肉眼では見えないもの
久しぶりの快晴、と思ってカメラを向けたら飛行機雲が写っていました。
もう一度肉眼で見ましたが、私の目ではみえませんでした。
ウクライナ問題で揺れる中、2つの歴史の転換点を特別な場所で迎えたことを思い出しました。
1970年3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、中学生の私は春休みを利用して大阪の親戚のところへ
一人で万博見物に行った帰りのフェリーに乗っていました。
突然、船内にラジオ音声が流れてきたのですがニュースの途中からだったので、「乗っ取られました」から始まりました。
船内は一気に緊張し騒然となりましたが、ほとんどが家族連れや仲間と一緒で一人だった私は、不安で固まっていました。
しばらくすると、離れたところに座っていた高校生らしいお兄さんが傍に移動してきて、ラジオをよく聞いたら、飛行機が乗っ取られただけだから心配しなくていいよ、と声をかけてくれました。
ただ、第一報に続く放送は、難しそうな政治的な背景の話題で、何かが大きく変わるのではないかという不安がありました。
その様子を心配したのか、そのお兄さんも一人で万博に行ってきたそうで、回ったパビリオンの話をしてくださって、私も自分が回ったパビリオンの感想などを話して気分が楽になってきました。
その方は、就寝前まで傍に居てくださり、消灯の頃に、元の場所へ帰り、翌朝はお礼も言えないまま船を降りました。
ご本人が言われていた高校や年齢から、私が親しい方々と同級生のようでしたので、同窓会などで、チャンスがあれば
探してお礼を言って欲しいとお願いしたのですが、みつからないままで、本当にことを言っていたかどうかはわからない、と
いう結論になってしまいました。今もこの日の日付は正確に言うことができます。
それから20年後
1990年8月2日 イラクによるクェート侵攻
この日は、ロンドンの安ホテルで、テレビを観てていました。
夫が一緒だったので、英語のニュースでしたが、詳細がわかり、国際情勢が緊迫していることを知りました。
日本に帰れないのではないか、と不安になりました。
予定通り翌日の便でヒースローを飛び立ったときは安堵と共に、シンガポール経由なので戦闘に巻き込まれるのではないかとロンドンで待機した方がマシだったのではないかと、余計に不安になったりしました。
戦争というものを身近に感じた瞬間でした。
その後湾岸戦争に発展し、1991年1月16日に始まった戦争は終結までに43日間を経て終結したということになっています。
振り返れば、当時参戦した国々の持つ背景や思惑、イラクの核開発評価など、一庶民としてはわかりにくいです。
見えている「快晴」の中に「飛行機雲」が存在する、それと同じことが世界には存在して、いくら目を凝らしても見えないことが沢山あり、見えないことを探して右往左往するより、今できる足下のことを粛々と続けることしか無いと、あの2つの場所を思い出しながら考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?