膝枕外伝 「千日前」【膝枕リレー1000日記念】
まえがき
こちらは、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」の2次創作です。膝枕リレーが2024年2月24日で1000日目を迎えることを記念して、芥川龍之介作『仙人』と絡み膝しました。
今井先生のエピローグ
それからの膝枕(twitterの画像をご覧ください)
二次創作まとめ、YouTube、Googleカレンダーなど
本編
皆さん。
私は今大阪の千日前にいます、ですから千日前の話をしましょう。
昔、この町へ奉公に来た男がありました。名は何といったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、ゴンベエとだけ伝わっています。
ゴンベエは口入屋の暖簾をくぐると、煙管を咥えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。
「番頭さん。私は膝枕になりたいのだから、そういう所へ住みこませて下さい」
番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。
「番頭さん。聞えませんか? 私は膝枕になりたいのだから、そう言う所へ住みこませて下さい」
「まことに御気の毒様ですが、——」
番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。
「手前の店ではまだ一度も、膝枕なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへおいでなすって下さい」
するとゴンベエは不服そうに、千草の股引の膝をにじらせながら、こんな理屈を言い出しました。
「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入所と書いてあるじゃありませんか? 万と言うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘八百を書いておいたつもりなのですか?」
なるほどこう言われて見ると、ゴンベエが怒るのももっともです。
「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも膝枕になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日またおいでください。今日中に心当りを尋ねておいてみますから」
番頭はとにかく一時逃れに、ゴンベエの頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、膝枕になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですからひとまずゴンベエを返すと、早速番頭は近所にある床本作家の所へ出かけて行きました。そうしてゴンベエの事を話してから、
「いかがでしょう? 先生。膝枕になる修業をするには、どこへ奉公するのが近道でしょう?」と、心配そうに尋ねました。
これには作家先生も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐というあだなのある、狡猾な作家の女房です。
「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中うちには、きっと膝枕にして見せるから」
「左様ですか? それはよい事を伺いました。では何分願います。どうも膝枕と作家先生とは、どこか縁が近いような心持ちが致しておりましたよ」
咄嗟に出た言葉とはいえ、膝枕と作家の縁が近いのは訳がわからないと思いつつも、何も知らない番頭はしきりにおじぎを重ねながら、大喜びで帰りました。
作家は苦い顔をしたまま、そのあとを見送っていましたが、やがて女房に向かいながら、
「お前は何という馬鹿な事を言うのだ? もしその田舎者が何年いても、一向膝枕になる術を教えてくれぬなぞと、不平でも言い出したら、どうする気だ?」といまいましそうに小言を言いました。
しかし女房はあやまる所か、鼻の先でふふんと笑いながら、
「まあ、あなたは黙っていらっしゃい。あなたのように馬鹿正直では、この世知辛い世の中に、ごはんを食べる事も出来はしません」と、あべこべに夫をやりこめるのです。
さて明くる日になると約束通り、田舎者のゴンベエは番頭と一緒にやって来ました。今日はさすがにゴンベエも、初の御目見えだと思ったせいか、紋付きの木箱を抱えていますが、見た所はただの百姓と少しも違った様子はありません。それが返って案外だったのでしょう。作家はまるで二本足で立って踊るわにでも見る時のように、じろじろその顔を眺めながら、
「お前は膝枕になりたいのだそうだが、一体どういう所から、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ねました。するとゴンベエが答えるには、
「別にこれという訳もございませんが、ただあの大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、最期には「なにわのことも夢のまた夢」と儚さばかりが残ります。して見れば人間というものは、いくら栄耀栄華をしても、この身で誰かを幸せにしてみたいものだと思ったのです」
狡猾な作家の女房は、
「では膝枕になれさえすれば、どんな仕事でもするだろうね?」と、すかさず口を入れました。
「はい。膝枕になれさえすれば、どんな仕事でもいたします」
「それでは今日から私の所に、十三年の間下働きをし。そうすればきっと十三年目に、膝枕になる術を教えてやるから」
「左様でございますか? それは何よりありがとうございます」
「その代り向う十三年の間は、一文も御給金はやらないからね」
「はい。はい。承知いたしました」
それからゴンベエは十三年間、その作家の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。資料を集める。おまけに作家が打ち合わせへ出る時は、大きな風呂敷包みを背負って伴をする。——その上給金は一文でも、くれと言った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。
が、とうとう十三年たつと、ゴンベエはまた来た時のように、紋付の木箱をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇懃に十三年間、世話になった礼を述べました。
「ついては兼ね兼ね御約束の通り、今日はひとつ私にも、膝枕になる術を教えてもらいたいと思いますが」
ゴンベエにこう言われると、閉口したのは主人の作家です。何しろ一文も給金をやらずに、十三年間も使った後ですから、いまさら膝枕になる術は知らぬなぞとは、言えた義理ではありません。作家はそこで仕方なしに、
「膝枕になる術を知っているのは、おれの女房の方だから、女房に教えてもらうがいい」と、素っ気けなく横を向いてしまいました。
しかし女房は平気なものです。
「では膝枕になる術を教えてやるから、そのかわりどんな難しい事でも、私の言う通りにするのだよ。さもないと膝枕になれないばかりか、また向う十三年の間、御給金なしに奉公しないと、すぐに罰が当たってしまうからね」
「はい。どんな難しい事でも、きっとしとげて御覧に入れます」
ゴンベエはほくほく喜びながら、女房の言いつけを待っていました。
「お前が持ってきたこの木箱にお入り」
女房はこう言いつけました。作家をしてゴンベエが入った箱に蓋をさせ、釘でしっかりと留めました。コンベエはその間、おし黙っておりました。
「それでは、あの庭の松に御登り」
もとより膝枕になる術なぞは、知っているはずがありませんから、何でもゴンベエに出来そうもない、むずかしい事を言いつけて、もしそれが出来ない時には、また向う十三年の間、ただで使おうと思ったのでしょう。しかしゴンベエはその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。棒を通すための穴から手を出して、ゆっくりと登っていきました。
「もっと高く。もっとずっと高く御登り」
女房は縁先に佇みながら、松の上のゴンベエを見上げました。ゴンベエの入った紋付の木箱は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢に佇んでいます。
「今度は右の手をお離し」
ゴンベエは左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を離しました。
「それから左の手も離しておしまい」
それまで隣で黙って見ていた作家もとうとう心配そうに口を出しました。
「おい。おい。左の手を離そうものなら、あの田舎者は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありゃしない」
「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任せておおきなさい。——さあ、左の手を離すのだよ」
ゴンベエはその言葉が終らない内に、思い切って左手も離しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも離してしまったのですから、落ちずにいるわけはありません。あっという間にゴンベエの体は、ゴンベエの入る紋付の木箱は、松の梢から離れました。が、離れたと思うとしばらくは落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、ちゃんと止まったではありませんか? その箱の中から、
「どうもありがとうございます。おかげ様で私も一人前の膝枕になれまひざ」
と言う声が聞こえたかと思うと、紋付の木箱はゆっくりと松の根元に降りてきました。箱からは何の音も聞こえず、穴からはもう手は出ておりませんでした。作家が覗いてみますと、ゴンベエの腰から下だけがちらりと見えただけでした。
とその時、どこからともなく二人の飛脚が現れて、作家を押し倒したかと思うと、木箱に棒を通して颯爽と運び去ってしまいました。
作家夫婦はどうしたか、それは誰も知っていません。ただその作家の庭の松は、ずっと後までも残っていました。何でも膝屋久五郎は、この松の雪景色を眺めるために、四抱にも余る大木をわざわざ庭へ引かせたそうです。
——という話があったかは定かではありませんが、千日前の2021年の5月31日に朗読と二次創作で繋ぐ膝枕リレーが始まったのでした。
〈了〉
あとがき
お読みいただき、ありがとうございまひざ。
今井先生も1000日お祝いラップを発表され、そこでも千日前が使われていたのは以膝伝膝!?
「以膝伝膝」についてはこちらのnoteを。
数えてみると30作目の外伝のようです(バイリンガルを含む)。いやぁ、我ながらよく書いた。
2024年2月24日 中原敦子さんにオール関西弁で膝開きいただきました。おおきに。
同日 加筆修正
同日 修正版を鈴蘭さんにお読みいただきました。ありはどうございまひざ。
同日 わくにさんが読んでくださいました。ありはどうございまひざ。
2月25日 yukaさんが読んでくださいました。ありはどうございまひざ。