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<HERB><読書記録>いのちのパン

随分昔ですが、ヒルデガルドの「いのちのパン」のレシピを求めて
国内にある本を購入したり図書館で閲覧したり、大好きな梟書茶房の蔵書を読みに通ったりしていました。


なぜ「いのちのパン」を求めたのか

過去のブログに当時の思いが書かれていたのでその時の思いを転記します。

人の命は「言葉」や「想い」や「自然な食べ物」と1対1の関係にあると思っていました。

そんな中、私のブログをご覧くださっている方が、周囲には秘して闘病なさっていると、打ち明けてくださいました。
ブログをお読みくださって私という人間を信頼してくださったことと、遠く離れて、関係者に接点が無いこともあり心の内をお話くださったのでした。

その方からは、相談されたわけでも、まして助けて欲しいと言われたわけでもありませんが、なんとかお力になりたい、と思いました。、
そして、私が出来ることは何か無いか、と探しているうちに、ドイツの修道院でクリスマスの夜にお薬の代わりに配られた「いのちのパン」の存在を知りました。
後世、この「いのちのパン」は誤訳であることも発覚したのですが私はこの「想い」にかけてみようと思いました。

知り合いのシェフに相談すると、ちょうど似たようなレシピがフランスにもある、ということで硬いパンではなく、御病人が口に入れたときに、噛まなくても溶けていくような、そしてかつて薬として使われていた、スパイスやハーブがたっぷり使われた「いのちのパン」ができました。

その方は、本格的な治療をある理由で先延ばしにされていました。
大きな夢があり、その夢の実現が手が届くところにあったからです。
夢へのチャレンジの数日前に、お渡ししました。
私は特に何もお伝えしなかったのですが、夢の舞台へ向かう車中で1個目を食べている、とメールをいただき、明日の本番の朝、もう1個を食べるつもりと書かれていました。

本番の日は、私も熊井明子先生 桐原春子先生の講演会があり、バタバタと紛れていました。夕方、やっと食事の折にメールを開いてみると、その方と活動を共にしている娘からの吉報が届いていました。

熊井先生 桐原先生と一緒にお食事をする席上でしたが、隣の友人と抱き合って喜びました。そして、高校時代から「夢は実現する」というメッセージをご著書を通じて送ってくださっていた、熊井先生ご本人に嬉しいご報告が出来たのです。

夢とは、自分のためのものだけではありません。
誰かの夢が実現するように祈ること、それもまた自分の夢でもあります。
苦しい闘病を押してその方が求めた夢と娘が求めた夢は同じものでした。

人は、薬や運命だけで命が決まるわけではありません。
夢の実現が、身体中の細胞を活き活きと甦らせ、免疫力を高めきっと病に打ち勝つことでしょう。これこそが1対1の「いのち」なのだと思います。

いのちのパン その後

その方は、難しい転移もありましたので、完治は難しいと思っていましたが、なんとなくお元気になられるのではないかと思っていました。
複雑な転移があり、心配でしたが、今は、病院での治療も功を奏してお元気で過ごされています。

最近になって親しい友人の闘病にもいのちのパンを贈りました。といっても遠く離れていたので、身近なパンを上手に焼かれる人にお願いして届けていただきました。
いのちのパンを喜んでいただいたものの、今は遠いところにいます。ただいのちのパンを受け取ったときの喜び、届けた人の喜びはその時も今も支えになったいるのではないかと願います。

いのちのパン再び

あの頃のハーブの力を信じる気持ちは今も変わりませんが、新型コロナにより、思いや行動を制限しなくてはならなくなり、そのことが徐々に私の中にある自然を中心にする考えから遠ざかっていたようです。
ハーブを摘んで講座に出かけたり、人に差し上げたりする機会がほとんど無くなって2年をすぎた庭は、もう春の陽射しが降り注いでいるというのに、冬枯れたまま。
この姿は、私の行動と心の変化も表していると思いました。そしてどんなに私はハーブや緑に助けられていたのかを痛感しています。

そんな折、日本のハーブやアロマのトップランナー佐々木薫さんから、ヒルデガルドのYouTube生放送アーカイブをご紹介いただきました。
長谷川弘江さんというヒルデガルドに造詣の深い方の「ねえねえ、私の大好きなこと、一緒に楽しみましょう」という雰囲気がとても親しみ易く、難しい研究、というイメージから楽しいこと、という大転換、目から鱗を落としていただきました。

https://youtu.be/oHycUHsQCa0

早速5月の講座も申し込みました。

オンライン講座(5/14)「聖ヒルデガルトの自然学と食養生」 https://bit.ly/3IKItGm

ワクチンがもたらした分断

私がコロナワクチンを接種したというと、最初は周囲の人に驚かれました。「あなたは打たないと思っていた」「がっかりした」とまで言う人もいらっしゃいました。
ワクチン接種、非接種は、はっきり2分されるわけではなく、いやだけど「仕方ない」、その「仕方ない」もいろいろな理由があります。また非接種の方の中にも陰謀論による反ワクチンの方もいらっしゃれば、自身がこれまで信じてきたこと、を貫きたいという人、ジョコビッチのように反ワクチンではない、と表明しつつ、自分の体に入れるものは自分の意思で選びたいと言う人まで。

私は、ワクチンは身体に入れたくないけれど、それほど怖いとも思わないので、好きなところへ行く自由を手に入れるために接種しました。また非接種の人は接種しない自由を求めていらっしゃるので、共産国や独裁国でないかぎりその自由は守られるべきで、誰もが自分を信じて自由を求めているだけなのだと思います。

ただ、その議論も後々禍根を残しそうで難しいので、今は熱心に反ワクチンを唱える人とは少し距離を置き、社会が落ち着いてからまた以前のようにお付き合いできたらと願っています。

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