多様な価値観に触れる
多様な価値観に触れることの大切さは
今更言う事でもありませんが
それは、人生のステージによって違うのではないかと思います。
私が「多様な価値観」という言葉を初めて聞いたのは小学校6年生
県外の中高一貫校やスポーツクラブからのスカウトが
自宅にいらした時です。
オリンピック選手に育てるという言葉に
私は舞い上がっていました。
当時、スポーツをしている者にとって
それは子供であっても、最高峰の目指すべき事だったからです。
ただ、父は3件のオファーに対して
全て断りました。
理由は
ということでした。
せっかくのチャンスを潰された思いで
父に反発しましたが
その親心にすぐに気づくことになりました。
「多様な価値観に触れさせたい」
は、相手からそれ以上の申し出をさせない方便で
本当は、もともと身体が弱いし、激しい練習には耐えられない
ということがわかっていたからだったのでしょう。
結果的に大学まで競技生活をしましたが
膝や肩、腰を傷めて故障と付き合いながらの選手生活でした。
水泳競技だったので、生まれ持ったヒレのように柔軟な足首や
よく伸びる肩関節のおかげでそれほど筋力がなくても
記録を出すことができました。
ただ、「多様な価値観」という言葉はずっと耳に残っていました。
人と積極的に話をしたい、聞きたいという「性分」が
生まれ持ったものなのか、成長の過程で身についていったことなのか
わかりませんが、「自分と考えの違う人」の「考え」を聞くことが
好きになりました。
時には、その内容を不快に思うこともありましたが
「多様な価値観」に触れたことで、
自分と同じ考え、気持ちの人なんてほとんど居ない
ということを知ることもできました。
今、私は晩年にさしかかって
当時と同じように、さまざまな人に会い
流行りのオンラインコミュニティに
参加したりして、気づいたことがあります。
多様な価値観に触れることは成長期には大切ですが
人生後半になってからはストレスでしかない場合もある、と。
それに気づいてから
首をつっこんでいたコミュニティから離れていきました。
とはいえ、晩年こそ、人と繋がって刺激をもらうことも大事です。
そこで、ストレスを感じるほど自分と違う人と無理して付き合うのではなく
と気づいたのです。
長く生きていると、少し交流すれば、それはわかります。
若い頃に意見がぶつかり合った人とも
晩年になって振り返ると、そんなに若い頃に出会っていたこと自体が
自分と似ている人なんだと気付かされ
疎遠になっていたけれど、大切な仲間だったんだと気づくこともあます。
また、思いが近いと思っていた人たちと
「コロナ禍」を契機に、考えの違いがから疎遠になったりもしました。
ハーブや自然を愛する活動をしていると
ワクチンの集まりに誘われたりすることもあり
2回目の接種を終えたときに、わざわざそのことをSNSで発信しました。
ということを。
一旦、発信すると、目に見えない線引きが徐々に周囲に広がり
あっち側、こっち側、に分かれるようになりました。
それもまた、多様な価値観を受け入れなくても良い歳になったので
そのまま受け入れ、「線引きをしない人」や、「こっち側」の人と
付き合うだけで、人生のリソースを使うには十分かと思うようになりました。
それが今、人生の終盤にポットキャスターなんて事を始めることに繋がり
価値観が近いリスナーさんに聴いていただく楽しみが出来ました。
番組タイトルはハーブですが
本や映画の話ばかりしています。