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【政治の決断に正解はあるか】


おはようございます☺
昨日は亀田西中学校での授業。

私は政治家枠での出演です。

子供達と政治について考えます。



江南区役所前の交差点で事故が多発し、子どものけが人も出てしまっています。
さて、この交差点。皆さんならどうやって対策を打ちますか?

といった感じで意見を言ってもらう。

信号を付けよう!
見守りを付けよう!
見通しが悪くなっている木を切ろう!

中にはけがをしてもすぐに見てもらえる病院を作ろう!
なんていう面白い意見も☺

さて、私の授業は議会を通して、どの様に意思決定がされていくのかのプロセスを学んでいきます。

最初の議会ではみんながこの交差点を何とかしたいと思っているのに、小さな対策の違いから対立が生まれ、市長案が否決されます。

否決されるということはこの交差点で何もやらないということが決定。

中学生も納得できない結論に。

さらに1年後。。
この交差点でやっぱり交通事故が多発してしまった。子どもの重症者も出てしまった。
これは議会の責任でもあります。

もう一度議会にかけて議論し直し、今度はみんなで歩み寄って合意を形成し、今回は対策が打てました、という内容。

子供達もある程度納得の結論に達したようです。

で、私の授業はここからが本番。
さて、最後に私から皆さんに質問です。

やっとみんなで合意がなされたこの対策。果たして正解だったのか?

という質問。

みんなで話し合って、出た結論だから正解!
みんなで話し合った結果だけど自分の考えと違うから不正解!
この対策がどのような効果を発揮するかわからないから、正解か、不正解か、今の段階では判断できない。

と、まあこんな発言が多いわけです。

未来の事故件数をグラデーションさせて数字を推移させていくと、子どもたちの「正解率」が変わっていきます。

つまり、事故が少なくなればなるほど、正解だったと思う人が増え、事故があんまり減らせなかったら不正解と思う割合も増える。でも、一件でも死亡事故が起きたら?と仮定するとまた正解率が変わる☺

つまり意思決定をした段階では正解不正解は判断不可能。
それが分かるのは1年後なのか、数年後なのか100年後なのか、もしくはいつまでたってもその対策が正解だったのかはわからないのかもしれない。

それでも政治は決断しなければならない。そして一人でも多くの人の納得感を得ていくことが皆さんの税金を使う私たちの使命ですよと。

それと同時に、少数意見も、間違っているから否定されているわけではない。今回否決された少数意見がもしかしたら1年後正しかったかもしれないよね、ということも忘れずに伝えます。

今回は桜の木が邪魔だから切れ!という意見は否決されるシナリオなのですが、もしかしたらそれが画期的な対策なのかもしれない。

多数派は自分たちが「正解」を導いているのではなく、とりあえず多くの方の合意を得られる結論にたどり着いたんだ、程度の認識でいて、さらに少数意見にももしかしたら隠れた正解部分があるかもしれない、ということをしっかりと頭に入れておく必要があるんじゃない?

と、長く長くなりましたが、私の授業はこんな感じです。

授業のネタバレを書いてしまいましたが、これまで多くの学校でやってきた授業の種明かしです☺

これは小学生から大学生まで幅広く使えるロジックで、政治は正解を導いているわけじゃない。そもそも最初から正解がない世の中でどのように生きるのか、という哲学的な対話でもあります。

昨日はこども達から、「政治家やべー!政治家なりたい!!」と前向きな言葉をもらいました☺

そんなにいいもんじゃないよと、照れつつ、やっぱりうれしいですね☺

沢山の子供達が政治に興味を持ってくれたらうれしいです。

またどこかでお会いしましょう~☺
子供達の未来に幸あれ。

本日はここまで。
それでは本日もよろしくお願い致します!!
今日もきっと、いいことがある。

#亀田西中学校
#職業講話

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