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2001 経営方針(株式会社藤大30年史)

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 パートさんたちとの向き合い方も見え、社内には少しずつ独自の仕事観が芽生えてきた。ハルコの熱意もあって、人のご縁から取引先や人材がつながるようになってきた。精密機器の顕微鏡検査、液晶パネルの仮付、携帯電話の基盤検査……頂ける仕事の幅も広がってきた。

 決して知識や技術の面でアドバンテージがあるわけではない。先方の期待に応えたい一心で、人にお願いしたり教わったりして乗り越えていったことがほとんどである。
「やったことないことでも、まずやってみなあかん」
「お客さんの期待に応えてたら、なるようになってくるんや」
 ただの精神論かもしれないが、ハルコはそれを地でいくように働いた。

 1999年から2002年頃は、ほとんど仕事をクリアしていくだけの毎日だった。四条で納品を済ませて19時、その帰り道で洛西の知人から夕食用の惣菜を受け取って20時、帰宅する頃には20時半を過ぎていた。それだけ働いても、当時のフジテックスには乗り越えられない壁があった。

「たくさんできなくて、ほんますみません」
 検査業務に携わるパートさんのほとんどが主婦で、どうしても仕上げる数が増やせない。取引先が量産体制に入る。業界大手の仕事を任される。時代や市場の変化がある。だからといって、主婦のパートさんのライフスタイルをコロコロ変えるわけにはいかなかった。

 ハルコ自身、働きながら我が子への後ろめたさを感じていた。パートさんたちにもすでに無理をお願いしている。だから、作業量やスピードで期待に応えるには無理があった。取引先への申し訳なさとの狭間で揺れながら、納品のたびに頭を下げていた。

……というハルコの感覚に対して、取引先の反応は違った。
「藤田さん、数が少なくても、良品がある方が助かります」
「なんぼたくさん納品されても、不良品が出ると処理も増えるんです」
「組織としては小さいですが、品質への取り組みはしっかりしてますね」

 仕事を評価する基準は、規模やスピードだけとは限らない。ハルコが考えていた評価基準と、取引先が実際に価値を感じていたところは意外にも違っていた。そうした「すり合わせ」を重ねていくことで、ハルコたちは仕事の優先順位や価値判断を固めていった。

「ナンバーワンより、オンリーワンのフジテックス」

 これがフジテックスとして優先したい経営方針となった。ただ机上の空論で定めた理想論ではない。現場で磨き上げられてた「生きた知恵」である。だからこそ、ハルコたちの経営方針は20年経った今も輝きを放っている。

 お客様に喜んでもらえるなら、自分たちに合ったやり方があってもいい。「品質」と向き合う方針と、それを体現する検査業務への自負。それはフジテックスの強みとして、後の藤大まで受け継がれていくのであった。

↓つづく↓

(制作元:じゅくちょう)


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ふくだこうしろう@言葉のドレスアップ
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