2003 共通認識(株式会社藤大30年史)
◆ 共通認識(2001-2003)
人材確保が少しずつ進み、品質第一の経営方針も定まってきた。熱意とご縁で仕事の幅も広がってきた。しかし、そのままハッピーエンドで終わらないのが人生である。
「検査もれがありました。再検査をお願いします」
「規格の認識統一にバラつきが出てきています」
「仕上がりの数を自社都合で変えてもらっては困ります」
品質第一を掲げておきながら、不良の発生や重大クレームがなかなかなくならない。仕事の増加に連れてパートさんも増やしたことで、連絡や周知が行き渡らなくなってきたからだ。
「製品に埃がつかないように、服装は正しく着用してください」
「携帯電話で通話されると、他の人の集中力を削ぐことになります」
「新機種に対応できてますか? 作業手順通りに進めてください」
取引先から指摘を受けることも少なくなかった。市場に出回る精密機器の品質を担うと思えば、パートであることも女性であることも言い訳にならない。みんなの家庭事情を汲み取りながら、仕事としてのクオリティを高めていくのは至難の技だった。
「先週に指摘したことがまた抜け落ちてるやん」
「すみません、その日はお休みだったので指摘を受けてません」
ミーティングのたびに、「言った・言ってない」の不毛なやりとりが増えてきた。
電子機器の業界は、入れ替わりが激しい。最新機器が登場したと思ったら、もう次の機種が出てくる。生産調整や生産中止の影響を受ける。使い方や手順に慣れたり共有したり奮闘しているうちに、時代が次々と進んでいくような業界だった。
(何遍もおんなじ話をするのは時間がもったいない)
(せやけど全員が一度にそろうのはもう難しいし)
(もう私が一人で対応できる規模ではないなあ)
当初ハルコが思い描いていたよりずっと、フジテックスは大きくなっていた。自分の言動で全体の意思疎通を図るには無理が出てきていた。もはや個人事業主ではない、みんなの受け皿となる「団体」が必要だった。
「……そろそろ、組織化していかんとあかんなあ」
ハルコの感覚で管理するのではなく、規律や手順、方針に沿って仕事に取り組む。そのためには「カタチ」が必要である。
『フジテックス通信 vol.1, 2002/08/05』
ハルコは組織化に向け、全員に配布する通信の発行を始めた。毎月の給与袋に同封すれば、必ず全員の目に留まる。フジテックスとして何を大事にするのか、何を優先するのか、組織としての意思疎通を図るためのメッセージを通信で届けていった。
・今月は重大クレームが8件あり、警告や改善依頼も幾度かありました。
・ひざ掛けが必要な季節です。作業用手袋に糸くず等がつかないように気をつけてね。
・顕微鏡、目視検査、整列包装……私たちはそれぞれの品質のプロです。
・クレーム0にあと3歩! 来月こそ達成しましょう!
それを始めたからといって、最初から成果が出るわけではない。しかし「共通認識」は確実に育っていく。なぜ品質重視なのか、なぜルールが必要なのか、なぜ能力開発を勧めるのか……一つ一つのクレームと向き合い、アイデアを出し合い、職場の雰囲気や価値観を築いていった。
そして通信を発行してちょうど10号目……
「2003年4月、クレームゼロ! 不合格ゼロ! やりました!」
ハルコたちはついに、品質重視を示す成果を達成することができた。それは個別に対応していては到達できなかった目標だった。組織として、全員の意識をそろえていったことで、今までできなかったことができるようになった。
「やればできる」、それは月並みな表現かもしれない。しかし、知識も技術もないところから始まったハルコたちからすれば、その言葉には大きな希望が込められていた。達成を維持し続けることは容易ではなくとも、「実現できる可能性」は証明できたのである。ハルコの個人的な想いは、少しずつ「組織」としての共通認識になっていったのであった。
そうした意思疎通を繰り返して、2003年8月。
ハルコの夫の内職から始まった事業は、「有限会社フジテックス」へと進化を遂げたのである。
「やらされ創業」の1993年からおよそ10年。そこには確かに「人の意志」が宿り、「人への想い」によって成り立つ仕事ができていた。個人の仕事から、社会の使命へ。ハルコの仕事は有限会社フジテックスとしてまた一つ成長の階段を上っていくのであった。
(制作元:じゅくちょう)