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紺野登の構想力日記#05

POV【1】

◇ 視点がズレている

あるときシリコンバレーの友人が、ポストイットに3文字を書きながら自慢げに言った。

「ノブ(ぼくのニックネーム)、イノベーションでいちばん大事なのは POVなんだぜ」

POV=Point of View
ほう、なるほど。

構想力は「ゼロ」を生み出す力である、ということについて、あれこれ思うことやこれまで考えてきたことを書いてきた。
  01 ゼロと無とイノベーション
  02 ディーコンと老子とクリステンセン
  03 シリコンバレーと仏教とゼロの発見
  04 コロナ禍とエポケーと構想力

今日からはちょっと POV を変えて――、そう、その POV と構想力について書いていこうと思う。
POV とは「視点」のこと。

視点は、英語では(POV のほかに)perspective、viewpoint。
視点は、物事に対する見方、態度、立場、姿勢、目線。
視点は、何かを観察するときの空間的な位置。
視点は、何かを見るときの精神的な立場。

いろいろ表現できるが、この「視点」というものが、構想力にとってはものすごく大事なものとなる。すなわち、構想力の起点となるのが、この視点なのだ。
シリコンバレーの友人が、「イノベーションでいちばん大事なこと」がPOV=視点だと言ったのもそのためである。

ゼロを発見することによって、新しい世界の多様な関係性が見えてくると、以前書いた。
それまで見たこともなかった(想像できなかった)、世界や人生の多様な関係性が見えるようになる、これが、ゼロの発見や創造の次に沸き起こることだが、それは「新しい視点を得る」ことにほかならない。

構想とはビッグピクチャー(これがまさに構想)を描くことだが、ビッグピクチャーを描く起点となるのが POV=視点(斬新な視点)であり、ビッグクエスチョン(新たな視座)であり、その先の時空間に広がるパースペクティブ(未開未踏の視野)なのである。

「では視点を変えて~」、「新たな視点で~」、「別の視点からは~」、とか、ビジネスの現場ではみな簡単に言うけれど、本当に視点を変えるのはそう簡単なことではない。だからこそ重要なのだ。
『構想力の方法論』では、「はじめに」のところで、視点の重要性についてこんなふうに書いた。

…「伝統的な」大企業にしばしば起きていることは、かつて業界や市場の中心にあった企業が、新たなプレーヤーの登場によって、すでにそこから「外れて」しまっているにもかかわらず、いまだに中心にいると信じ込む「認識のズレ」ではないでしょうか(図)。(『構想力の方法論』p.11)

ここで言っている「認識のズレ」は、まさに「視点のズレ」からもたらされるものである。図解ではこう表現してみた。(同書 p.11)

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この図のほぼ中央に、「👁=目」が描かれているが、これがつまり「視点」であり、この👁が指し示すところの矢印が、視線ということになるだろう。

何が言いたかったかといえば、かつて「業界最大手」とか「業界一位」などと言われた大企業が、世の中が変化して自分をとりまく環境が激変しているにもかかわらず、自分は相変わらず世界の中心に居るという思い込みから抜けられず、自分たちが周縁に追いやられてしまっていることに気づけない、という状況を示したつもりだ。

たとえば、コンピュータ業界ではクラウドの比率がオンプレミスを超えた、といった話はそこら中で聞こえる。AWS(アマゾン ウェブ サービス)が台頭してきたとき、マイクロソフトは自分がもはや中心にはいないのだということに気づいた。
そして、ウェブビジネスを担当していた若手のインド人、サティア・ナデラをリーダーに据えた。

◇ ゆでガエルと突然死

こういった大企業の視点は、いつまでも〇〇業界の「中心」という立場となるため、そこから周囲に投げかけられる視線の先にあるものは、みな(中心である自分にとって)周縁にあるものとしか認識できない。変化した後の(あるいは変化の真っただ中にある)世界には、(自分とは異なる)新たな「中心」がある(生まれつつある)わけだが、その新たな中心で起きていることは、彼らの視点からは、相変わらず周縁で起きている事象にしか見えないのだ。
この状況は、こんなふうにさらりと言葉で説明するにはあまりにも恐ろしい事態だ。

現実からズレた視点のままでは、どれほど周囲を凝視しても本当のコトなど何も見ることはできない。環境変化の加速とともにどんどん周縁に追いやられ、徐々に衰退していき矮小無力な存在となり、気がついたときにはもう挽回不能になっている。組織でも個人でも、そういう例は歴史上数多く存在する。

iPhone 発売のとき、ぼくはサンフランシスコのアップルストアにわざわざ見に行った。日本から来ていた知人にばったり会ったりもした。
見ると、これは iPhone と言いながら、明らかに phone なんかじゃないな、と思った。
ところが、当時のノキア やマイクロソフトには、キーボードもないえらい高価な電話だと映った。

2007年の iPhone 発売当時、世界のモバイル市場の4割を占めていたフィンランドのノキアにとって、携帯する電話器としては iPhone はきわめて小さなシェアをもつだけのモバイルデバイスにしか見えなかった。しかし、それは電話ではなく、フルブラウザ搭載の手のひらサイズの PC だった。
モバイルデバイスの定義が、携帯電話からスマート・フォンへ刷新されたのだ(スマホという定義はそれ以前もあったのだけれど、はっきりと目に見える魅力的なモノとしては存在していなかった)。

モバイル市場の中心はそのときすでにアップルに移っていたわけだが、圧倒的シェアの中で安穏としていたノキアは、そのことに気づくのに遅れた。インフラ環境も 3G、4G と進化し、結局その後4年間でノキアは赤字会社に転落。2013年には携帯電話事業をマイクロソフトに売却する事態にいたった。

文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが寓話として示し、日本ではビジネスの世界でつとに有名な「ゆでガエル現象」はこのようにして起こる。

  急激な変化に対して高い感度を備えているわれわれも、緩慢な変化を捉えることは、順応 accommodation という現象のために、極めて難しくなる。生物は慣らされてしまうのだ。……
 人間社会の変動や、人間を取り巻く生態系の変動を知覚することにも、同様の困難がつきまとう。……
 われわれの生きる環境の変化の傾向が、ほとんど意識されないということは、見方によっては恐ろしいことである。水を入れた鍋の中にカエルをそっと坐らせておき、今こそ跳び出す時だと悟られぬように、極めてゆっくりかつスムーズに温度を上げていくと、カエルは結局跳び出さずにゆで上がってしまうという疑似科学的な作り話があるが、われわれ人類も、そんな鍋の中に置かれていて、徐々に進行する公害で環境を汚染し、徐々に堕落していく宗教と教育で精神を腐らせつつあるのだろうか?
(グレゴリー・ベイトソン『精神と自然*生きた世界の認識論 普及版』 佐藤良明訳、思索社、2006年、pp.132-133)

しかし最近では、ぬるま湯にゆっくりと浸かっている余裕さえなく突然死してしまうケースもある。

「コダック・モーメント」って知っていますか。

かつてこの言葉は、写真に残しておきたい価値ある瞬間、まさに「シャッターチャンス!」を意味する言葉だった。コダックが広告に使ったコピーが、人々の日常のなかで普段使いされていたのだ。それほどコダックの知名度は高く影響力も大きかった。
ところがいまビジネス界で「コダック・モーメント」といば、企業経営に対する警句である。カメラのデジタル化の激流を見誤り、急坂を転げ落ちるように経営破綻に追い込まれた、その悪夢のような突然死の瞬間をコダック・モーメントという。
この場合、突然死したのは一企業というより、フィルム事業という産業が消滅したのである。世界屈指の有力企業だったコダックは見るべき方向を間違えたのだ。

既存の枠組みや境界の内部からのズレた視点から、ズレた認識を得て、そこを起点に「わが社の構想」を立ち上げても、だめなのである。

◇ 良い探検家

構想力にとって視点は大事である。視点こそ大事である。

『構想力の方法論』から約一年半後に出版した『イノベーション全書』(東洋経済新報社、2020)では、「第2章 野生の視点を回復しよう」で一章分を費やして、「視点」をテーマに考察を進めた。

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01 「視点(パースペクティブ)」を革新せよ

 企業あるいは個人が……思考停止の袋小路からなかなか抜け出せないのはなぜか。その最大の理由は、見るべきものが見えていないからだと思われます。たとえば、「ビジョンを持て」などと言われても、見えていなければ、ただの妄想や空想です。
「見えていない」世界に一歩を踏み出せと言われても、それは不可能か、危険な賭けか、下手をすれば自殺行為です。「見る」という行為、「見える」という力はそれほどに重要……。
 見ること、見えること、つまりPOV(Point of View)を司る目の働きと、人類が起こしてきた数々のイノベーションとは深い関係があるといえます。

   ❝ 海しか見えないとき、「陸地がない」と考えるのは、
           良い探検家とはいえない ❞


「知は力なり」という言葉で有名な哲学者のフランシス・ベーコン(1561-1626)は、新しい観点、知の発見の重要性を説きました。

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 その後ベーコンは近代科学の技術思想の象徴ともされ、さまざまに批判されてもいますが、その実践的態度が科学革命に大きな影響をもたらしたことは事実です。そして今、その科学技術自体が大きな変革期を迎えています。
 科学技術における「機械論的」な世界観に対しての「生命論的」な、ガイア理論のように地球を「巨大な生命体」と見なす観点の登場です。そして、さらにそれは、より大きな観点で世界を見る生態学的(エコロジカルな)観点に大きく移行しているのが現代だといえます。(『イノベーション全書』pp.070-071)

◇ ポストコロナ社会のズレと破れ

ところで、先ほど示した図解だが、出版から2年経ったいま、あらためて見て、少なからず違和感を覚えた。この違和感はなんだろう?
とくに、コロナ禍を経験したいま、ウィズコロナのポストコロナ社会では、状況はさらに変化しているように思われる。もはや、変化した世界に、確固たる「中心」などというものがあるのか、それは疑わしい。

コダックのケースのように、産業そのものが刹那に消滅する時代である。現在は、以下のような状況なのではないだろうか。

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この2年でもかなりの変化があった。図解も進化する。

業界という境界が破れ、あるいは溶けて消滅する時代に、ではどのような視点からこの世界を見てどのようにこの世界を捉えればよいのだろうか。
次回以降で考えていく。(つづく)



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紺野 登 :Noboru Konno
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、2018)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、2018)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、2020)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) などがある。
Edited by:青の時 Blue Moment Publishing


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