転生したらワニの帽子屋だった件[朗読版]
「はあ〜」
客のいない店内を見渡して、帽子屋の店長は大きなため息をついた。その顔の前でただ1人の店員、小次郎が帽子を振った。
「ほらよっと」
「わっ、びっくりした。何してるの?」
「ため息をつくと幸せが逃げるって言うじゃないですか。だから捕まえてるんですよ」
その言い伝えは店長も聞いたことがあるが、
「だからって、帽子で捕まえなくたっていいじゃないか」
「"幸せを捕まえた帽子"って表に出したら、目を引くと思いますよ」
「ちょっとちょっと、人の幸せを勝手に売らないでもらえる?」
「まあまあ。溜め息自体は悪いことじゃないんですが、人前では避けましょうってカワニテツさんの本にも書いてありましたよ」
店長はお地蔵様のような著者の顔を思い出した。
「こう誰もいないとため息もつきたくなるよ」
確かに好きで始めた帽子屋だ。売れなくても生活に支障はない。しかし、
「俺は気に入った帽子を見つけた人の喜んでいる顔を見るのが何より好きなんだよ」
「素材はいいんですから、それをアピールする何かが必要だと思うんですよね」
そう言いつつ、帽子を伸ばしたり潰したりしている。
「それで人が集まれば苦労はしないよ」
「もっとキラキラさせた方が目立つかな」
「人の話聞いてた?」という店長のツッコミを無視して、小次郎は話を勝手に進めている。
「隣の宝石屋さんで何か埋め込んでもらいますね」
言うやいなや、彼は出て行ってしまった。
暇だから話し相手になってもらおうと思ったのだが、当てが外れた形になってしまった。目を落とすと、空っぽになったワニサイダーの缶が見える。誰もいなくなった店内で、つぶやいた。
「一人ならため息ついてもいいってことだよな。はあ〜。少し肩の力が抜けたかな」
腕が太いから肩が凝ってしょうがない、と前後にぐるぐる回す。
思い起こせば、彼は出会ったときから不思議な奴だった。いきなり店に現れて、ここで働かせてほしいと言ったのだ。意味がわからない行動が多いが、これまでに意味が無いことはしなかった。
カワニテツさんのことはcrocohouseという音声SNSで聞いたらしい。
「ただいま戻りました」
数分も経たないうちに小次郎の軽快な声が聞こえた。店長は「早かったね」と言いかけて、後ろにもう1人いることに気づいた。
「そちらの方は?」
「店の前に立ってたからご案内しました」
「こんにちワニ」
久しぶりの客に、店長の声は喜びに打ち震えた。が、いつも通りの接客を行なった。
「いらっしゃいませ」
その客を観察した。芯が通って文字通り木の幹のような体幹に、しなやかな手足と左右に揺れるしっぽが見える。この客は肩こりとは無縁だろうと、ワニの勘が告げている。
「ここは帽子屋さんワニか」
小次郎が応対した。
「ええ、いろいろな形、大きさ、色の帽子を揃えています」
「そうワニね、できるだけ丈夫で大きい帽子がいいワニね」
希望を教えてくれるのはありがたいのだが、できれば色や種類の要望を聞きたいと店長は思ったが口には出さない。
「うちのはどの帽子もとても丈夫ですよ」
「幸せも捕まえられますから」
「幸せ、ワニか?」
「いやいや、こちらの話です」
店長は小声で「余計なことは言うな」と釘を刺すが、小次郎は聞き耳を持たない。それどころが、たった今宝石を入れてきた帽子を薦めている。
「これなんかどうですか」
客のワニは帽子を受け取ると、埋め込んだ宝石に反射する光を感じるように、色々な角度から眺めた。
「かぶってみてもいいワニ?」
「どうぞどうぞ」
と言って、店長は客ワニを鏡の前へと案内した。
「大きさはぴったりだワニ」
小次郎も心からの賛辞を送る。
「とてもよくお似合いですよ」
「そうワニか? 嬉しいワニ」
気を良くした店長は丈夫さのアピールを試みた。
「ちょっと引っ張ってみてください」
そう言われた客ワニは帽子を引っ張ったり折り畳んだり、指でくるくると回して上に放り投げたりした。
「すごく丈夫ワニね」
落として宝石が割れないかと肝を冷やしたが、自分で言った手前強くは言えなかった。それでも、納得していただけたことに店長は安堵した。だが、もう一つ乗り越えるべきハードルがある。小次郎がおずおずと切り出した。
「少し値は張りますが……」
「お金ならたくさんあるワニ」
予想に反して即答だった。客のワニは”ワニサイダー”の缶から札束を取り出した。ぱっと見ただけでも帽子の値段の10倍はあることがわかった。
「いやいやいや、こんなにいただけませんよ」
「いい帽子を見つけてもらったお礼だワニ」
受け取ってもよいものか逡巡している横から小次郎が手を伸ばした。
「それじゃあ、遠慮なく」
受け取ってしまったものは仕方がないと、店長もお礼を言った。
「まいどありがとうございます」
客ワニは満足した様子で帰っていった。「アリゲーター」というようにしっぽを右へ左へぶんぶん振りながら。
——それから、数日後のこと。
相変わらず客はいないが、店長のため息の代わりにこんなやりとりが交わされていた。
「あの帽子、本当に売れたね」
「店長、毎日その話ですね」
何度同じ返答をしたか覚えていないくらいだが、そう応えた小次郎の声も、心なしか普段より弾んでいるようだった。
「あの、すみません」
入り口から聞こえたのは女性の声だった。
「いらっしゃいませ」
店長はその客の声に聞き覚えがあったが、思い出せなかった。
「こちらの帽子はすごく丈夫だって聞いたんですが」
思い出そうを首を捻る店長の代わりに、小次郎が対応する。
「ええ、こだわりの素材です。いろいろな形、大きさ、色の帽子を取り揃えております」
女性客はターコイズブルーのキュロット(*好みの帽子に変更可)を手に取ると、
「これがいいかしらね」
と鏡の前で試した。
「とてもよくお似合いですよ」
店長は心からの感想を述べた。
「あら、ありがとう。こちら、いただくわ」
「ありがとうございます」
帽子が売れたのは確かに嬉しい。が、このチャンスを生かさない手はない。
「つかぬことを伺いますが、うちの店のことはどちらでお聞きになったのですか」
「ご存知ないんですか? このお店、今すごく話題になってるんですよ」
小次郎が答える。
「特に宣伝とかしてないんですけどね」
「でも踊る広告塔がいるじゃないですか」
「どういうことです?」
店長も小次郎も全く心当たりがなく、同時に首を傾げた。
「こちら、ちょっと見てください」
と言って、女性はwanistagramの動画を店長に見せた。
「この帽子はこちらの商品ですよね」
帽子が、踊っている。いや、正確には踊っているワニがかぶる帽子なのだが、まるでワニと長年ペアを組んできたように見えた。
小次郎もやってきた。
「確かにうちのだ」
太陽の光を浴びてキラキラ光るその帽子に、店長は驚きの声を上げた。
「この帽子って、幸せを捕まえた帽子じゃないか⁉︎」
「本当ですね! ということは、踊っているのはあのお客さんか!」
女性客は予言するように言った。
「お客さんはもっと増えますよ」
店長の声が喜びで満ち溢れた。
「君の言った通りだ。あれは"幸せの帽子"だったんだ」
「店長、見てください。お客さんたちが気に入った帽子を見つけて喜んでくれています」
「ああ、こんなに嬉しいことはない」
そのとき、wanistagramにだんすわにのコメントが表示された。
『みんなが幸せなんだワニ』
あとがき
このお話は絵本「わにのだんす」(文・今井雅子、絵・島袋千栄、エンブックス)の二次創作です。「わにだん」関係では3作目となります。
[会話版]の公開から4ヶ月、一応お見せできる形になりました。細かい箇所はこれから修正していきます。
本作含め私の作品の朗読はご自由にどうぞ。感想など伺いたいので、媒体(clubhouse, stand.fmなど)と時間をお伝えいただけると幸いです。
最後に、この話の元となる「わにのだんす」を世に出してくださった今井雅子さんと島袋千栄さん、関係者の皆様に感謝申し上げます。
初演(ワニの大口開き)は宮村麻未さん
2022年5月3日。アプリでお聴きください。
メモ
ポルトガル語 crocodilo クロコジーロ
https://takonote.com/animal/wani/
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