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2009 反転攻勢への撤退(株式会社藤大30年史)

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 たとえどんなに気持ちを強く保っていても、現実の限界は訪れる。
 「融資の限度額がいっぱいで、これ以上は借入ができません」
 融資相談の席で、銀行の担当者が申し訳なさそうにハルコに伝えた。

 覚悟はできていたが、ついにこの時がきた。長期的な展望を期待して今を耐え忍ぶだけでは、もはや先がない。心臓のあたりがキュッと締め付けられたような気分でハルコはうなずいた。
 これまで何度も、あと一歩のところで世間の流行にあやかった受注に救われてきた。しかし今年に入ってからは、リーマンショックによる世界不況のあおりを受けて製造業界も厳しくなっていた。いくら効率改善やスキルアップを続けていても、仕事がなければ返済や収益化はできない。

 新たな売上が見込めず、ハルコは経費削減を限界まで進めていた。月末のまとまった支払いは、保険の解約や養育費の切り詰めをするところまできていた。気持ちは前へ、意識は高く、ブレないハルコではあったが、この時ばかりは家族にも従業員にも申し訳なく感じていた。
 さらにこの年の秋、みんなから母と慕われてきたマリコに病気が見つかった。長期入院が必要となり、職場を一時離脱することとなった。二人三脚で歩んできたハルコにとって、マリコの抜けた穴は大きかった。ただでさえ先が見えない状況なのに、こうも不遇は重なるのか。

(人様に顔向けできひんことはやってない。でも、このままじゃあかん……)
 本格的な冬を前に、亀岡盆地に強めの木枯らしが吹き始めていた。フジテックスが来年の春を迎えるには、大きな見直し・立て直しが必要不可欠だった。

「今年度で、千代川工場を撤退しようと思います」

 週明け最初の会議、ハルコは以前からマリコと話し合っていたことをリーダーたちに伝えた。主力の検査グループが働く千代川工場を引き揚げ、すべての作業を太田工場に一本化する。太田工場はまだフル稼働できておらず、一階全部と二階半分は電気工事すら入っていない。経費を大幅に削減するには、工場を一つ手放す以外になかった。

 それが何を意味するのか、ハルコはよくわかっていた。
「もともと混乱を避けるために二つに分けたんやなかったですか」
「まだ収益化できていない加工グループを手放した方がいいのでは」
「稼働していないところに電気工事を入れると、さらに出費が必要ですよ」
 幹部からも納得の意見が出た。しかし、それでも背に腹はかえられなかった。

 当時の経営は明らかに歪だった。定時で帰れる検査グループが出す黒字で、残業に追われる加工グループの赤字を支えていたのだ。みんなが加工グループを手放そうと思うのも無理はなかった。
 それでも、ハルコの信念と覚悟はブレなかった。
「何のために加工グループを立ち上げ、工場を建てたんか。時代の変化に負けへんためや。
 せやのに、利益が出せへんからといってやめてしもたら、取り残されるだけやろ。
 よその会社は利益を出してるのに、なぜうちだけ同じことができひんのか。
 それは、うちの能力が低いからや。やり方が悪いからや。
 うちに原因があるのに、それでやめるのはおかしいやろ。利益は必ず出せるはずや」

 毅然とした態度で想いを語った後、ハルコは静かにみんなに頭を下げた。
「みんなには苦労かけるけど、加工チームは必ず利益を出す。だから一緒にがんばってほしい」
 決して押し切るのではなく、一人ひとりと膝を突き合わせて話し合う。そして最後はみんながハルコの想いに社運を託す。
 創業初期から長らく続いてきた千代川工場は、こうしてついに撤退することとなった。

 2010年3月、千代川工場の撤退と移転に取り掛かる日、すべての業務が停止した。稼働してからいつも慌ただしく納期と戦ってきた千代川工場は、この日を境に静けさを取り戻した。
 製品や備品の梱包、机やラックの運び出し、搬入後の整理……一つ一つ工場の中がキレイに片付いていく様子は、新たな転換に向かうためのリセットを意味しているようだった。
 太田工場では電気工事が入り、資材や機具の搬入も次々と進められていった。移転にかかる支出をひと通り済ませると、いよいよフジテックスの財源は底をついた。果たしてこの決断は吉と出るか、はたまた凶と出るか。ここは実際にやってみないとわからない。ただ、これで少なくとも工場一つ分の支出が抑えられることは確かだった。

 しばらくは混乱も続くだろう。かつて工場を二つに分けてからの二年で、従業員は60名を超えていた。今ではお互い面識のない従業員もいる。一つ屋根の下、見知らぬ者同士が働くとなると、誤解や衝突は起きて当然だ。果たして二つのチームは、一つのフジテックスとして機能するだろうか。

「これからやで、これから!」
 ミーティングや朝礼のたび、ハルコは熱を込めてビジョンを説いた。ここが「底」だ。徹底的にロスを削減したからこそ、ここから反転攻勢に打って出ることができる。

 移転を終え、手続きをひと通り済ませて落ち着いた月末。ハルコはフル稼働し始めた職場をぐるりと歩き回り、新しい空気を感じていた。
 希望の気配はまだない。しかし、絶望の影も見えない。「今ここ」が、自分たちの実力の現在地だ。これからふたたび力をつけていけば、未来はまだ自分たちで切り拓けるはずだ。地面を吹き抜ける涼しい風を受け、ハルコは深く息を吸ってオフィスに戻った。
 通り過ぎた道のそば、二年前に植えられた桜の木にはつぼみがようやくつき始めてきた。


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(制作元:じゅくちょう)


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