき
本外伝の元になった話は今井先生作「膝枕外伝 箱入り娘白雪姫」、「膝枕ナビコシリーズ」、絵本「わにのだんす」(文:今井先生、絵:島袋千栄さん)です。
思いつきの話を膨らませてくださった宮村麻未さん、小羽勝也さん、ありがとうございます。
2022年8月5日 記事公開。